おもしろ韓国語教室(09)이상 〈李箱〉を知っていますか。
きょうはまた違った角度から띄어쓰기(分かち書き)のお話をしましょう。
みなさんは이상 〈李箱〉を知っていますか。李箱(1910~1937年)は韓国の有名な詩人で,小説家です。27歳の若さで,東大病院で肺結核のために亡くなっています。
その李箱の作品に이상한 시(変わった詩)というのがあります。
‘싸움하는사람은즉싸움하지아니하던사람이고또싸움하는사람은싸움하지아니하는사람이었기도하니까싸움하는사람이싸움하는구경을하고싶거든싸움하지아니하던사람이싸움하는것을구경하든지싸움하지아니하는사람이싸움하는구경을하든지싸움하지아니하던사람이나싸움하지아니하는사람이싸움하지아니하느것을구경하든지하였으면그만이다.’という詩です。
分かち書きをするとこうなります。
‘싸움하는∨사람은∨즉∨싸움하지∨아니하던∨사람이고∨또∨싸움하는∨사람은∨싸움하지∨아니하는∨사람이었기∨도∨하니까∨싸움하는∨사람이∨싸움하는∨구경을∨하고∨싶거든∨싸움하지∨아니하던∨사람이∨싸움하는∨것을∨구경하든지∨싸움하지∨아니하는∨사람이∨싸움하는∨구경을∨하든지∨싸움하지∨아니하던∨사람이나∨싸움하지∨아니하는∨사람이∨싸움하지∨아니하는∨것을∨구경하든지∨하였으면∨그만이다.’
試しに訳してみると「喧嘩をする人は,いわば喧嘩しなかった人で,また,喧嘩をする人は喧嘩しなかった人でもあるから,喧嘩をする人が喧嘩の見物をしたければ,喧嘩しなかった人が……」。結局,何を言っているのかさっぱり分かりません。
これは1943年に朝鮮中央日報に連載された오감도〈烏瞰圖〉という詩の中の一節ですが,あまりにも難解だという読者の指摘で,中途で連載がストップしたと言ういわく付きの詩です。この詩人は,当時のすべての体制に対する否定や反発を表すために正書法を無視したと言われています。まあ,こんな風に書かれては誰も読みませんが。
さて,分かち書きの話はまだ続きます。みなさんは,ご飯を食べていて,中に石が入っていたことはありませんか。最近は精米技術が発達してしてあまり遭遇しませんが,昔はよくあるできごとでした。あのガリッという感触は,小さな石でもいやですね。
白い米のご飯は쌀밥ですが,石が入っているものは돌밥と言います。
このように2つの語が強く結びついているときには,쌀∨밥,돌∨밥のように,分かち書きはしません。
修飾する言葉と修飾を受ける言葉,つまり修飾語と名詞が一緒になって出来た特別な意味を持つ言葉の場合は,やはり分かち書きしません。ちょっと説明がわかりにくいので例を出しましょう。
「うちの長男は,あまり大きくありません」という文を訳してみてください。
ここで,長男は큰∨아이 ではなくて,큰아이です。
・우리 집 큰아이는 그리 큰∨아이는 아닙니다.
今言ったように慣用句に使われる表現の場合は分かち書きしません。
このほかにも,「一言(ひとこと)」というときは한마디ですが,「十言」という場合は열∨마디 と分かち書きします。
では,次の文章の意味を考えてみてください。
・눈앞의 일이라면 실제 눈∨앞에서 일어나는 공간적 개념이 아닙니다.
〔目先のことというのは,実際に目の前で起きる空間的な概念ではありません〕
「目先のこと」は눈앞의 일ですが,「目の前のこと」は눈∨앞의 일です。
分かち書きするかどうか分からなかったら,面倒くさがらずに必ず辞書を引くようにしてください。もう少し練習してみましょう。
・큰손의 손을 보았더니 별로 큰∨손을 갖고 있지는 않습니다.
〔大物の手を見ても別に大きな手ではありませんでした〕
・큰 소리로 말하지 않았는데도 큰소리치지말라고 꾸중들었습니다.
〔大きな声で話していないのに,大きな声を出さないでくれと小言を言われました〕
くっつけて書くか離して書くか,いちいち辞書を引くというのは面倒くさいですが,語学の勉強は「コツコツ」感が大切です。