日本の神々は『悪魔』だった。

 どうも。そこそこ最悪なコトに気が付いてしまったので、また削除覚悟で書かせていただきます。よろしく。

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 日本人は基本的に善を歓び悪を憎むが、現代にあっては、その善悪とは西洋に植え付けられた奴隷根性その物になってしまっている。

 西洋の価値観に於いて、善とは即ち神への隷従、悪とは即ち自己の幸福だ。ポリスの時代から奴隷を使い続けていた彼等は、自身の上位存在には絶対隷従であるべきだという感覚が根付いている。

 その果てに生み出されたのが、人間では決して打倒し得ない上位存在を仮定するという考え方だ。ソレの機嫌を取ればいいコトが、それの機嫌を損ねれば悪いコトが起きる――要は奴隷と主人の関係を、現実と自己の間に適用していたのである。

 奴隷の主人は奴隷が幸福である事を喜ばない。 奴隷は奴隷らしく見せ物であれ、それが西洋の神の持つ起源的な倫理観だ。つまり西洋の神にとって、人間とは体のいい見世物なのである。

 だから西洋人は、自己の幸福を悪としてしまった神が与えた試練に立ち向かう、その光景を善としてしまったのだ。

 故に彼等の倫理観にとって、日本の持つ考え方は極めて脅威的なモノだった。

 日本人は全ての現象に人格的な神を見出し、その状態と自然の状態を照応して考える。
 機嫌を取ればいいコトが、機嫌を損ねれば悪いコトが起きるのは西洋神と概ね同じだが、人間と神の間の関係は極めて対等なものである、という点において、日本と西洋の感覚は決して相いれない。神々にとって人間とは対等な友人であり、人間にとって神々とは対等な隣人なのだ。

 その為日本の神々と日本人は、

 神と人が共に幸福になることを目標にする

 勘のいい方ならお気づきの事だろう。

 人間が幸福になることを目標とする。それは西洋の神の視点から見れば、自分達の見世物を減らすことを目標とする事に他ならない。

「何も苦しむことなく、遊びたいだけ遊び、笑いたいだけ笑い、寝たいだけ眠ることが出来る、とても幸福な世界」――などという物を実現されてしまっては、神は欠片も面白くないのだ。

 だから彼等は、西洋宗教は、これを『悪魔』と呼称する

 西洋人が日本人を目の仇にした理由はその一点だ。人間を体のいい見世物としてしか見ていない西洋の神にとって、日本の神々は須らくして悪魔だった。人間の幸福を願う、真性の悪魔だったのだ。

 

 そう考えれば今の現状も納得が行く。西洋からの侵略によって、日本は幸福であるための仕組みを、自分達の信仰を削除されてしまったのだ。

 幸せな人間を嗤い、苦しんでいる人間を嗤い、無益な争いを嗤い、無意味な憎しみを嗤い、それを神の試練と欺瞞する。それが西洋人の信仰だ。

 西洋人は遊びたいだけ遊び、笑いたいだけ笑い、寝たいだけ寝る――そんな幸福を、欠片も望んでいないのだ。

 そんな西洋人の在り方を植え付けられたから、

 日本人は幸せになれていないのだ。



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