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母から音楽のプレゼント


母が亡くなってから、しばらくは
世界から音が無くなって静かになったような気がした
たくさん電話して愚痴を言ってたので、音じゃなくて会話が消えたのか
会話が減ったのが音が無くなったように感じられるのか

無音の宇宙に放り出されたらこんな感じなのかな、と思った

最近やっと母がよく台所でご飯を作りながら鼻歌を歌ってたのを少しずつ思いだして音が戻ってきた手応えもある
YouTubeで母が歌ってた曲も聴いてる
母が台所で鼻歌を歌ってると、私の夫がいつも「お母さん、機嫌いいですね」と言うので、決まって母は、「そお?悲しい時も歌うよ」と答えてた

ちなみに、ため息もよくついてて、夫がそれを止めさせるためにわざと「お母さん、どうしたんですか?」と聞いて、
「いや別に、深呼吸してるだけ」と母が答えてるのを何回も見た

とにかく、
バラが咲いた、とか、悲しくて悲しくて、とか、上を向いて歩こう、なんか母が歌うとすごく悲しく聞こえてた

りんごの歌も、希望の中になにかしら悲しみがある

知らない街を歩いてみたい、と歌い出すと、母が家を出て遠くへ行きたがってると泣きたくなったけど、その歌やめてとは言えなかった

母は泣きたくなったらそれを我慢するために歌ってたのかも知れない
カラオケも一回も行ったことないはずだけど、歌うのが好きだったんだ今思えば

百均でクラシックのCDもいつのまにか何枚も買ってて、ラジカセで聞いてたようだ
母はCDと言わず「ソノシート」と呼んでて、入院中のまだ起き上がって話せるとき、押し入れにソノシートいっぱい入ってるわ、と私に伝えてきた
このCD達もいつか全部聞いてみよう

母がクラシック好きだったなんて全然知らなかった

私は幼稚園の頃から小4くらいまで、ヤマハエレクトーン教室に通わせてもらった
最初は、音楽ノートに何回もト音記号を書く
母と一緒に何回も書いてみるけど、何回書いても、左右ひっくり返ってしまう

隣の席の一個年下の女の子は見事に一発で正しいト音記号を書いてるので、焦った
家で何回も何回も母と練習したが、大概左右反対になってる
母は呆れなかったが、私は自分に呆れて、鈍臭い私は人の何倍か頑張らないと人並みになれないんだと自覚したのがこの時だった

家にエレクトーンもピアノもなかったので、五線紙を床に置いて、指をのせて音階の練習をした

そのうち母の母:祖母のボロい足踏みオルガンがもらえることになり遥々田舎からやってきた

嬉しかったな
本物の鍵盤で弾けるんだから
一回だけ祖母がオルガンを弾いてくれたことがある
うちの家に来たのはわずか数回なので、よく覚えてる
祖母は女学校出で祖母の夫が亡くなったあと小学校の先生をしてたせいで、オルガンが弾けた 曲はチューリップの花だったかな、上手だったのになんか悔しくて、すごーい、なんて言わなかった気がする

そのあと私は、ひらがなの、あ、がうまく書けないと母に言うと、母がおばあちゃんは先生だったからお手本を書いてもらったらと提案してきた
ところが祖母が書いた、あ、の文字がつながり文字だったので、頭が硬いわたしは、「これは違うー」と怒りながら騒ぎたてた覚えがある
母は珍しく私を軽く叱ったが、祖母は困ってただけでなんにも言わなかった 可愛くない孫だった

そのうちピアノが習いたいといつか言い出したようで、
母は内職❗️
(この時代集合住宅の主婦達はほぼやってたんではなかろうか、ご近所で分担できるから業者も喜んで持ち込んできてた)
を頑張って何年もかけてお金を貯めて、とうとうヤマハのアップライトのピアノを都会の楽器屋さんで小4の時に買ってくれた

いよいよアップライトピアノが来る直前、足踏みオルガンがいとこか誰かにもらわれることになった
軽トラが迎えにきてオルガンが荷台に載せられて去っていく姿、切なくて泣いたし、さよなら!と叫んだ気がする
初めて味わった大切なものとのお別れだった

それこれ思えば、母も音楽が好きだったんだ
音楽が好き!という本人の言葉は全然なかったけど、歌ったり、クラシック聴いたり、完全音楽が好きとしか言いようがない
だからヤマハへ行かせてくれたり、ピアノも買ってくれたんだよね いい音楽を、たくさん聞きなさいと言われてあとステレオも買ってくれた
ただ、レコードが高かったから買えなくてそんなに使わなかった

母本人は全然CD買ったり、コンサート行ったりしなかったのはなぜ?
贅沢しなかったってことなんだろうな
どこまでもいっても清貧で悲しくなる

私が小3までは、都会のヤマハ音楽教室まで一緒に電車に乗って母もついてきてくれてて終わるまで後ろで待ってくれていたが、
いつだったか弟が軽い交通事故にあって、近所の人に家をあけるなんて、と言われたらしい
それから母が家を空けないようにしたせいで、都会のヤマハ教室へは電車に乗って一人でいくようになった
母に、駅は何番目で降りる!車両は何番目に乗る!と色々叩きこまれたが、最初は怖くて母を恨んだ
学校帰りの高校生におちょくられたこともあるが、大体トラブルもなくそのうち慣れてなんとか行けるようになってた

官舎住まいでピアノはかなり近所迷惑だったが、夜8時までしか弾かないという約束で自分なりにピアノも好きでたくさん練習し、音大へ行けるよと先生が甘い言葉で誘い始めた

でも結局、音大へ行くまでにいろんな先生にお稽古をつけてもらう必要があり多額の費用がかかりすぎると気づき始め、
中1くらいで引越しと共に音大へ行くのは諦めたが、高2くらいまで趣味でピアノを習わせてもらった ありがたいことに

自分の家にそんなにお金がないことを当時は残念に思ったが、
いまこうして私も音楽が好きで、少しだけピアノが弾けることに感謝してる
落ち着いたら、アンドレギャニオンの「めぐりあい」練習してみたいと思ってる
なぜかあの曲にものすごく癒される

不思議だとおもったら、父の葬儀に使われてた曲だった 父との思い出はものすごく少なかったが、葬儀中ふいに、足を踏まれて泣いた私を庇った父を思い出した
懐かしくて温かい記憶を呼び覚ます力がこの曲にあるのかも

それとYouTubeで見たのか、中年男性の方がストリートピアノでこの曲を演奏されていた
確か長年勤め上げた会社の方々とその日送別会で、その帰りに元同僚に感謝を込めて、と言われてたが、あんなに味のあるピアノはなかった

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