春の北陸へ!蘇洞門めぐりと軍港都市舞鶴を堪能せよ【軍港都市舞鶴編】
日帰り北陸旅もいよいよ後半戦。
小浜市を出発した私たちは、次の目的地である舞鶴へと歩を進めた。
舞鶴へ到着したのは午後0時前という昼食の時間帯だったので、まずは飲食店で昼食をとることにした。
検索したところ、目的地である赤れんがパークの近くに「らーめん格別ヤ」という店を発見し、背脂系のラーメンなら美味しいだろうという期待で入店。
メインのラーメンは背脂系の醤油ラーメンで、あっさりしているようで意外と濃厚な味が特徴だった。
海軍記念館
海上自衛隊舞鶴基地の一角である舞鶴地方総監部内には、海軍記念館と呼ばれる資料館が存在する。
建物そのものは海軍機関学校の大講堂を使用しているそうで、建築物そのものがレトロだった。
なお、展示物の大半は文献等の資料であり、素人が目を引くような武器だの装備品だのの類は少ない。
そのため、非常にマニアックな施設だと言える。
率直に言えば極めて人を選ぶ施設であり、ガチの軍事オタクや歴史オタクのような人間にしか向いていない。
なお、入場申込書を予め記入して持参するように公式HPに案内がされているが、現地へ行くと当然のように紙を手渡された。
備え付けの申込書がたんまりあるなら、予め記入して持参しろ等と書く必要は無いだろう。
わざわざコンビニで60円使って印刷して記入してきたのに、バカバカしいことだった。
この徴兵募集ポスターには興味深い一文がある。
その一文とは、7行目の「戸籍法ノ適用ヲ受クルモノタルコト」である。
戸籍法の適用を受ける者というのは、要するに日本国民に限るという意味だろう。※
戸籍に記載される者は日本国籍を有する者に限られており、外国人は戸籍簿に記載されないためである。
戸籍法が適用される範囲については、戸籍法の属人的効力により日本国民全てがその適用を受ける他、属地的効力により日本国領内における外国人もその適用を受ける。
つまり、日本国民であれば世界中どこに居ようと戸籍法の適用を受けるし、外国人であっても日本国領内にいる間は戸籍法の適用を受けるということだ。
したがって、上記のような表現を用いてしまうと、時と場合によっては外国人であっても戸籍法の適用を受ける者と言えなくはないのである。
※ 令和5年9月26日追記
これは厳密には誤りであることが判明したので、補足で追記をする。
当時の日本は現在と異なり、日本国民及び日本国領内の全てに戸籍法が適用されていた訳ではない。
結論から言うと、戸籍法の適用を受ける者とは日本国民の中でも内地に本籍を有する者に限られ、朝鮮戸籍や台湾戸籍に記載された者は対象外だった。
戸籍法の適用を受けたのは元々内地に住んでいた日本民族たる内地人のみであり、海外領土として編入された地に住んでいた朝鮮人や台湾人はその適用を受けなかったためだ。
彼らはそれぞれ内地の戸籍とは異なる朝鮮戸籍及び台湾戸籍に記載されており、同じ日本国民であっても民族籍により厳密に区別されていた。
時代により変遷もあり、また身分行為による民族籍間の移動などもあったが、本題から著しく逸れてしまうので詳細は省略する。
舞鶴赤れんがパーク
軍港都市や古くからの港湾都市に多いのが赤レンガ倉庫で、有名どころで言えば横浜赤レンガ倉庫があげられよう。
明治に帝国海軍の鎮守府がおかれた都市の一つである舞鶴も同様であり、ここにも赤れんがパークと称する観光施設が開業している。
舞鶴の赤レンガ倉庫は帝国海軍の軍備を格納していた倉庫で、魚雷や小銃弾等の倉庫がそこかしこに存在しており、これらの倉庫の内部を商業施設として利用しているのだ。
その利用方法はカフェ等の飲食店やお土産屋、果ては博物館など多岐にわたる。
