AIスタートアップにおける研究者視点と実務家視点の違い
皆さん、こんにちは。
今日は、AIスタートアップの世界で注目を集めている興味深い研究結果についてお話しします。
この研究は、学術系と非学術系のスタートアップが、どのように問題にアプローチし、市場を開拓しているかを比較したものです。
最近、Strategic Management Journalに掲載された論文
「Academic Entrepreneurs and Market Applicability in AI Startups」
を読んで、目から鱗が落ちる思いでした。
この研究は、AIという新しい分野で、学者たちがどのようにビジネスの世界に飛び込んでいるかを調べたものです。でも、単に「学者vs実業家」という対比ではなく、もっと深い洞察があるんです。
上流と下流、どっちを目指す?
まず、「上流」と「下流」という概念について説明しましょう。
ビジネスの世界では、製品やサービスが消費者に届くまでの過程を「流れ」として捉えることがあります。この流れの中で、基礎技術や原材料に近い部分を「上流」、最終製品や消費者に近い部分を「下流」と呼びます。
例えば、スマートフォンを例に取ると、チップの設計や製造は「上流」、完成したスマートフォンを販売したり、アプリを提供したりするのは「下流」になります。
さて、この研究で面白いのは、学者出身の起業家と、そうでない起業家では、この「上流」「下流」へのアプローチが異なるという点です。
学者たちの「上流」志向
学者出身の起業家たちは、問題を定式化する際に、より「上流」の視点を持つ傾向があります。つまり、特定の市場や製品にとらわれず、より一般的で広く適用可能な解決策を追求するのです。
例えば、ある学者出身の起業家は、「屋内での位置測定」という問題に10年以上取り組んできたそうです。GPSが建物の外でしか機能しなかった時代に、建物内でも位置を特定できる技術の開発を目指したのです。この研究は、最終的に様々な分野で応用されることになりました。
この「上流」アプローチのメリットは、幅広い市場に適用できる可能性があることです。実際、研究によると、学者出身の起業家が立ち上げたAIスタートアップは、そうでないスタートアップと比べて、約12%多くの市場セグメントに製品を提供できているそうです。
しかし、デメリットもあります。「上流」に注力しすぎると、具体的な市場ニーズから遠ざかってしまう可能性があります。
ある起業家は、「私たちが提案するアイデアは、一般の人にとってはまだ問題になっていないことが多い」と語っています。
非学術系起業家の「下流」アプローチ
一方、非学術系の起業家たちは、より「下流」、つまり具体的な市場ニーズに焦点を当てる傾向があります。
彼らは特定の顧客の要望や、目の前の問題解決に重点を置きます。
例えば、ある起業家は農業分野の課題に取り組むために、農家と何時間も話し合いを重ねたそうです。その結果、農業市場における情報の非対称性という具体的な問題を特定し、それを解決するアプリを開発しました。
この「下流」アプローチのメリットは、明確な市場ニーズに応えられることです。顧客が求めているものを直接提供できるため、短期的には成功しやすいかもしれません。
しかし、デメリットとして、技術の応用範囲が限定される可能性があります。特定の市場に特化しすぎると、他の潜在的な機会を逃す可能性があるのです。
研究者と実務家、それぞれの強みと課題
研究者型スタートアップと実務家型スタートアップには、それぞれ特徴的なアプローチがあります。
研究者は「なぜこの現象が起きるのか」という根本的な問いから始め、より普遍的な解決策を追求します。例えば、「この特定の画像認識の問題を解決する」のではなく、「画像認識の本質的なメカニズムを理解し、それを応用して様々な認識問題を解決する」というアプローチを取ります。
一方、実務家は目の前の具体的な課題から始めます。「この工場の生産ラインで発生している不良品を検出したい」という明確な課題に対して、その状況に最適化されたソリューションを開発します。このアプローチは、特定の問題に対して迅速かつ効果的な解決策を提供できる一方で、他の状況への応用には追加の開発が必要になることが多いのです。
AIならではの特徴が生む可能性
従来のハイテク産業、例えばバイオテクノロジーや半導体産業では、新しい市場に参入する際に多大な設備投資や専門的なインフラが必要でした。
しかし、AIの分野ではその状況が大きく異なります。
AIの技術はソフトウェアベースであり、一度開発したアルゴリズムやモデルは、比較的少ない追加投資で異なる市場に展開できます。
例えば、自然言語処理の基礎技術は、カスタマーサービス、法務文書の分析、医療記録の処理など、様々な分野に応用可能です。この特徴により、研究者が開発した汎用的な技術を、より容易に様々な市場で活用できる環境が整っているのです。
実際、調査対象となった988社のAIスタートアップのうち、86%が下流の市場に直接製品を提供しており、これは従来の技術産業では見られなかった現象です。
市場価値への影響
市場適用範囲の広さは、スタートアップの企業価値に大きな影響を与えています。
研究によると、対応できる市場が1つ増えるごとに企業価値が約14%上昇することが明らかになりました。これは、投資家が「技術の汎用性」を高く評価していることを示しています。
さらに興味深いことに、学術研究者が創業メンバーにいるスタートアップは、平均して12%広い市場適用性を持っており、これは企業価値に換算すると約5.3%の上昇に相当します。また、市場適用範囲が広いスタートアップは、買収される可能性も高くなることが示されています。
将来への示唆
ただし、この「広い市場適用性」は諸刃の剣となる可能性があります。なぜなら、成長段階に応じて戦略の転換が必要になってくるからです。
実際、多くのベンチャーキャピタルは、後期段階(シリーズE以降)の資金調達時には、事業の焦点を特定の市場に絞ることを推奨しています。これは、企業の成長段階によって求められる戦略が変化することを示しています。
初期段階では幅広い可能性を探索することが重要ですが、成長段階では特定市場での競争優位性の確立が必要になってくるのです。
まとめ:両方のアプローチの共存
研究者型と実務家型、どちらが優れているというわけではありません。
むしろ、両者の異なるアプローチが、AIエコシステムの発展に重要な役割を果たしています。
研究者の「なぜ?」という問いから生まれる普遍的な解決策と、実務家の「今、ここでの課題を解決する」という具体的なアプローチ。この2つのアプローチは、相互に補完し合うことでイノベーションを促進しています。
研究者の開発した基礎技術が、実務家によって具体的な市場ニーズに適応され、さらにその過程で発見された課題が新たな研究テーマとなる。このような循環が、AIエコシステム全体の発展を支えているのです。
参考文献:
Strategic Management Journal, 2024
"Academic Entrepreneurs and Market Applicability in AI Startups"
https://onlinelibrary.wiley.com/share/IDJQVJHMCJ4PRARIGF76?target=10.1002/smj.3685
経営企画・営業企画の視点から、最新の研究成果を実務に活かすことを心がけています。この記事が皆様の業務改善の一助となれば幸いです。