真澄鏡:遍路での経験を長歌と反歌に
四国には「お接待文化」がある。
年間10万人とも言われるお遍路が訪れる四国ではお遍路さんを温かく迎え、八十八か所参りを無事終えられるよう様々な形のお接待で支援してくれる。
春三月、満開の白梅が咲き競い鶯がのどかにさえずる山里の道を歩いていた時のことだった。道から一段下がった畑で働いていたおばあさんに呼び止められた。おばあさんとおじいさんの二人が畑の坂道を急いで登って来て袋に入ったミカンをお接待にとくださった。お遍路さんを見かけるたびにお接待しているのだという。
お礼を言って話をしているとおばあさんは隣に笑顔で立つおじいさんのことを語り始めた。孤独な境遇のこと、聾啞であること。ふたりは夫婦かと思ったがそうではなかった。おじいさんは苦しい境遇にありながらも今は山里で静かに暮らしていること、そしてお遍路さんの安全を願って遍路道である林道のカーブミラーを毎日磨いていると聞かされる。疲れたお遍路さんが喉の渇きをいやすことができるようにと、林道脇の湧水の手入れもしているということだった。
お礼を言って立ち去る際に私は自然に合掌をしていた。
これは徳島山中の焼山寺を打ち終え下山する途中でのことであった。道を下りながらカーブミラーを見るとどれも磨きあげられている。一体いくつのカーブミラーがあったのだろう。林道はやがて鮎喰川に出合うまで続いた。
阿波の国の 山里行けば 梅が咲き 鶯鳴きて 閑かなる 山里行けば 道の隈 八十隈毎に 清らなる 心の清き その人の 日ごと磨ける 真澄鏡 祈りの道の 幸くあれと 祈る翁の その心 うつす鏡に 我姿 いかにうつるか 怖れてえ見ず
山里の祈りの道の増鏡いかなる人のこころうつすや
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