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母が逝ってしまった

2024.7.17母が私を遺して逝ってしまった
斎場へいく車の中から、ぱらぱらと道に沿ってひまわりが咲いてるのが見えた
悲しみでうなだれ、私の乗っている車を見送っていた

夕焼けで、この世とは思えないほど空が赤く染まり、當麻寺で母と見た練り供養を思い出した

極楽浄土の遠い、私の及ばないところへ中将姫のように母が向かっているのを感じた
とても優しい人だったから、きっと極楽浄土に行くのだと
涙が止まらなかった

それからというもの、
世界でたった一人取り残されたような気がして毎日泣いて暮らしてる
幼稚園の入園式で、保護者席からずっと離れて前の方の子供の椅子に座った時の、あの心細さが不意に込み上げてきて抑えきれない

砂場で泣きながら一人で遊んでた時も、先生がどうしたの?と聞きにきてくれたけど、母がいなくて寂しいとは言えず、黙々と砂を掘ってたあの頃

私が生まれてから母は私のつまらない愚痴に50年以上付き合ってくれて
亡くなる直前まで聞いてくれていた

詳しく書くのがまだ辛い
この現実にどう立ち向かえばいいのかわからない
イマジネーションの力で、母を私の心に蘇らせることができるまで、
まだまだ相当時間がかかる

今日も実家で線香守りをしている
母が新品のまま使ってなかった洗顔フォームをパッケージから開けて使わせてもらおう

母は、最近買ったことを忘れる傾向があったので、使い損ねていたのか

去年田舎へお墓参りに行った後帰りのバスの中で、母はせん妄が見え始めた
母の家に帰ろうとしてるのに、
「実家から離れて私、どこにいこうとしてるの?」と言い出した
大丈夫、お母さんは私と一緒に家に帰ろうとしてるよ、と伝えると、よかった、と安心したようだった
帰っきてすぐに、大きな病院の認知症外来に付き添って連れていった
テストを受けた
記憶はなかなかいい点数が出たが、認知症の前段階のMCIだとわかった

以来、週一回の体操教室を週2回にした
もっと一日いさせてもらえる認知症予防のコースもあったが、
母は人が多いのが苦手なので、それはやめておく、ということにした

それがなんの意味があったんだろうか
真面目にいってて、入院の直前まで通った

筋肉なんか全くつかなかったし、結局は家族が母を助けないといけなかったのに、
私の気が緩んだとしか思えない

大好きなお母さん、ずっと寂しかったって
最後にやっと本音を言ったよね

本当にごめんなさい

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