赤れんが博物館の中で展示物を見ていると、廃線になった鉄道トンネルが遊歩道に転用されていることを知った。
これを見るやいなや道路マニアの私とレトロマニアの友人はたちまち興奮し、早速見に行くことにしたのだ。
赤れんが博物館東側に面した道路に出た私たちは、北吸隧道へと向かって歩き出した。
すると、道路向かいに謎のトンネルが2つ、こちらを向いていたのだ。
いずれもコンクリートブロックと扉で入口が封鎖されており、ドアはあるのにドアノブがない奇妙な作りをしていた。
当然ながらまともな方法で立ち入ることは出来ないし、よじ登って確かめるほどのチャレンジャーではないので、写真だけ撮って去ることにした。
トンネルの坑口らしき穴が空いていたのは夕潮台公園で、山の反対側をグーグルストリートビューで確認したが貫通している様子は無い。
埋没している可能性もあるが、ここが軍事基地の周辺であること等を鑑みると、ここは防空壕か倉庫だったのではないだろうか。
ご存じの方がいたら、是非とも教えて欲しい。
北吸隧道
北吸隧道へと続く遊歩道まで辿り着いた。
あからさまに廃線跡が分かる路面で、ちょっとロマンを感じる。
廃のエッセンスはあまり感じないが。
さて、メインディッシュが見えてきた。
おやおや、何か違和感を感じるぞ…。
なんだこれは!?
扁額が新しすぎる!!!
あまりにも残念すぎるものが私達の前に姿を表した。
トンネルの名前を示す扁額と呼ばれるものが坑口上部にあるのだが、これが露骨に新造されたものなのだ。
あまりにも似つかわしくなく、古めかしい明治のトンネルには無粋極まりないものだった。
元々の扁額の有無は少し調べたくらいでは分からなかったが、元々無いなら無いでそのままにしておいて欲しいものだ。
中舞鶴駅跡(中舞鶴公園)
中舞鶴線の廃線跡ならここも行っておくか等といい、結局終点だった中舞鶴駅跡まで来てしまった。
ライトな廃道・廃線趣味もある我々二人は、こういうものに弱い。
私は断じて鉄道マニアではないのだが、こういう廃のエッセンスがあるものにはそそられるのだ。
ここには国鉄C58機関車が静態保存されており、中も見られるようになっている。
単なる公園になっているので料金もかからないことから、子供を連れてくればきっと喜ぶことだろう。
八島商店街
同行してくれた友人はショッピングセンターマニアだが、同時にレトロアーケードマニア(商店街マニア)というニッチな趣味も持っている。
かつてアーケードに同行したことは無かったのだが、今回は東舞鶴に興味深いアーケードがあるとのことで、私も訪れるに至った。
ふらっと入ると大阪出身だという女性店主との会話が楽しく、間宮羊羹を買ってしまった。
いろいろと「うまい」と思う。
ショッピングセンターらぽーる
八島商店街の次に訪れたのはショッピングセンターで、滋賀を本拠地とするスーパーマーケット平和堂等が入る複合商業施設だ。
ショッピングセンターマニアによれば、ここのイチオシは吹き抜けに設置されたガラス張りのエレベーターとのことだった。
これが件の吹き抜けだ。
5階もの階層で相当な高さがあり、高所は苦手な私は足がすくむ程だった。
こちらは吹き抜け中央にあるエレベーターで、昇降時に外が見えるガラス張りの仕様となっている。
利用してみたが、当然私は足がすくんでいた。
最後は再度小浜で下りて、ヒレカツ定食を食べて終了。
なお、友人はソースカツ丼を食べていた。
ヒレカツの枚数は2枚から4枚まで選べたので4枚にしたら、意外と多くて食べ過ぎた(バカ)。
そして、なんとこの店は午前中に訪れた「おばまショッピングセンター」の真ん前だったというのが奇遇である。
午前中は遊覧船、午後は夕食と、小浜市の経済に貢献した一日だった。