秋の関東!一都五県ぶらつき旅【東京編】
ここ数年はちょっと三連休があると、すぐに休みを取って四連休にして遠出をしてしまう。
とにかく長距離ドライブがしたい。
そして、行ったことがない場所へ行って刺激を得たい。
とりあえずどこかに出かけたいので、目的地よりも先に長距離ドライブをするという目的を先に決めるのだ。
次に、大まかな目的地を設定する。
例えば中国地方とか四国とか、あるいは関東とかいったように、地方単位で設定するのがポイントだ。
地方が決まったらそれぞれの県で興味がありそうな場所を探してみるのだが、これを見つけ出すのがなかなか難しい。
こういう時に最も重要なのは情報検索能力だと言いたいところなのだが、最近はどうも違うような気がしてきた。
もちろん情報検索能力は重要だ。
しかし、それ以上に重要なことは自らの興味の範囲なのだと思う。
興味の範囲を広げると興味関心を抱く場所も自然と広がっていくので、結果として興味がありそうな場所を探しやすくなる。
一度も行ったことがない場所だと目的地にしたい場所が増えるし、既に足を運んだ事がある場所なら、次に行く時は違う場所にも足を運ぼうと思えるのだ。
最近だと神社からスタンプラリーの当選品として御朱印帳を貰ってからというもの、御朱印巡りを通じて神社に興味が湧くようになった。
それ以来行く先々で有名な神社に参拝しては御朱印をいただいている。
事件や事故に遭っていないのは神のご加護によるものだろう。
きっとそうに違いない。
さて、前置きはこのあたりにして、そろそろ今回の関東旅について語ろう。
今回の旅は、私が興味を抱く様々な分野の名所等へ足を運ぶ「何でもありの旅」となった。
日本史(江戸時代)、自衛隊、神社、道路、そしてラブライブ…
5つのジャンルにまつわる場所を縦横無尽に走り抜けた濃厚でカオスな4日間の幕開けだ。
東名と中央道
旅の初日の行き先は、関東では王道の東京都だ。
東京都とは言っても東京23区と言われる東京都区部ではない。
今回の目的地は日野市で、ここは東京都区部よりも西側にある多摩地域と呼ばれる地域にあたる。
そして、日野市の最寄りのICは中央自動車道八王子ICだ。
中央自動車道の終点は小牧ICなので、小牧以東は中央自動車道を走り続ければ一本道でたどり着くことができる。
中央道ルートの利点は何と言っても「迷わないこと」で、高速道路の案内表示で迷ってしまうような人にとってはこのルートがオススメだろう。
また、東名ルートに対して距離も短いので、後述する制限速度の低さや線形の悪さを差し引いても所要時間は大差ないようだ。
Google先生が言うのだから、きっとそうに違いない。
しかし、私はいつも八王子方面へ向かう際は中央道ではなく東名や圏央道を経由する東名ルートを使っている。
中央道ルートの欠点は線形の悪さであり、そして線形の悪さに起因する制限速度の低さにある。
新東名ルートに比してコーナーがきつくアップダウンも激しいつくりになっているため、制限速度が低く抑えられているのだ。
新東名では浜松いなさJCTから御殿場JCTまでの区間は時速120キロ制限、それ以外の区間は時速100キロ制限となっているのに対して、中央道は大半の区間が時速80キロ以下となっている。
「制限速度なんて関係なく高速では好きなだけ飛ばすぜ!」というスピード違反上等の強者にとっては関係ないだろうが、取り締まりを受けたくない程度の遵法精神があるドライバーにとってはもどかしい制限なのだ。
取り締まりを逃れたとしても、岐阜県内の区間にはかなりアップダウンが激しい区間もある。
そのため、スピードを出しすぎると危険だというのは事実だ。
そういうわけで私は遠慮なくスピードを出せる東名ルートのほうが好きなのだが、今回はあえて中央道ルートを使った。
その理由はネットで知り合った知人と群馬県内で会う予定があったためで、群馬方面へ向かうために中央道を利用していたのだ。
中央道の岡谷ICで一旦高速道路を降り、国道142号を経由して上信越道から群馬へ行くという愛知からの最短ルートだ。
さて、それではなぜ私は群馬へ行っていないのか。
実は出発の前日に知人が高熱を出してしまい会うことが出来なくなってしまったのだ。
しかし、せっかくの機会を惜しく思った私は、当日までに知人が回復するのに賭けることにした。
そこで私は初日に岡谷JCTへたどり着くまでに知人から会えるかどうかの連絡をしてもらうように頼み、中央道ルートを選択することにしたというわけだ。
中央道ルートを使ってギリギリまで群馬へ行くか東京へ行くかの二択を選べるようにしたのだった。
賭けの結果は先に述べたとおりで、知人の体調が回復しなかったため群馬で会うことは諦め中央道を直進して東京へ向かったというわけである。
