斧篁

古典文学、和歌、俳句、漢詩などが好き

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最近の記事

腕を折る方法教えます

ロシアで「腕を折る方法教えます」という商売を始めた人がいるとニュースが伝えていた。 白居易(白楽天)にまさに戦争を逃れるために自ら腕を折ったという老人を詠んだ詩がある。「新豊の臂(うで)を折りし翁」である。長い詩なのでかいつまんでご紹介したい。 新豊に住む八十八歳の老人は右臂が折れ曲がっている。 いつ、何故臂を折ったのかと尋ねると、二十四の時 「夜深けて敢て人をして知らしめず 偸(ひそ)かに大石を将(も)て鎚(たた)いて臂を折る」 これで弓を扱うことも旗を掲げるこ

    • 死語

      突然ですが、「周章」という言葉はご存知でしょうか? そう「周章狼狽」の「周章」です。 「狼狽」は今でもよく使われますが、「周章」が単独で使われることは今はほぼないのではないでしょうか。 こういういわば半分死語のような言葉が時々あります。 「周章」だけでも「あわてふためく」という意味ですが、「周章狼狽」とするとほぼ同じ意味の熟語を繰り返すことで強調になるのでしょう。 そもそも「あわてふためく」も「あわてる」と「ふためく」と同じような意味の語の繰り返しで、こちらも「ふた

      • 初心忘るべからず

        初心忘るべからず、は世阿弥の言葉とされているが、『花鏡』には ・・・当流に、万能一徳の一句あり。  初心忘るべからず、   この句、三カ条の口伝あり。是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし。 とあって、もしかしたら世阿弥自身の言葉ではなく代々家に伝わる言葉かも知れず、あるいは父観阿弥の言葉かもしれない。 また、上の引用からは「初心忘るべからず」の意味自体も現代の我々が使う意味とは違っていることがわかる。

        • 真澄鏡:遍路での経験を長歌と反歌に

          四国には「お接待文化」がある。 年間10万人とも言われるお遍路が訪れる四国ではお遍路さんを温かく迎え、八十八か所参りを無事終えられるよう様々な形のお接待で支援してくれる。 春三月、満開の白梅が咲き競い鶯がのどかにさえずる山里の道を歩いていた時のことだった。道から一段下がった畑で働いていたおばあさんに呼び止められた。おばあさんとおじいさんの二人が畑の坂道を急いで登って来て袋に入ったミカンをお接待にとくださった。お遍路さんを見かけるたびにお接待しているのだという。 お礼を言って