子どもが主体のお話絵本

◆絵本を読むこととその難しさ
 絵本の良さとの一つとして挙げられるのが、子どもたちのペースで、子どもたちが主体となって、想像の世界で遊べることである。想像の世界は無限大で、その楽しさも無限大だ。
 ただ、人は生まれながらにしてなんでもできるわけではない。誰でも生まれた時は真っ白で、何も知らないし何もわからない。それから、さまざまな経験をすることによって、さまざまなものを理解していくのである。
 絵本も最初から自由に楽しめるわけでは無い。例えば、赤ちゃん向けの絵本は、大まかな流れはあるものの、物そのものを見せたり、繰り返しを楽しんだりするものが多い。要するに、子どもは最初はストーリーは理解できなくて、物を認識するのが精一杯なのだ。そして、経験を積み重ねることによって、だんだんといろんなことを理解し、楽しめるようになるのである。
 しかし、理解しただけでは絵本を読むことはできない。なぜか? 絵本をよく見て欲しい。もし「絵本」という概念をはずせば、めくるたびに違う絵が見えるだけである。例えそれぞれのページに描かれている物を、知識として理解できたとしても、本当に絵本を読んだことにはならない。絵本を楽しむためには、頭の中でページとページの間を補完して、想像の世界を作り上げ、お話を紡いでいかなければならないからである。
 その作業は、大人にとっては当たり前にできるのかもしれない。しかし、まだ脳が発達途中の小さな子どもにとって、それは大変な作業となる。そして、それをスムーズに行うためには、その作業に慣れるしかしかない。慣れるためには、当然少しでも多く絵本に接することが必要である。しかし、子どもたちを取り巻く環境は、どうやらそのような状況ではないようだ。

◆昔はよかった?
 昔、テレビが無かったころ、子どもたちが楽しむメディアとしては、絵本か紙芝居くらいしか無かったのではないだろうか。その頃、当然子どもたちは当たり前のように絵本を読んだはずである。
しかし、現在はテレビもビデオもある。子どもたちはテレビゲームも大好きだ。もしかしたらパソコンやスマートフォンにも興味を示しているかも知れない。これら新しいメディアを推奨する人の中には、紙媒体の絵本がこれらに代わるだけなので全く問題ないと言う人もいる。しかし、絵本とその他のメディアとの間には、決定的な違いがあるのだ。
 前述のように、絵本は想像して楽しむメディアである。また、絵本は子どもたち自身が、それぞれのペースで読み進めることができる。それに対して、テレビやビデオなどは一方的に情報が入ってくる。ぼーっと観て、聞いているだけで意味が理解でき、想像する作業をしなくても楽しめるのである。つまり楽なのだ。子どもたちは当然楽な方に流れる。
 しかし、テレビやビデオを子どもが長時間視聴することについて、日本小児科学会が2004年に警鐘をならしたレポートがある(1)。これによると、長時間テレビやビデオが流れている環境に置かれた乳幼児が、言語能力の発達が阻害されたり、コミュニケーション不足になったりするというのだ。またアメリカでも同様な提言がされていると言う(2)。
 このように、様々なメディアが溢れ、相対的に絵本が読まれなくなると、子どもの心の成長になんらかの影響が出てくるかもしれない。子どもたちが想像力や創造力を養い、豊かな心を育てるためには、絵本ほど有効なメディアは無いと思うからだ。そして、こんな環境だからこそ、もっともっと絵本の楽しさを味わわせてあげたいのである。

◆だからしかけ絵本
 テレビやビデオと比べて、楽しむのが難しい絵本に、どのようにして子どもたちの目を向けさせたらいいのだろうか? まずは、子どもたちが絵本を好きになることが必要だ。「絵本っておもしろい」と感じることが、積極的に絵本に取り組む第一歩となる。そのために考えられたのが「しかけ絵本」である。いろんなしかけを使って、絵本の楽しさを子どもたちに伝えるのだ。中には自分で手を動かして楽しむしかけもあり、テレビやビデオとは違った感覚で楽しめる。特に低年齢の子どもたちには有効だ。
 しかし一方で、しかけ絵本はおもちゃであり、絵本ではないという意見をよく聞く。しかけに目を奪われて、肝心の絵本の内容を楽しめないからだということだ。なるほど、確かにそう言う面もあるかもしれない。でも、どうしてそれがいけないのだろうか?
 例えば、一般の人が難しい本、例えば学術論文などを読むことになったらどうだろうか? 例えそれがいささか興味をもっている内容だとしても、かなり負担を感じるのではないだろうか。「こんな難しい本は読めない」と思ってしまうかもしれない。でも、写真や絵がふんだんに使われ、表現も柔らかくした雑誌のような本だったらどうか。同じような内容でも、わりとすんなり読めるのではないだろうか。面白いと感じたら、もっと詳しく知りたいと思うかもしれない。
 このように、あるものに興味を待ち、理解を深めるきっかけとしては、楽しく読める本は非常に有効ではないだろうか? しかけ絵本も、そんな役割があるのではないかと思うのだ。絵本を面白いと感じてくれたら、絵本に接する機会が増える。すると、子どもたちは自然とお話を楽しむ力を身に着け、さらに絵本を読むようになるのである。どんな事でも、子どもは楽しいと思わなければ、取り組むはずがないのだ。

