車窓から見えるアレ
「出窓が多過ぎやしないか?」
流れる景色を前にそんなことばかり考えていた。
久しぶりの阪急沿線の景色ということもあってか、この日はいつも以上に考えていたかもしれない。
普段は地下鉄を利用しているため、車窓から何か見えるというのがとても久しい感覚だった。モノクロの車窓とは打って変わって、阪急沿線の車窓は色鮮やかでどこか穏やかだ。雑然としているようで何か落ち着いて立ち並ぶ住宅と電柱。その背後には山。とても良い。目的地に近づくにつれて車窓からの景色を楽しむという感覚を徐々に取り戻していく。
出窓が多過ぎる建物、奇妙な配色のモニュメント、街の皴を伸ばすように広がる巨大な公園。
「あれは一体なんだろうか」
「この街で暮らすとしたらどの辺が良いかな」
そう思っている間にも景色は流れていき、また別のものに思いを馳せる。それを繰り返す中で生まれていた距離感、車内で揺られる自分と車窓の向こう側との妙な隔たりについて考えていた。二つを隔てているのはたった一つの車窓に過ぎないのだが、窓の向こうはどこか他人事というか、現実味が無い。そこには暮らしがあって営みがあって、ということは理解できているのだけれど、遠い世界の話にように思えてしまう。映画のスクリーンを眺めているような、誰かの世界の覗き見しているような感覚。
ふらっと降りてみれば確かに自分の世界と地続きだと感じることが出来るのだろうか。
新幹線で帰省をする際にも毎回気になって眺めてしまう建物がある。建物というかモニュメントなのかもしれないが、何度見てもなんだか良く分かっていないものだ。新神戸から岡山間だったと思うが、田んぼが広がる景色には似つかわしくない塔のようなもの。その塔が生えている部分だけ土が盛られていたような記憶があるが、どうもはっきり覚えていない。
「ふらっと降りることができれば」
しかしそれよりも、あの塔が何なのか知らないでいたいという気持ちの方が大きい。Google Mapなんかで調べたらすぐに正体に辿り着けるのかもしれないが、調べたところで恐らく拍子抜けしてしまうだろう。
車窓を挟んだ遠くの景色をもう少し楽しんでいたい。
時勢のこともあり長らく帰省できていないが、今度新幹線に乗る際にはA列の席に座り、スクリーンに映る総天然色の景色を眺めたい。
「あの塔、ホントに何なんだろうな」
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