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乗り越えられない試練はないという事
これは私が小学3年生の時の話。
39年経った今も時々思い出しては胸がキュッと苦しくなる。
私には、かなちゃんという親友がいた。
ちびまるこちゃんでいう「まるちゃん」と「たまちゃん」の様な関係だったと私は思っているが、かなちゃんはどう思っていたかは定かではない。
学校ではいつも一緒に過ごし、放課後も毎日のように遊んでいた。
私の母親は45歳、かなちゃんのお母さんは29歳。
若くて、優しくて、お姉さんみたいなお母さんでうらやましいなと思っていた。
悲劇は突然やってくる・・
かなちゃんのお母さんが交通事故で亡くなったのだ。
車同士の事故で運転手の男性だけが助かった。
後から噂で、かなちゃんのお母さんが不倫をしていて、運転していた男性は不倫相手だったのでは?と言う噂だった。
その噂も今となっては本当だったのかもわからない。
がしかし、私にとってはそんなことどうでも良かった。
なんでかなちゃんのお母さんは助からなったのか、ただただ悔しくて悲しかった。
お通夜には母親と参列した。
他のクラスメイト達も大半が母親と一緒に参列していた。
かなちゃんと妹はずっと泣いていてかける言葉もなかった。
クラスメイトの大半が母親と参列していたので、かなちゃんに嫌な思いをさせたかな?みんなのお母さん生きてていいよねって思わせてしまったかなと子供心に母親と参列したことを申し訳ないと思った。
それから数日してかなちゃんが学校に来るようになった。
でも、いつものかなちゃんではなかった。
私の方から話しかければ話してくれるものの、かなちゃんの方から私に話しかけてはこなかった。
時間が経てば以前のかなちゃんに戻って、また楽しく過ごせるよね、大丈夫だよね?と思っていたが、結局、そんな日は訪れなかった。
そしてかなちゃんが急に転校することになった。
お父さんの実家の方に引っ越すということだった。
引っ越す少し前からかなちゃんは宗教にのめりこんでしまっていた。
小学3年生の私には宗教とはなんなのか良くわからなかったが、神様と言う凄い存在の人がいて、その人にお願いするとどんな願いも叶えてくれるという事だった。
かなちゃんは、宗教に入信しているクラスメイトと良く話をするようになり、私のことはそっちのけでそのクラスメイトの子と過ごすことが多くなっていった。
毎晩、妹と家を抜け出してそのクラスメイトの家に行き、泣きながらお母さんに会いたいから神様にお願いしたいなどと言ったり、妹と二人でこの世から去ることなんかも考えていたそうでちょっとした問題になっていた。
そんなこともあってかお父さん一人では対応できなくなり、おばあちゃんの家に引っ越すことになったらしいとのことだった。
どこに引っ越すのかも聞けず、かなちゃんは引っ越してしまった。
住所ぐらい聞けばよかったと今でも後悔している。
その14年後、私が23歳の時に母親が胃がんでこの世を去った。
余命宣告を受けていたので覚悟はできていたが現実を中々受け入れられなかった。
その時もかなちゃんのことを思い出した。
23歳の私でもこんなに辛いのに、小学3年生で突然母親が死んでしまうってどれだけ辛かっただろう・・と。
生きていると色々な辛いこと、試練を経験すると思うが、その人が乗り越えられない試練は与えられない。
人間は何度も何度も生まれ変わり、その度に魂を磨くために試練を受けるという。
試練は必ず乗り越えられるものであり、その過程で人間は成長していく。
人間は皆、神様に近づくために試練を乗り越え、成長していくものであると。
かなちゃんは小学3年生であっても母親の死を乗り越えられる魂の器であったからこその出来事だったはず、だから絶対乗り越えられていると信じたい。
小学3年生の時に親友のお母さんが亡くなると言うこと、そして親友との別れがあった事は起こるべくして起こった最善の出来事であり、全て完璧だったんだと思う。
あのままかなちゃんのお母さんが生きていて、ずっとかなちゃんと親友でいられたとしてもそれに対するメリットだけではなく、デメリットもあるんだと言う事。
良い事と悪い事は必ず半々であってどちらかに偏ることはない。
かなちゃんがあの試練を乗り越えて元気でいると信じている。