a (k)night story ~騎士と夜の物語~⑬
再び意識を取り戻したサー・ユージーンは、先程倒れた姿のままで床に横たわっていた。
どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
少しではあったが、室内はここに入ってきた時よりも確かに薄明るくなってきているようだ。
ぐるぐると回る視界に顔をしかめ、身を起そうとした彼は、身体が泥のように脱力して重く、指先ひとつ動かせなくなっていて、影のようなものが彼の身体の上にいることに気付いた。
バルコニーからの薄明かりが彼の視界を照らし出しているが、黒い影はあたかもそのものから闇を放っているように輪郭も定かではなく、ただ、闇の中に光る二つの紫の瞳だけが、何者かが確かに存在していることを知らせていた。
闇の中に低く笑い声が響いている。
「お目覚めですのね」
「お前は・・・。
お前が、ジャンを殺したのか?・・・お前は一体誰なんだ」
「私は私ですわ。あの弓兵は私を傷つけた私の仇。
忘れてしまったの?私とあなたが出会った時のことを」
「俺がお前と出会った時?・・・まさか、そんなはずはない」
「ふふ。
あなたはあの時のまま・・・。
いいえ、纏っている血の匂いが濃くなって、身体の傷痕も増えているのね。
でも、それはあなたがこれまで生き抜いてきたことの証。
とても良いわ。
私が求めているのはそんなあなた。
さあ、あの時のことを思い出させてあげる。そして続きをはじめましょう?」
黒いサキュバスは彼の顔を覗き込むと、まるで親猫が子猫にそうするように顔の傷を冷たい舌で舐め、サー・ユージーンは身体全体が総毛立つと嫌な汗が噴き出し、自分の口から声にならない悲鳴が上がるのを聞くと彼はその時、あの討伐の場でなにがあったのかを見た。
***
兜の下から青年と見受けられる面差しを覗かせる年若い戦士がやや遅れて討伐の場に踏み込むと、石の床にはおびただしい血が流れ、彼の仲間たちが横たわっていた。
床に落とされ、燻る松明の暗い灯りの向こうには闇よりも黒い姿をした影があり、女戦士を石の壁に吊り上げて押しつけ、たった今その命を奪ったところだった。
目の前の光景に青年は一瞬、茫然と立ちすくんだが、それでもどこからか聞こえてくる戦いのどよめきに我に返ると、剣を構え自分を鼓舞するように気合の声を上げ、その影に斬りかかった。
剣が触れたその刹那、影はコウモリのような翼を広げて身を翻すと青年を床へと引き倒し、剣を握る彼の右手を細い腕でやすやすと押さえこんだ。
そして暗い灯りが影の正体を、黒いサキュバスを照らし出す。
信じられないものを見るように戸惑った表情を浮かべ、その紫の瞳を凝視し動けないままでいる青年へサキュバスは花がほころぶように微笑みかけると、彼の剣で傷を負った右手を差し伸べ、美しい金の爪で青年の顔を優しく、そして彼を深く撫でた。
やがて彼の口から最初は小さく低く、徐々に大きく、止まることなく叫び声が溢れでる。
救いを求めるのでもなく、何のために叫んでいるのかもわからぬまま、彼を慈しみ育てた仲間たちの死に囲まれて、魔物に魅入られ正気を失った青年は叫び続けている。
暗がりの中で異様な光景が続くかと思われたが、歓喜の表情で手に入れた青年の様を眺めている彼女のもとへと突如兵士たちがなだれ込み、その中から射かけられた一本の矢が魔物の胸を正確に射抜いた。
サキュバスは苦悶に身をよじり魔物の形相を取り戻すと、甲高く軋むような声で呪いの言葉を叫びながら闇の中へと消え、それを追って何人かがその場をあとにした。
ふう、とひとつ息を吐いて、矢を射た兵が声もなく叫び続けている青年に声をかけた。
「おい、しっかりしろ・・・おい!
・・・くそ、狂っちまったか。
・・・ふん、子供じゃしょうがねえか。相手が悪かったな」
「腕はたつのに惜しいですね。・・・正気に返るでしょうか?」
「わからん。
おい、回復役はどこだ?とりあえずこの血を止めてから連れていこう」
***
~⑭へ続く