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ロマサガ2リマスターには、「意志のあるバグ」がある

地獄爪殺法は30年かけても見切れない

ロマサガ2は30年の時を経て完成した、と思った。といっても話題の新作『リベンジオブザセブン』のことではなく、昨年遊んだ2Dのリマスター版について今日は語らせてほしい。

2017年にSwitchとPS4に移植されたロマサガこと『ロマンシング サガ2』のリマスターは、あの頃の思い出をそのままに、時代に合わせて遊びやすくなった良リメイクである。例えばダンジョンやマップ、吹き出しのデザインなどは16:9の画面に合わせて現代風に作り替えられているのだけれど、キャラクターがドット絵のままなこともあり、遊んでいて変化に気づかないほど違和感のない作りだった。

こうやって比較してみると結構違ってることに気づく

他にも技や陣形の効果を確認できるようになっていたり、ダッシュの時の視野が狭くならなくなったり、より体感的なところだと「触手」のヒット音が少しだけ痛くなさそうになっていたり(!)と、全体的にユーザーフレンドリーな設計へと修正されている。開発期間と容量の関係からか色々と説明不足で未完成だと言われ続けていたロマサガが、30年の時をかけてようやく完成したのだ。

だがそんな中でも修正されていなかったポイントがあって、それは「地獄爪殺法の見切りを継承できないバグ」である。バグが多いことで名高いロマサガであるが、「キャット銀行」や「不法侵入」「嘘をつく装備」といった、その他のバグがバッチリ修正されていたにも関わらず、だ。

30年あったんだから直す時間がなかったはずはない。有名なバグだから見落としてたという言い訳もおかしい。これはもう、制作スタッフがあえて残した「意志のあるバグ」なんじゃないかと思っている。

シーフギルドの男が「壁にめり込むバグ」もあるが
こちらは人気があるから残されたのだと推察


どうせなら理不尽を楽しみたい

ロマサガは元々不親切で初見殺しなことで有名なゲームである。ザコ敵が異常に強かったり、逃げると敵が強くなっていたり、七英雄となぜ戦っているのかわからなかったり…。でもそんな理不尽なところこそが本作の魅力であり、30年経った今でも僕らが細部までをしっかり記憶できている理由だと思う。そういう意味でリマスターはロマサガの大事なところをちゃんと「継承できている」。

より具体的にいうと、パイロヒドラみたいに図体がデカくていかにも強そうな雑魚だけじゃなく、弱そうな雑魚敵まで理不尽に強いのがいい。せっかくロマサガをやるんだったら、ミスティックのような普通の人型に気弾をくらって、ポコって弱そうな音で想定外に999ダメージを喰らいたいし、砂漠やジャングルで陣形を乱されながら遭遇した体積小さめの鳥から地獄爪殺法を喰らって、縦一列に780ぐらいのダメージで全滅したい。

音とダメージの比例しなさでいうと彼岸島といい勝負

そして全滅して出てきた4択から不本意ながらも消去法で次の皇帝を選んで(ハンターとかノーマッドとか)パーティをまた一から集め直したいし、候補があまりにイマイチすぎた場合はルドン高原送りにして再チャレンジしたい。なぜなら、そのほうがロマンシングだから。そういう想定外の理不尽こそが、このゲームでしか体験できないオリジナリティだからだ。

今どきのゲームは親切で、バグやおかしな仕様は普通直してしまうものだ。現にこのリマスターも他の部分は気づかないうちにとても遊びやすく修正されている。あえてここだけ残していたのは「時にはザコの地獄爪殺法で理不尽に全滅することもロマンシングである!」と、制作サイドも思っていることの表れなんだと思う。

このパーティで七英雄と対決するぞ、と
思った矢先に訪れるロマンシング(想定外)な事態


正しさよりも楽しさを語れ

昔のゲームは欠点がある。だがそれが味でもある。現代にリメイクする場合は、どこを変えるかよりも「どこを変えないか」の方にこそ、制作側の意志や思想が見えるんじゃないか。 

そもそもゲームの「バグ」が忌み嫌われる存在になったのはいつからだろうか? かつてゲームにはバグから生まれた発明があった。インベーダーゲームの名古屋撃ちや、ストⅡのキャンセル。それから燃えプロのバントでホームランに、FF3の飛空挺なんかがそうだ。マリオ64が発売から30年近く経った今でもタイムアタックで楽しまれているのは、日々新しいバグをプレイヤーが発見しているからである。

そのどれもが今だと正しく「修正」されてしまうのだろうか。プレイヤーがデバッカーの役割を果たし、不具合はアップデートで修正できてしまう現代。あえて間違いを放置しているのはロマサガかデスクリムゾンぐらいだろう。バグとは本来、制作側が意図しないこと。でも、意図しないがゆえの愛おしさがあったと、今振り返ると思えてくる。正しいことが楽しいこととは限らない。グレーゾーンのない潔癖な社会は危ない。バグという想定外のノイズ、それは正しさを過剰に求める時代に抗う力なのかもしれない。 

バントでホームランのバグがあったから歴史に名を刻めた


バグとは想定外を愛すること

そんなバグに厳しい現代において、興味深い兆しがひとつある。「The Glitch Prison」というゲームをご存知だろうか。自分も動画を見ただけのエアプ勢なのだが、なんでも「バグを駆使して脱獄する」というコンセプトのバグってることを前提にしたゲームらしく、体を異常な角度に捻って隙間を抜けたり、壁を突き抜けたり、ワープポイントを発見して脱獄を目指すようだ。

トレイラー映像を見て思ったのは、果たしてこれはバグなのか、それとも演出なのか、という疑問だ。想定外の挙動をすることがバグであり、開発側が把握してるならバグではない。単に障害物を抜ける際のエフェクトを「バグ」と呼んでいるだけか、それとも本物のバグを発生させているのか。できれば後者であってほしいし、そのほうが素敵だと思う。


ゲームにおけるバグとは、想定外のノイズでありロマンである。そして意志のあるバグとは、その想定外を愛する姿勢の表れだ。僕がロマサガリマスターのことを大好きなのは懐かしいところが「変わっていない」からじゃない。シリーズを通して貫き続けてきた、想定外と対峙する意志が、その思想がカッコいいと思うからだ。モブキャラが無意味にちゃんと壁に埋まること。地獄爪殺法でちゃんと全滅できること。ロマサガというゲームが「そういう作り」になっていることに、懐の深さを感じてしまう。

そして、いよいよ今週発売される新しい3Dリメイク『リベンジオブザセブン』である。すでに体験版やさまざまな情報が出回っているなか、実際にプレイするのが楽しみでならない。ネット上では早くも原作からの変更点に賛否両論が生まれそうな予感がある。キャラクターが美男美女ばかりになったのも、七英雄が人間になっているのも良いと思うけれど、引き続き地獄爪殺法だけは見切れないでいてほしい。それはゲームの話じゃなく、思想の話だからだ。

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