解決できないことを考えないのが解決
考えることと、考えないこと
大人は、普通考える。
ルソーは、「人は一度考え始めると死ぬまで考えることをやめない」と、言った。
考えないで、感情の赴くまま生きている人はあまりいない。
センスの良い大人の中には、考えなくても行動がスマートな人もいる。
それはあくまでも生き方のセンスの問題だから、普通人には難しい。
感情のコントロールが、一般的に必要だから考えざるをえない。
問題の失敗の原因の一つは、感情のコントロールの失敗から来ることが多い。
だから、人は感情的にならず「考える」ことを優先にする。
一般的に、「考える」行為にたいしては、周囲の評価が高い。
だが、「考える」ことで、問題が解決できるのかというとそれは別問題だ。
「考える」時、何について考えるのか
解決の出来ないことはままある。
いやいや、むしろ、解決の出来ないことのほうが人生には多いかもしれない。
だから、解決の出来ないことは、「考える」対象から始めから外したほうがいい場合もある。
ところが、問題ではないことでも、問題だとと思いこんでしまう人は、解決の出来ない問題でも解決しようと努力する。
最初から解決できない問題は問題にしない人は、それだけ解決をする問題が少なくなる。
反対に、解決の出来ない問題を解決の出来ない問題だと認識の出来ない人は、問題が山積する。
本来なら、問題を自分から作らないことだが実際はそうではない。
常に神経質に問題だと感じる人ほど、問題は山積する。
この世には、解決できない問題のほうが多いことを知る
今、どういうわけか、何でも解決ができるように思い込んでいる風潮がある。
それはSNSなどで、問題を共有して答えを模索しようとする風潮があるからだ。
助け合えば、問題が解決できると思う人も多い。
だが、実際はどうだろうか。
「3人寄れば文殊の知恵」と言うか、それは親しい人が寄り集まったからで、
不特定多数の烏合の衆が集まっても、文殊の知恵にはなりにくいのが現状だ。
それよりも、この世には解決の出来ないことのほうが多いとさっさと知ったほうが良い。
解決の出来ないことよりも、まずは解決のできることを確実に解決をしたほうが賢明だ。
なぜなら、解決の出来ない問題は、前へ進むことを拒むから。
生きると言うことは、前に進むということだ。
わたくしたちは、常に未来へ向かって進んでいることを忘れてはならない。
肉体も精神も、未来のためにあると言っても過言ではない。
老人も、そのことに関しては同じだ。
老人こそ、少ない未来を大切にしてほしい。
問題が少なければ、身も軽い
「感受性が豊か」なのは、ほめことばだが、同時に神経が敏感でぴりぴりしてると言える。
「愚鈍です」と言われたら、腹が立つが、「感受性が豊かですね」と言われると、なぜか納得する。
だが、人生を問題がなく過ごして行くには、「愚鈍」な方が良い場合のほうが多い。
感じやすいと言うことは、何事に対しても、神経質になりすいと言うことだ。
「愚鈍」な人は身軽だ。
問題が少ないから。
「愚鈍」と思いこんでいる人は、問題は解決できないと最初から思っている。
だから問題を解決する意志がない。
それより容易に解決できる問題と向き合っている。
しかし、頭の良い人は、わたしなら解決できると思い込んでいる。
はたまた義務感から、問題に向かい合ってしまう。
要するに優等生タイプ・
「愚鈍」タイプは、小学校のとき、絶対宿題をやらなかった連中だ。
感受性豊かな「優等生」タイプは、宿題は絶対忘れないでやった連中。
もう、小さい頃から刷り込まれてきたのだ。
「問題を見つけたら、逃げないで最後まであきらめるな」と。
老後も問題は山積する
老後の年金問題は、悩ましい・
悩ましいけれど、老後の問題は年金だけではない。
年金の問題は、数え切れないほどある問題の一つだと認識したほうが良い。
だから、問題にいちいち悩ませるよりは、無視をしたほうが良い。
無視というよりは、成り行きに任せるしかないのだ。
前を向いて生きている人々は、今を一生懸命生きている。
悩ましいことにずるずる引きづられて生きていくのは賢明ではない。
もし、100のうち99が心配事でも、残りの心配事のない無いことに目を向けたほうが前に進む。
お金がなければ、働けばいい。
問題は、何も行動をしないで、始終ぐちばかり漏らすことだ。
自分を作り上げるのは自分だ
自分の心を作り上げているのは、普段の自分自身の思考や行動だ。
その積み重ねで、人は自分という個性を作り上げていく。
決して、他人が自分を作っているわけではない。
だから、自分のことを他人のせいにするのは、解決から一番遠い所へ自分を置いていることだ。
解決することを欲張らず、自然な成り行きに身を委ねてみよう。
そういう生き方も時には必要なのだ。
老人生活は、半分死ぬことに身を委ねているのと同じだ。
「酔生夢死」という言葉がある。
死ぬ前は、のんびり「酔生夢死」を楽しみたい。
いつまでも、目覚めた脳みそより、半分壊れかけて、ボケたほうが良いのかも。
そうやって、ちょっとだめな自分を演出できたら最高だ。
旗じいの話を、最後まで聞いてくれてありがとう。
戦争や環境問題や社会問題などは、自分ではどうしようもない。
こんなことに悩むより、身近な人々と仲良く協力して生きることの方が大切だ。