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できたことにしてしまえば、できる
「がんばれ」という言葉が苦手だ。励ましていただいているところ大変申し訳ないのだが、頑張るかどうかは自分が決めることだし、究極頑張ったからといって上手くいくかもわからないからだ。同様に「君ならできるよ」という励ましの言葉も僕はあまり信じられない。気持ちはありがたいけれど、未来はわからないしその予測も信憑性が不明だから、無責任な嘘にも聞こえてしまう。
『おくすり飲めたね』は、そんなネガティブ思考寄りの僕がかつて衝撃を受けた医薬補助品のネーミング。今でも薬局の待ち時間にパッケージを見かけるたび思う。「いや、まだ飲めていない、正確には。99%飲めるかもしれないが、1%ぐらいの確率で飲めないかもしれない……」。それでも、飲め「た」と過去形で言ってくれているのがいい。不確定なはずの未来を、過ぎ去った過去として断定しているのが、とてもいい。
にがーいお薬が飲めるかどうか不安な子どもとその親にとって、「飲めた」は、「飲もう」や「飲める」よりも圧倒的に強い肯定であり激励だ。もちろん冷静に考えればこれも無責任な嘘なのだけど、時制を過去にぶっ飛ばすことで半ば強引にポジティブな未来を予感させたところにコンセプトの妙があると思っている。未来はどうせわからない。わからないなら1000%揺るがないものとして、ポジティブな結末を言ってくれる方がいい。
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『ブレードランナー2049』で知られるドゥニ・ヴィルヌーブ監督の映画『メッセージ』には「未来を思い出す」というセリフがある。未来はすでに存在しているがまだ遭遇していないだけで、やがて必ず追いつくもの、という特殊相対性理論に基づく考え方だ。「おくすり飲めたね」は難しくいえば、特殊相対性理論を体現した概念だ。逆に身近なものでいえば、北斗の拳の「お前はもう死んでいる」に似た概念であるともいえる。少し下の世代の方には綾波レイの「あなたは死なないわ」と言った方がわかりやすいだろうか。無責任な断定は時に絶対的な強度を持つ。そこには「絶対飲めるよ」と励ますよりも強い「絶対」がある。ものごとは過去にすると強くなるのだ。
今は未来があまりにも不確定な時代。無責任でもいいから「誰かに1000%断定してほしい」気持ちがあるのかもしれない。自己肯定感が不足してると言われる世の中だけど、いっそ僕らが今後やろうと思ったことは全部過去形で話していけば良いのではないか。資料できたね。プレゼン勝ったね。仕事終わったね。試合に勝ったね。志望校受かったね。そんなふうに既成事実として語っていくうちに、やらなけきゃいけなくなって本当にやってしまえることもある。人間の歴史なんて、案外そういうハッタリが作ってきたものなのかもしれない。過去で話せば、世の中はもっと励まし合える。
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特殊相対性理論を体現した映像と構成が独特で美しい