手記】昭和21年、北朝鮮からの脱出、 そして生還[第12章]あとがき
[道中に会った人びとに助けられたことは生涯忘れられず、感謝の気持ちで一杯です]
北朝鮮からの脱出行を半世紀以上たった今になって、書き留めておこうと考えたのは、二年前の平成十四年九月十七日の小泉首相の第一回訪朝がきっかけでした。以前より家族からも勧められいたこともあり、いつかはと思っていたのですが、五十九年前の出来事を今こそ書いておかねばと決心しました。
戦争体験談は今までにもたくさんありますが、北朝鮮から日本海側からの脱出の話は数少ないと思い、人生八十年の一頁ではありますが書き残しておこうと思いました。
どこをどう歩いたのか、写真も残ってはおらず、身につけていたものもほとんどなく心配はあったのですが、書き出してみると意外にも記憶が蘇ってきました。
今から考えますと一人であったら、おそらく助からなかったかもしれません。今日あるのも運の強さもあるのですが、赤ん坊まで連れて帰ってこられたのも姉妹で励ましあってきたおかげと思い感無量です。また、道中に会った人びとに助けられたことは生涯忘れられず、感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に、これからもずっと平和な世界をと願わずにはいられません。
平成十六年六月
谷内田(旧姓阿部)洋子
【母の手記に寄せて】
小泉元首相が北朝鮮に向かう以前は、母はそこでの体験は殆ど話しませんでした。戦後直ぐの苦しい時を過ごし、その後に訪れた高度成長を遂げたといわれた日本の昭和や、それから失われた30年といわれている平成以降の時代をどのような思いで日々を送って来たのか、実際は解りませんが、たかが70数年前に起こった戦争という名の暴挙に、口には出さなかったですが怒りを秘めていたと思います。また今、ほんの少し前の出来事が忘れ去られようとしている事を無念に思っていたことは私には解ります。
若い読者に伝えたいという母の思いをnoteに投稿できたことは感謝したいです。できるだけ多くの人々に読んでいただきたいと願っております。よろしくお願いします。ありがとうございました。
令和六年九月
谷内田哲夫