◆読み聞かせはこうしなければいけない?
 絵本の読み聞かせ方については、いろいろな考え方がある。代表的なものと言えば、「絵本はできるだけ抑揚をつけないで、淡々と読みましょう」と言うものだ。なぜそうするべきなのかと言うと、「抑揚をつける」のはあくまでも読み手であり、聞き手である子どもの自由な発想のじゃまになるからである。なるほど確かにその通りだと思う。
 でもちょっと待って欲しい。前述のように、まだ絵本の経験が少なく、想像して絵本を読み進めることが難しい子どもが、はたして抑揚のない読み方で楽しめるだろうか?
 十数年前、絵本について大変興味深い実験をしたテレビ番組を観た。ある幼稚園の年長さんクラスで、4人の人が同じ絵本を読み聞かせし、子どもたちの反応を見るというものだ。
 クラスは20名ほどで、男女がほぼ半々ずつ。読み聞かせをしたのは「声楽家」「テレビのアナウンサー」「落語研究会の大学生」「ピアノの先生」の4人である。それぞれ、声を出す職業だったり、リズム感がよかったりと、読み聞かせがじょうずだと思われた。
 さて、結果はどうだっただろうか。
 まず、4人の中で、ほとんどの子どもが最後までお話を聞かないで、他の遊びを始めてしまった人がいた。
 その人は「声楽家」である。
 なぜそうなったのかを検証するために、それぞれの声を声紋分析器を使用して比べてみた。すると、「声楽家」が他の人と顕著に違っていたのは、とても張りのある声で、最初から最後までずっと同じような調子で読んでいたことである。
「声楽家」は、劇場の隅々まで声を響かせるために、おなかから張りのある大きな声を出す。そのような声に、子どもたちは興奮を覚えるようだ。パトカーのサイレンを聞くと興奮するような感じである。
 興奮した子どもたちは、最初はとても喜ぶ。しかし、そのうち絵本どころでは無くなってしまう。しばらくすると、体を動かしたくなって、部屋中を走り回り始めた。そして、みんな外に出て、遊具やボールなどで遊び出してしまったのである。
 この結果から考えると、子どもが喜ぶからと言って、あまり声を張り上げて絵本を読むのは、少し問題があると言えるだろう。
 一方、4人の中で、ほとんどの子どもが最後まで静かに絵本に集中していた人がいる。
それは誰か。
 …「落語研究会の大学生」である。
 同じく声紋分析器で調べた所、他の人と顕著に違っていた事があった。
 それは「抑揚」だ。
 落語家は、目に見えない状況を分かりやすく聞き手に伝えるために、しっかりと抑揚を付けて話すことが身に付いているのだ。
 この結果から、どうやら抑揚をつけた話し方をすれば、子どもが落ち着いて聞いてくれるらしい。
では、どうして抑揚をつけると落ち着いて聞いてくれるのだろうか。
 その番組では、「子どもが、お母さんのおなかの中にいた時の事を覚えているからではないか」と言っていた。その理由は次の通りである。
 子どもがお母さんのおなかの中にいる時は「羊水」に浮かんでいる。つまり、水の中で外の音を聞いているのだ。
 では、水の中では音はどう聞こえるだろうか? プールで泳いだ時に、水の中で聞いた音を思い出して欲しい。恐らく、外の話し声はほとんど聞こえず、物が落ちた「カーン」といった音や、「ボーン」という響くような音が大きく聞こえたのでは無いだろうか。実は、それが音の「抑揚」の部分なのだ。つまり、子どもはお母さんのおなかの中にいる時、音の「抑揚」の部分を聞いていたのである。
 お母さんのおなかの中は、子どもにとって懐かしい場所であり、とても安心できる場所である。そのため、抑揚のある読み方をすると、子どもはお母さんのおなかの中で聞いていた音を思い出して、落ち着いてお話を聞いてくれるという訳である。
 その後番組では、抑揚をつけた読み聞かせで本当に子どもが集中するかどうかを検証し、確かに落ち着くことを確認していた。また私が実際に読み聞かせをした経験からも、理由の真偽はさておき、抑揚をつけた話し方をすると、子どもが落ち着くことは確かなようだ。
 さて、困ってしまった。
 先ほどは、「絵本を読むときは、できるだけ抑揚を付けないで読むべきだ」と言っておきながら、「子どもが落ち着いて絵本に集中するためには、抑揚を付けて読むと良い」と言うことになってしまった。いったいどちらが正しいのだろうか?
