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官舎に咲く幻のコスモス畑

私が幼稚園に入った昭和45年頃から
公務員の官舎に住んでいた
高度成長期ど真ん中
同じ建物内に住んでる家族の父親は全員同じ職業で、若いファミリーばかりだった

官舎の建物の入り口に一番近い1階の部屋に家族4人が引っ越した
代表の固定電話が最初から取り付けてあって官舎の住民にかかってくるすべての電話を取り次いだり、他にも仕事がいくらかあったようだが覚えていない、
とにかく管理人家族の一室だった

誰よりも早く入居した管理人室だったからなのか、
父のいない夜中に、いきなり玄関の鍵を開けられて電気の点検者が土足で入ってきたことがあったらしく、
子供を抱えて恐怖を味わったと母の語り草になった

若いのに管理人なんて生意気と陰口を叩かれて、
母は官舎内のリーダ格の少し年上の奥様グループから妬まれたり無視されたりしてた

父親が酔っ払って大声で叫びながらよく帰宅してたせいもあると思う 
家の鍵を持っていかない人だったので、間違って深夜よその部屋のドアをどんどん叩いて開けろと騒いで近所さんを起こしてしまったり

弟が官舎の建物の壁に、キャッチボール相手がわりに何回も何回もボールを当て続けたり、
2階の部屋のベランダに野球ボールを入れてしまったせいで、ガラスが割れた騒ぎまでいってなかった気がするが、
管理人の子供がやらかしたと言われてたり

奥様リーダー格が、私とたった今一緒に遊んでる友達の名前だけ呼んで
「〇〇ちゃんうちの息子と写真撮るからこっち来て」と彼女だけ呼び寄せた時は、露骨さに驚いた

このリーダー格の取り巻きの一人が弟の友達のお母さんで、
母のことをいい人だと言って取りもち、
官舎を出たあとは、母は取り巻きグループと一緒に日帰り旅行まで行くようになってる

いろんな理由があったんだろうが、
冷たくされることがよくあり、
母は私にいろんな愚痴を言ってきた

母の母つまり私の祖母には、愚痴を聞かせても「お天道様がみとってや」と言われるだけで、まともに話を聞いてくれなかったらしい
もとよりとても無口で清廉潔白な人だった

母は、自分の父親が早くに亡くなっててそれを理由に意地悪してきた同級生や先生にも屈しなかったと自負していて、
いつも、負けるもんか、が口癖だった

官舎内の家族旅行にも行きたくないとは言わず、
ちゃんと私と弟を毎回連れて参加してくれた 意地悪しないで中立の人達もいたからだ

父親は一回も参加しなかった 
普段の行いが恥ずかし過ぎたのか、来ない理由の説明はなかった

私は母の面目が立つように、
写真撮影に誘わない大人を含めてすべての近所の大人に「こんにちは」「こんばんは」と礼儀正しく挨拶をし、
学校でも勉強を頑張り、私の品行方正さで近所で母の評判を上げることに少し貢献した

私が小2だったかある日、
母が、自宅のベランダの前面部分の地面にたくさんコスモスのタネを撒いて、
毎日水飛沫の向う側に虹を描くくらい大量に水やりをし始めた
農家出身の母は育てることが得意だった
後年私もこれを再現したくて、
コスモスのタネをたくさん庭に撒いたが、
全部すずめに新芽を食べられ全滅した

それが秋になるとどんどん背が高くなり、
部屋からベランダ越しに見えるくらい一面のピンクのコスモスの花がいつまでもかわるがわる咲き出した
草木の少ない殺風景な灰色の官舎の風景の中に突然現れたピンクのコスモス畑

嬉しくて嬉しくて、毎日見惚れてた
作文でクラスのみんなにコスモスのことを発表したのか、
私のライバルの親友である女友達がコスモスを少し分けて欲しい、と言い出した
強欲な私が嫌々母に聞いたら、むしろあげるのが嬉しいくらいの勢い

女友達が持ってきた植木鉢にコスモスを植えてあげてる時の母は、満面の笑顔で幸せそうだった

でも、しばらくすると、
管理人が官舎の前の土地を勝手に利用してる、と誰かに言われたらしい

そのコスモス畑はその年一度きりの幻となった


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