【手記】昭和21年、北朝鮮からの脱出、そして生還[第9章]闇船の噂
[自動小銃の乾いた音]
洋服店にはよくワンピースを頼みにくるニコラエバという、ソ連将校の奥さんが勗君を見て、ほっぺが痩せているから自分のうちへ来いという。姉が勗君を連れて行くとお茶を御馳走してくれた。ソ連の将校といえど、食料事情はあまり良いとはいえなかったのに、お乳が出るようにたくさん食べさせなさいといって、「クシクシダワイ(たくさん食べさせなさい)」と言って黒パンにジャムをつけてくれ、ブドウ糖の塊をなめながら飲む紅茶もすすめてくれたそうだ。そんな時、ミシン油がないためミシンが動かないというので、姉が代わりに食用油をさして廻したらミシンが動き、ニコラエバは「マダム、ハラショー、ハラショー(素晴らしい)」といって喜んでくれ、お土産にビスケットやキャンディを持たせてくれたこともあった。
昭和二十一年のお正月も過ぎ、日も少しずつ長くなり、春にはまだほど遠いが、日本人一人一人の中に、何とかして日本に帰りたいという思いがじわじわと湧いてきた。そんな時、闇船の噂を聞いた。一人三千円で南朝鮮へ密航できるらしいという。その当時の三千円といったら途方もない大金であった。しかし、なんとしてでも帰りたいと思い、それからというものは、食べるものも我慢して必死でお金を貯えることに専念し、夜遅くまで働いた。折りしもソ連からの命令で夜間外出禁止令が出た。店から寝るところまで四、五分のところに帰るのにも足音を忍ばせて帰る始末だった。時折、自動小銃のパンパンと乾いた音が夜陰に響いて恐ろしかった。毛布を頭からかぶって部屋に戻った。
やっとお金の工面がついたと思いきや、今度は赤ん坊の分まで三千円いるという。がっかりしたが、仕方ないのでまたがんばって働かねばならなかった。店主の金さんにもわけを話して帰国の許しを乞った。
昭和二十一年の四月の初めに、やっと密航船に乗れたのである。興南の港で小さなスケソーダラの漁船の船底に三十人ほど押し込まれ、魚くさいのを我慢していると、日が暮れ、あたりが暗くなるのを待って船が港を出た。しかし、十分もたたないうちにエンジン音がピタッと止まった。全員が息をのんだ。誰かがソ連の監視艇に捕まったらしいとつぶやいた。男性はつかまったらシベリアに送られ、女性は奴隷にさせられるというヒソヒソ話が伝わった。赤ん坊は絶対泣かせてはいけない。姉はすでに船酔いでぐったりしてしまっていたので、私はとっさに乳など出もしない乳くびを赤ん坊に押しあて、必死で泣かせまいとがんばった。どのくらいたったのだろう。再びエンジンの音が船に響いた。船頭がワイロをつかませて見逃してもらったとのことだった。一同ほっとして目を閉じた。(つづく)