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遠い太鼓・旅・2発目の着弾は無かった
「四十になろうとしていたこと。それも僕を長い旅に駆り立てたものの一つだ。・・・ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。」
これは村上春樹1949年生れ。今76歳。《遠い太鼓》冒頭の一節です。
うらやましいです。何がって?
村上春樹は、1979年《風の詩を聴け》で群像新人文学賞を受け30歳でデビュー、その後世界的な作家になっています。
ベストセラー作家として世界的に名が知られてはいますが、ノーベル文学賞に何回もノミネートされながら受賞しない作家としてでも有名です。
中国でもベストセラーです。特に若い人たちに。何故ですかねえ。
もしも文化大革命(1966-1977年終結)の時にあるいは又、それが今、2025年の日本だとしよう。
仮に、妄想として、でも安易で手抜きの彼のアバターとしてではなく、余計なお世話だけれど。怯えながら強引にですが。
村上春樹は、ひょっとして山の中のポツンと一軒家の広い庭の中の深い森の中の誰にも見つからないトンネルの中の奥の方で、一所懸命に今の世界を描き続け必死に今の病んでいる人類について執筆を続けているとしたら。
安全と思っていた穴の入口から、銃を携えた紅衛兵とかなんとか名乗るどっかの国の警察公安もしくは民衆軍に見つかり引っ張り出され、天安門広場かなんかで首に謀反人の知識人の看板を架けさせられて引きずり回された挙句、火あぶりの刑かなんかで処刑されたかもしれません。でも彼は日本人。いまのところ。良かった。
ノーベル文学賞にノミネートはされるけれど受賞はできない。関係あるのかなあ。
とかく支配者は自己陶酔の未来を創る。時にはSF作家が描くような子供じみた未来を実現しようとする。それを歌や踊りや儀式で子供たちにも教える。自由は犯罪であり不正義であると教育する。そこでは洗脳ではなく教育と言う。
やがて街中の看板や表示物は支配者の肖像画やアバターで埋まり支配者の常識日常が完成する。滑稽な未来。怖くて面白いヒーロー漫画。
支配者はほくそ笑み凱旋パレードで手を振る。
そして他のコミュニティ、民族、人類の持つ資源を強引に奪取するために脅威のイベントと恫喝を常態化する。
村上春樹の示す希望の無い未来はそういう支配者のつくるシナリオを否定する。
きっと彼の著作は一部の支配者には脅威となる。
絶望的未来について考えさせるからでしょうか。
人間にとって自由とは何か、自由を束縛された時人間はどう生きねばならないのか、そして支配者にとって都合の悪い未来とは。
救いようのない人類、あるべき人間の未来とは。
えっ、彼はそこまでは言ってなかったでしたっけ・・※小さな文字のテロップが流れる:あくまでも個人の感想ですすべての人の不幸な未来を約束するものではありません。
未来には、明日には希望が見えなければいけないです。とにかく。
♪希望と言う名の~あなたをたずねて~♪
さらに、この作家は暗いです。読むと気が滅入ります。
病理学的には病んでるとしか言いようがありません。
僕が心療内科の医師であるなら、統合失調症か成人発達障害かの病名を付け、睡眠誘導剤を100年分処方します。
極めて個人的な感想で、例え話、フアン読者には申し上げにくいのですがこの大作家は真面目過ぎます。正直です。見たまま感じたままを素直に、人間としてのわかりやすい言葉を使い丁寧に書きます。
時には小学生の夏休みの宿題の絵日記みたいに。
しかし良く描けた1万5千年前の象形文字のように。
そう、《遠い太鼓》が発表された1993-35年前。当時の様相と、今の世界はあまり変わっていないのかもしれない。
物とカネの価値や量はは目まぐるしく変化し、人間はそれらに幻惑、翻弄され、行き詰まりの無差別殺人や行き場やシェルターを持たない子供たちの自死。短絡的なカネ稼ぎの殺人。戦争と言う名の大量殺戮。未来は見にくい。
で、やはり村上秀樹。
なぜか暗い穴やトンネルにもぐったり、高い壁に囲まれた街の話。ひょっとして彼は子供のころお仕置きで狭い押入れに閉じ込められていたのかもしれない。恐怖と孤独に震えながら夜明けを拒否する暗闇の中で。
これはあくまでも個人的なイメージ感想です。彼についての。
事前の言い訳。
さて、絶望の先に希望を見つけなければならない。
そして生き続けることを強いられるのが人間の宿命・・・
僕の父は息を引き取る前にこう言い残したはずだ。
「・・・生きることを諦めるな」
村上春樹はある日突然そう思ってか、ふらっと旅に出る。旅日記を書きながら旅費を稼ぎながら。いいなあ。
noteに何か書いている同志(そう、仲間であり戦友でもあると思っていますが)はみんなそう思っているとします。勝手に。
そしてローマから地中海のいろんな島をめぐりながら日本の出版社か何かに記事原稿を送り・・
憧れますそういう生活。更に嫉妬さえします。
男なら、おっと最近では女子でもいいのですが、気ままな旅、誰でも夢見ます。国内旅行でもいい。
♪あ~あ~日本のどこかに~・・私を待っている人がいる・・♪
待っていないかもしれないけれど。
日本の昔、思索家遊行上人のひとり、踊り念仏をひろめた僧一遍1239生れー1289年没60歳。