一日目(9月16日)
諏訪湖SA
中央道を東京方面へ走行していると現れるのが諏訪湖SAだ。
諏訪湖を一望できる絶景スポットなので、中央道上り線で東京方面へ向かう際は外せない。
早朝からあまりまともな食事をしていなかったので、ここで肉巻きおにぎりを頬張る。
双葉SA
諏訪湖から山梨県内へ入り、お次は双葉SAで休憩を取った。
ここでは、刻んだきのこやベーコンが入った「とろ~りチーズおやき」をいただく。
完全に食べ歩きの旅になっている。
談合坂SA
「小仏トンネル」や「八王子BS」などと並び、中央道の渋滞情報でよく聞く場所の一つがこの談合坂SAだろう。
ここから東京方面へ進むと渋滞の名所である小仏トンネルが待ち構えており、中央道屈指の渋滞ポイントへ向かう前の最後のSAだ。
それと同時に東京から中央道で名古屋方面へ向かう際に立ち寄る最初のSAでもあり、東名高速でいう海老名SAにあたる。
渋滞ポイントとは言ったが、基本的に午前中の東名や中央道の上り(東京方面)は渋滞しないので安心だ。
もっとも、大型連休等の時期や時間帯によってはかなり混雑することだろう。
日野宿本陣
初日のお目当ては江戸時代の五街道の一つである旧甲州道中の宿場町、日野宿に残る日野宿本陣だ。
旧甲州道中は現代で言うと国道20号や中央自動車道に相当し、東京都中央区から長野県諏訪市までを結んでいる。
本陣については他の記事で何度か述べているが、端的に言えば大名や幕府役人等の限られた上級国民だけが利用することが出来るVIP専用宿泊施設であり、一般人は利用することが出来なかった。
日野宿本陣は日本全国で現存する数少ない本陣の一つであり、また東京都内では唯一現存する本陣でもある。
天然理心流道場跡とある。
そう、天然理心流といえば幕末の新選組隊士が多く身に着けていた実戦的な殺人剣術だが、ここはその新選組にとって縁のある地なのだ。
見学者用の出入口は正面玄関ではなく、建物の横にある土間から入るようになっている。
大名等が宿泊する際に利用した上段の間という部分があったそうだが、明治期に本陣の主である佐藤彦五郎の四男の養子先の有山家が火災で被害を受けた際に移築され、以来そのままなのだという。
現存しているならば再度移築して完全な状態にしたほうがよいと思うのだが、どうやらそういう話にはなっていないらしい。
当初は返還するという話だったらしいが、口約束だったり代替わりなどがあって返還に応じなくなったとかいう事情があると解説のおじさんから聞いたような覚えがある。
うろ覚えなので事実と間違っていたら訂正するが、いずれにせよ元々一体であったなら完全な状態で見たいものだ。
古い建物というのは何らかの事情で建物の一部が移築されていることがとても多い。
城などは破却の際に払い下げられた櫓や屋敷、あるいは門などが移築され、後日元々あった場所へ再度移築される例もみられる。
上田城の櫓などは遊郭として転用されていたそうだが、後日上田城内へ再度移築されている。
そのまま消えてなくなるよりはマシかもしれないが、移築されて転用されてもそれは本来の姿ではないことを思うと、やはり元々あった場所へ再度移築して欲しいと思う。
前回、和田宿の記事を書いたときには触れなかったが、実は和田宿本陣も一部が別の場所へ移築されていた。
和田宿本陣は居室棟と座敷棟に分かれており、現在残っているのは本陣を管理する一家が居住する空間である居室棟のみである。
大名等が宿泊する座敷棟は上田市の龍願寺へと移築されていたのだ。
これは柱に刻まれた鯉の彫刻だ。
こんな目立たないところに装飾をするというのが、作った人の遊び心を感じられてよい。
日野市立新選組のふるさと歴史館
先ほど述べた通り新選組との縁が深い日野市では、新選組に関する資料を多数展示している資料館がある。
日野宿本陣から少し離れた場所にあるが、車で行くなら造作もない距離だ。
文字の資料も多く人を選ぶかもしれないが、幕末史や新選組が好きな人は行ってみるのもありかもしれない。
国道20号
東京都中央区から長野県塩尻市までを結ぶのが国道で、先ほど述べたようにこれは旧甲州道中に概ね並行するルートを通る「現代の甲州道中」と言ってもいい道路だ。
実はこの国道20号の東京都内における区間を一部走行してみたいというのも今回の目的の一つだったので、一体どんな道路なのか楽しみにしていた。
実際走行してみた感想を先に述べよう。
率直に言うと狭くて走りづらく、交通量に対して道路の交通容量が足りていない道路だった。
交差点も比較的少なく走りやすい日野バイパスまではいいのだが、バイパスの終点である国立インター入口交差点を過ぎて現道区間に入ってからの道路状況が酷い。
