動物の品種改良にメスをいれる


生産過程における品種改良の末、鶏がチャボ(小型の鶏)に変化したら、地球上の生態系は狂ってしまう。
動物の度重なる品種改良は、あらゆる生態系の論理を覆してしまう。
そう危機感を抱いています。

動植物・人間共にこの世に生を授かり、そのデフォルトの体で生きていく権利があります。

極論ですが、人間で言えば5体満足に生きることが普通であり、人間が生きていくために必要な衣食住の保証は絶対ですし、それを誰も侵害する権利などはありません。

それは動植物にも言えることです。
体の構造やメカニズムなどは多少異なっていたとしても人間と共に地球上の酸素を吸い、食物を摂り、休眠する・・といった基本的な生活サイクルは同じです。

植物の場合は光合成により酸素を吐き出していますが、「生命を維持する」という基本的な論理は人間とさして変わらないでしょう。

上に挙げた鶏は動物の一種です。
何を今更当たり前のことを・・ではなく、もし仮に人間も動物という大きな括りとして分類されるなら、鶏も人間と同様、平等に生きる権利があるはずです。

チャボというのは人間が鶏に品種改良を重ねて誕生した小型の鶏です。
愛玩用として鳴き声、仕草を楽しむために作られたそうですが、これが鶏にとって果たして望むような結果なのか。改めて考え直さなければなりません。

人間によるエゴな環境破壊により、動植物の居場所が奪われ、生態系のサイクルは大きく乱されています。
特に近年から問題となっているクマの襲撃事件は、人間の環境破壊活動の末にテリトリーを失ったクマがやけを起こして人里を襲い荒らしているであろう、という結論に至ることができます。

また、今年夏の異常気象も、環境破壊から端を発しています。
真夏の炎天下で、熱中症患者、脱水症者も増えています。

木や花などの植物をバッサバッサ切り倒すことにより、植物の光合成が困難になり、空気中に吐き出す酸素の量も減ってきています。
となると、人間が吸い込む酸素の量も減り、十分な酸素飽和度がキープできなくなります。

高層ビルが軒並み林立したような都市部では建物のスペースを確保するため、環境開発(という名の破壊)を止めません。その結果、空気は悪化し、車やオフィスの冷暖房の稼働による排気ガス等が増え、体調を崩しやすくなる。いかに酸素の量が不足しているか、同じ都会人として危機感を抱いています。


少し話がそれましたが、広い意味で捉えるなら、環境破壊と動物の品種改良は2つで1つと考えるべきです。

私たち日本人は海洋が7割を占める地球上のうち、その1割にも満たない面積の日本で暮らしています。もちろん、動植物も同様です。

人間含め、それらの居場所を奪うことは絶対にあってはならないことですし、品種を変えて生態系を乱すような行為も邪道です。人間の都合の良いように生態系サイクルは回っていません。

動植物が住むような環境は、本来、人間が立ち入る場所ではなく、非可侵テリトリーです。

動物や植物にとって聖域となる場所を荒らしてはならないのです。




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