 …答えは「どちらも正しい」である。
 つまり、まだ経験が浅くて、想像して絵本を楽しむのが難しい低年齢の子どもには、しっかりと抑揚を付けて読んであげて、落ち着いて絵本に集中できる環境を作ってあげる。そして、子どもが成長して想像力が豊かになってきたら、だんだんと抑揚を付けない読み方に移行していけばいいのである。
 子どもの成長に合わせて読み方を変えるのは、とても理にかなっているのではないかと思う。「絵本の読み方はこうあるべきだ」と言って、かたくなに抑揚を付けない読み方に固執するのは、「子どもを見ていない」と言う事になりかねないと思うのだ。
 また、絵本を読み聞かせる時の注意として、「読んだ後に声を掛けてはいけない」とも言われる。なぜかと言うと、せっかく子どもが想像の世界で絵本を楽しんでいるのに、声を掛ける事でじゃまをしてしまうからである。
 なるほど確かにその通りだと思う。
 でも、こういう考え方もできるのではないだろうか。
 例えばみなさん、お友だちと映画を観に行って、観終わった後「あそこのシーンが面白かったね」などと話しながら盛り上がった経験はないだろうか? 他者と思いを共有する事は、とっても楽しい事だと思うのだ。
 子どもも同じだと思う。絵本を読み終わった後、子どもたちに話し掛けてコミュニケーションを取る事は、絵本のストーリーを楽しむ事とは別の楽しみがあるのではないか。これだって、りっぱな絵本の楽しみ方の一つだと思う。
 絵本を楽しむのに、「こうしなければダメ」と言うことはない。それぞれの年齢、それぞれの状況に合わせて、それぞれ自由に楽しんでいいのだ。そして、絵本を大好きになれば、子どもは自ら想像して楽しむという絵本本来の楽しみ方を、自然と身に付けるはずである。子どもはそういう力を持っていると、私は信じている。ただ、最初はその力に気づかないだけなのだ。
 私は、子どもが絵本を楽しむプロセスを、よく自転車に例える。いきなり自転車に乗れる子どもはいないだろう。少なくとも私は聞いたことがない。
 子どもは最初は三輪車から楽しむと思う。三輪車は自転車とは似て非なる物である。絵本で言えば、赤ちゃん向けの絵本だろうか。絵本の体裁をとっているが、お話を楽しむのではなくて、主に物を認識して楽しむものである。
 次に自転車に乗るのだが、たいていの場合補助輪が付いている。この補助輪が絵本で言えば仕掛けである。一見自転車に乗って楽しんでいるように見えるが、補助輪の助けがあって楽しめるのだ。
 補助輪を取ったら、しばらくは後ろを持ってあげて練習する。この後ろを持つことが、絵本で言えば抑揚をつけて読み聞かせすることだ。そして、持っている手をだんだんと放していく。絵本では、だんだんと抑揚をつけないで読むようにする。
 すっかり手が離れれば、子どもは自転車でどこまでも自由に走り回る。絵本では、想像の世界で自由にお話を楽しむのである。

(1)乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です
日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会
https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/20040401_TV_teigen.pdf

(2)幼児期のメディア使用に関するアメリカでの最近の声明とわが国における今後の課題
森田健宏(関西外国語大学英語キャリア学部)
堀田博史(園田学園女子大学人間健康学部)
佐藤朝美(愛知淑徳大学人間情報学部)
松河秀哉(大阪大学全学教育推進機構)
松山由美子(四天王寺大学短期大学部)
奥林泰一郎(大阪大学大学院人間科学研究科)
深見俊崇(島根大学教育学部)
中村 恵(奈良佐保短期大学)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaems/21/2/21_61/_pdf

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?