地方から都心部、それも日本一の大都市である東京の中心へ向かう幹線道路としてはあまりにも貧弱すぎるのだ。
まず、そもそもの話だが中央道沿いの八王子方面から都心部へと一本で向かう主要幹線道路は国道20号くらいしか存在しない。
日野バイパスから先の区間は、同バイパスと接続予定の東八道路が実質的な国道20号のバイパスとなるが、現時点では未完成のため直接接続されておらずわかりにくい。
また、国道でもない東八道路の存在は地図上でも分かりにくいので、わかりやすさで言うと国道20号の現道区間に軍配が上がるという選択肢の無さが前提にある。
次に、道路の規格の問題だ。
上げている写真をご覧いただくとわかるように、わずか四車線しかないのだ。
それも中央分離帯もなく、場所によっては歩道や路側帯部分が極めて狭小な区間もかなり存在する。
これが地方の幹線道路ならまだしも、大都会東京の都心部へアクセスするための幹線道路とはおよそ思えない貧弱さだと言っていい。
おそらくだが、元は二車線の道路を無理やり四車線に拡幅したのではないだろうか。
左側の車線を走行しているとわかるが、いくら四車線の道路とはいえ狭すぎるのだ。
同じく東京の西側でも、もう少し南側へ行くと国道246号、国道1号、そして国道15号などが通っている。
これらの国道は都心から神奈川方面とを結び、いずれも4車線から6車線以上の大幹線道路だ。
当然だが、左側の車線幅員がギリギリなんていうこともない。
それに引き換え、同じ都内であるにもかかわらずギリギリ四車線の貧弱な国道一本しかない八王子方面とは大違いだった。
環状八号線
国道20号の貧弱さについて語りすぎてしまったが、次はいよいよ環八こと環状八号線だ。
東京都の環状線でも特に有名な道路なので一度走ってみたかったのだが、結局こちらも思ったよりも貧弱だという感想に尽きる結果になってしまった。
ただし、この上高井戸一丁目交差点よりも南方面の環八は六車線が確保されているようなので、今からする話はあくまで上高井戸一丁目から北の話だという事に留意して欲しい。
まずは車線数の話からするが、上高井戸一丁目交差点よりも北は基本的に四車線だ。
この時点でもう終わっていると思う。
一千万人規模の大都市の環状道路が一部区間とはいえ四車線というのは、あまりにも交通容量不足だろう。
これがどの程度の貧弱かは分かりにくいと思うので、人口が東京のおよそ三分の一程度である230万人都市の名古屋と比較してみよう。
名古屋市内を走る環状道路はいくつかあるが、まずは名古屋市道名古屋環状線と比較してみる。
市道というと市街地の生活道路をイメージするかもしれないが、この名古屋環状線は近所の生活道路とは全く格が違う。
主要地方道に指定されている重要路線なのだ。
主要地方道というのは簡単に言うと整備にあたり国の補助金が出る道路で、指定されている道路の大半は府県道なのだが、政令指定都市の一部の市道はこれに指定されている。
そんな名古屋環状線の整備状況はと言うと、一部区間を除き大半が六車線で整備されているのである。
もう一つ環状道路をみてみよう。
名古屋市道名古屋環状線よりもさらに外側を走る国道302号(名古屋環状2号線)は一部二車線の区間が残るが、将来的には四車線化が予定されている。
それだけでは貧弱なのだが、実はこの国道302号には並行して高速道路が整備されている。
そう、名二環の略称で呼ばれる名古屋第二環状自動車道だ。
これら一般部と専用部の車線を単純に合計すると6車線から8車線程度になる。
とはいえ、一般道区間の国道302号は複数箇所ある踏切区間が邪魔をして二車線区間が残存しているため、早急に四車線化してほしいところである。
おわかりいただけただろうか。
東京という都市は名古屋の三倍もの人口を抱えながら、名古屋よりも貧弱な道路しか整備されていなかったのだ。
もちろん私が走ったのは東京の一部に過ぎないが、都心部に近い場所で想像以上に整備状況が良くないことに落胆してしまったところはある。
ただし、東京の道路も一つだけ良いことがある。
それは半立体構造にしている交差点が多いところだ。
本線を直進する場合は交差点で信号待ちをしなくてもいいように、高架道路あるいはトンネルでパスしているのだ。
こうした構造は名古屋ではあまり見ないから斬新だし、実際に渋滞を緩和する効果はあるのだろう。
焼肉きんぐ戸田店
初日の最後は環八で国道17号まで行き、そこから戸田にある焼肉きんぐを利用した。
せっかく関東まで来たということで、ネットで知り合った埼玉人のお友達に連絡を取ったのだ。
快く戸田まで足を伸ばしてくれた彼には感謝しかない。
宴を楽しんだところで今日の旅は終わり、単身ホテルへと向かうのだった。