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37年ぶりに大山を登る

東京から富士山を眺めると、その手前に美しい稜線の山が見えます。

その山が丹沢山塊の東に突出した大山(おおやま:1252m)です。

私が卒園した幼稚園で「きれいなおおやま、さがみがわ」と歌われたふるさとの山です。

お盆で帰省した折に37年ぶりに登りました。

37年前の学生時代に登った際の文章が残っています。

そのとき一緒に登った津山くんが文集に書いた「星をながめに大山登山」です。

それは1987年7月のある日曜日のことであった。
おれは前から考えていた「夜、大山に登ろう」という計画を今日実行しようと、その日の昼メシのラーメンをたべながら考えていた。

おれは、前もって、この計画のことを書いたしおりのようなものを作っていた。
それは小学生の時、遠足に行くとき、よくもらったようなやつに似ていた。
おれは、そのしおりを四冊もって、おれのスーパータクトのエンジンをかけた。

空はけっこう晴れていた。
「この分なら、きっと星が見える」

「星をながめに大山登山」津山くん


津山くんは「しおり」を携え、スクーターに乗り我が家に現れた。彼のイラスト付きだ。

結局、メンバーは、おれ、moriyan、哲郎にサワケンの四人となった。

小田急線にのり、伊勢原という駅でおり、そこからバスで大山のふもとまで行った。

四時すこしすぎに大山のふもとについた。
さすがに、今ごろから、山に登る人はなく、下山する人たちばかりであった。
両がわに、土産屋や料亭のある石段をしばらく行くと、山道らしい道に変わっていった。

「星をながめに大山登山」
伊勢原駅バス停。馴染み深いカナチュー(神奈川中央)バスで大山のふもとに向かう。
終点「大山ケーブルバス停」から歩く。真正面が大山です。
参道の土産店は昔のまま。
名物は「大山ゴマ」。小学生の頃に大流行した。縄でペシペシとコマにムチ打って回すのだ。
急な階段が続く。サワケンがヘコタレるのもやむ無し。
途中に渋いお堂もあります。

予想通りはじめにばてたのがサワケンであった。
「つかれた。こんな所にくるくらいなら、家にいて、音楽でも聞いていたほうがなんぼかましだ」などと、さわぎ出した。

(中略)そして、どうもmoriyanもおくれ気味であった。
サワケンのおくれは十分理解出来たが、moriyanがおくれるのは意外であった。

ちょうど、その下社まで来たとき、moriyanが、「腹が痛くて、ウンコがしたい」といきなり言い出した。
見ると、かなり苦しそうな、青い顔をしていた。
運のいいことに、この下社にはトイレがあったので、moriyanはそこに飛びこんだ。

このmoriyanという男は、どこかに出かけると、ウンコがしたくなるというクセがあるらしく、今までも、よく出かけ先でウンコをした。

「星をながめに大山登山」


きたない話で恐縮でした…。ここが阿夫利(あふり)神社の下社。

下社から山頂までは、意外なほど急な坂だった。
このころになると、サワケンはもちろん、おれも哲郎もくたびれてきた。
しかし、moriyanだけはすっきりしたのかたいへん元気になっていた。

おれたちが山頂についたころには、空はすこし暗くなっていた。
空は雲に覆われてきた。
星は見えそうではなかった。
「くそー、これでは夜、山にのぼった最大の目的がなくなってしまうではないか」と思った。

しかし、おれたちには第二の目的があった。
それは、山頂でカップラーメンを食べることであった。
おれは、ナベに水を入れて、ガソリンコンロ、オプチマス8Rに火をつけた。

と、火をながめながら、おれは、たいへんなことに気がついた。
はしをわすれてしまったのである。
そして、まぬけなことに、はしをわすれたのは、おれだけではなかった。
みごとに全員わすれていたのである。

そういえば、しおりに、ラーメンは持ってこいと書いたが、ハシを持って来いとは書かなかったことに気づいた。

「星をながめに大山登山」
確かに「もちもの」に箸の記載は無かったのだ。しかたなく「もちもの」に記載されているナイフで落ちていた木の枝を削り、箸を作った。
暗闇に下った急階段(よい子はマネしないようにしましょう)。

こういう、暗い道をあるく時、一番うしろというのはとても、気持ちの悪いものなのだ。
(中略)ここなら、道からはずれるだけで、moriyanの前に出られるはずである。
「今だ」
なにも知らないmoriyanは、おれを少しも警戒することなく、おれは、簡単に作戦を成功させた。
うしろにmoriyanがいることが、とても安心であった。

しかしその幸せもつかのまだった。

(中略)こうしておれたち全員が、うしろを恐れて走り出していた。

何度もころびながら、山道をくだって行くと、ふもとのあかりが一つづつ見えてきた。

やがてバスが来た。
バスに乗ったのは、おれたち四人だけだった。
大山をあとに、おれはバスの中で思った。
「こんど来る時は、きっと星をみよう」と。
こうして、おれたちの(星をながめに大山登山)計画は、ここに終わった。

「星をながめに大山登山」


以上が津山くんの文章でした。
ドタドタした楽しい登山でした。

津山くん直筆の文集。イラストはmoriyanが担当した。
かなり不気味ですね…。


関東の猛暑で汗だくになり、ヘコタレた私は、山頂への登頂は諦め下社でのんびり過ごしました。

【阿夫利神社下社】

下社横にできていたカフェ「茶寮 石尊」。
多汗後のレモネードが爽快。テラス席から相模湾を望むと江ノ島が見えた。ふるさとに帰ってきた気持ちが増す。
大山の水を汲む。神社の床下の不思議な空間から湧いています。冷たくて美味なり。
「大山詣で」「大山講」は江戸庶民の人気のアクティビティだったそうです。

【その晩は一献】

その晩は鎌倉在住の会社員時代の先輩(70歳)と10年ぶりに再会し懇親した。一緒に仕事をした長崎の五島列島の写真をスライドショーにして見せてくれた。美しい風景や人々を懐かしむ。
きれいな海。
海に輝く夕陽。3年後を目処に、世話になった方のお墓参りにふたりで行く約束をした。


先日、マンションの契約を更新しました。
あと二年、仙台に住むことにしました。

ふるさとを離れ33年。
自分の中ではまだ旅が続いています…。

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