唐から命がけで教えや儀式などの知識を持ち帰った弘法大師空海774生れ-835年没61歳。
そういう昔の著名人、すごい冒険家野心家でかつ思索家の先達たちの「旅」には確たる目的がありました。
布教や修行戒律や人々の救済のためにと言う大事な役割を自分に課しました。
凡人はそれほどに覚悟しない旅が良いですね。僕にはとてもまねできません。
他人のために好きなことを我慢したり、毎日やらなければならない大事な修行や「旅」は必要不可欠だったようです。
山田洋二監督、渥美清1928年生ー1996年没の「旅」はまたこれはこれで憧れますが、山田洋二監督と渥美清と観客みんなの夢でしょうか。
個人的なロマンや夢、思い込みは多少はた迷惑を伴うものです。でも楽しくて泣けて笑えます。
なんとなく成り行きの旅。非日常との出会い。風に誘われ雲を追う。
憧れです。大きな虹のアーチが見れるかもしれないし・・・
ちゃんと働いて余裕のある高齢者さんたちは定年退職後のいわゆる余生をあちこち旅して過ごす。できれば愛するパートナーと。ひょっとして求婚の殺し文句として人生を保証するようなそう言う大嘘も許されたりして。お互いの希望を担保する言葉として、結果はともかく。
《遠い太鼓》。僕はこの本を手にしたのはどっかの街の古本屋の軒下、埃だらけのワゴンで見つけました。
内容は良く読まなかったけれど、タイトルが良いです。遠い太鼓・・。
569ページ。一行43字×17行=41,593字=400字原稿用紙1,039枚
購入価格480円だったかな。厚くて重い文庫本ですが読み応えあります。損得勘定は別にして。
ここで村上春樹についての評論を書くつもりは無かった。
もっともっと気になることがたくさんある。生き続けるためには。
当時僕はいろいろ面倒くさい事情があって東京六本木界隈から命からがら逃げ出し、その細長い海沿いの街にいた。
年寄りが多い街だ。年中葬式が多い。そしていつでも太鼓の音も聞こえる。僕の住むぼろアパートの近くで儀式の練習をしている。
♪とんとこトントコ祭りの太鼓♪
潮騒と太鼓の二重奏が心地よい。何故僕がそこにいるのかはよく分からない。
若い頃の話。成り行き?、運命とまでは言わないけれど。神の思し召しのままに・まさか。
その街で思い出したのです。湿っぽくて暗くて自分以外に誰もいない部屋の隅で。
遠い太鼓を聴くように。ずっと昔の無謀な旅の話を。無数のセピア色画像アラベスク。
!ヒュルルルル~~ど~ん!!!・・太鼓の音ではない。潮騒も聞こえない。
えっ?ここはどこ?夢?
俺はカブールにいた。
シルクロード南の陸路カブール。
我々7人の調査隊が、次の目的地バーミヤンに向かうための分岐点であり交易の街。
ベースキャンプみたいなものだ。
一応この国の首都ではあるが瓦礫と土埃の街である。
近くのバザールまで向かおうと少しでも歩くと、赤いキャラバンシューズがこの路特有の土色となる。
靴は、どこまでも続く大地の恫喝に怯え土漠と同化し、恭順の意思表示として諦めの土色に変る。
やむを得ない。抗えない。この大地には。
そして何千年と続く争いと商いでの戦いはすべて神の思し召しによると教えられる。
このあたりでは神が最終責任を取るようだ。
嘘や詐欺的取引がバレても胸に手を当て「インシャ―・アッラー・・」「神の思し召しのままに」だ。
自爆テロでも「インシャ・アッラー」と叫びわが命を捧げる。そしてこの界隈の支配者は神に依存し神を利用する。常に。
そうやって過酷な自然環境の中で命をつなぎ何千年も生き抜いてきた。
俺はある朝、カブールインターコンチネンタルホテルの部屋で目が覚めた。
この街では高級ホテルのランクらしいが、ここはシャワーの水が出ない。
俺とカメラマンの二人はその部屋のそれぞれの壁際に横たわっていた。
昨夜は良質のハッシシを布のクリーム絞り器みたいなアフガン式パイプを使い何人かで回し飲みをした。
カメラマンはベットの上だが、隊長の俺は涼しい床の上に誰かの遺体のように寝ていた。
何千年もの昔から無数の支配者が関与したがるこの道路は誰の管理下にも無い。
極彩色のトラックが時折駆け抜ける。
土埃を巻き上げながら猛スピードで走る。間延びした独特な音楽を大音量で流し疾駆する。
シルクロード爆走族。無法者なのか、あるいはそれがこの路を安全に走るためのルールなのか。そして「神の思し召しのためにインシャアッラー!!」
自分の荷物を抱きかかえ猛スピードの車の荷台にひしめきしがみつく人々の日常。
俺はアルミ製のぼろい柄杓で、歪んだバケツから生ぬるい水を汲み、汗ばんだ体にかける。汗は土埃りの一部として滴る。
ヒュルルル~~ン・・・。2回目のど~んは無い。別にそれを待っていたわけではないけれど、どうやらこのホテルが標的ではなさそうだ。耳を澄ます。
着弾はどこかその辺の土漠の干からびた畑か土手か。
俺はサックの両端を合わせると鋭い刃が飛び出すアフガンナイフと小型カメラを手にして床から身を起こした。床にはじっとりと汗の跡が残る。
これが今回の旅の始まりだった。どうやらこの物語は長くなりそうだ。
Wikipediaによればこの道路の成り立ちは紀元前2世紀から始まるとあるのだけれど、書くのに2千年はかけたくない。その気力はあるけど、あと30分くらいしか体力とPCのバッテリーが持たないし。