豪雨の日の日記

すごい大雨の中を帰って来た。夫はもはや、なんだか楽しそうで、私はというと、鞄の中に人に借りた文庫本が入っていたのでぐしゃぐしゃにならないかとヒヤヒヤしてそれで苛々していた。人間の奥底に意図せず投げてしまった石、について、直面しなきゃいけなかった後に。ずぶ濡れになっても辿り着けた家は安心だった。
夫が、誕生日の私に、コンビニでスパークリングワインを買って来てくれた。誕生日ってほんとうに、毎年毎年うれしくなくなる。自分の身体は重く錆びてゆく。買って来てくれたボトルは、なんだか偶然に淡いピンク色だった。
人間の奥底は怖いけれど、でも私、このベリーの軽やかな泡は好きだ。

使い捨てじゃなかった身体を引きずって、人間の憎しむべきところを心底に知りながらも、それでも軽やかなピンクに沈む澱の深さを諦めない。37歳になった。もういい大人だし、まだまだ青いのだろうけど。何を以て大人と呼ぶのか、と考えたときに、私は全く、魂の容れ物(と考えていた)身体そのものを乗りこなせていないなと気づく。意識だけで生きてゆきたかったな。若い頃は、意識だけで生きて消えてゆきたかったものな。

「容れ物」に「魂」を規定されることも、きっとあるのにな。そしてその苦味はまた、きっと人生の深みだ。
20歳の私は、37歳の私を蔑むかもしれないな。そんな20歳の私を、37歳になれた私は、やっと抱きしめてあげられる気がする。

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