#053 100%を求める弊害
生徒指導主任として、毎月行われる生徒指導委員会やいじめ対策委員会を企画運営してきた1年であった。全職員が参加する会議ということもあり、参加した職員にとって学びある時間にしたいと思って準備して挑んできた。一定の効果を感じる一方で、新たな気付きを持ったのでまとめてみた。
100%はムリ
生徒指導委員会では、毎月自学年の生徒指導上の成果と課題を振り返るようにしている。(時間短縮のため、共有データにて事前実施)それを基に、全体で議論するのだが、多くの先生方は課題を克服できていないという感想を持つ。しかし、その対象場面を挙げてもらうと毎回同じ子供を挙げている。その他の子供が成長しているにも関わらずである。大多数が成長していても一定数の行動が気になってしまうのは仕方ない。だからこそ、意識して「いつ・誰が・なんで」できないのかを把握し、「全体の課題なのか?」と考える必要がある。
100%の弊害
全員が100%課題をクリアすることは不可能である。その上で、一定数ある問題行動を無くそうとすると他の問題が生じてくる。
・できている子の意欲が削がれる。
・同じ子ばかりの指導で、自己肯定感が低くなる。
・同じ子ばかりの指導で、周りの目が変わってしまう。
・指導が多くなることで全体の雰囲気が悪くなる。
など「個人」「他者」「集団」に全てにおいて悪影響がもたらせる。また、最も気をつけなくてはならないのは、『発達特性からくる困難さ』である。ある程度の指導をしても改善が見られない場合、その子は『発達特性からくる困難さ』が原因のこともある。特性上、どうしてもできない子に対して指導を続けると最終的には、その子を苦しめるだけでなく不登校などの二次被害を生む。
80%の力で、100%を求める指導
気になる行動に対してどのように指導していけば良いのだろうか。わたしは「80%の力で、100%の指導」をしている。具体的には、子供達には100%大切であると伝える。一方、教師自身の押さえとしては80%できれば十分と考えておく。子供達に、ルールや決まりを指導する際に「80%でよい」と伝えると混乱を生むため、「ルールや決まりは100%守りましょう。」と指導はするが、「80%できれば十分」と思っておくのてある。この20%の余裕があることで、必要以上に叱責を減らしたり『発達特性上の困難さ』に目を向けたりすることができる。
まとめ
子供は、千差万別・多種多様である。そんな子供達を教育するにあたって「100%絶対」というものはない(犯罪に関わるものは別)。そのため、教師が指導する際も心の片隅で「本当にこれでいいのかな?」「これはこの子にとって正しい指導なのだろうか?」と思っておく必要がある。また、「〇〇できないのはダメ。」ではなく「〇〇できるにはこの指導法が最良なのか?」と自分の指導に疑いの目を持つことは、自らを成長させることになる。千差万別・多種多様な子供達と接することで教師自身も多種多様な指導方法を身につけられる。