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     白の連還 第1話 

        白い犬


 いい気になってつい最初に話さなければならない羽目に陥ってしまったわけですが、はたしてなにを話していいものやら実はよく分からなくて、戸惑っているのが正直なところです。

 私は東京都内のある地区で小さな病院を営んでいる医者です。科目は産婦人科ですが、大なり小なり、治療は全分野に係わらざるをえません。いってみれば、地区住民の小さいときからのかかりつけの医者、といったところでしょうか。

 ところで、毎日おおぜいいらっしゃる患者さんを通していえることは、肉体面での治療を行うまえに精神的な、つまり、心の治療をまず行った方がいいのではないかと思われるような方々が、最近特に多くいらっしゃるということです。

 たとえばここにひとりの妊婦の方が腹痛を感じて来院なさったとします。たいていの場合、食べ過ぎ、飲み過ぎ、食当たり、神経性の胃炎といった類の、直接胎児とはなんの関係もない要素が原因になっていることがほとんどなのですが、必ずといっていいほど、胎児になにか悪いことがおこったものと、固く信じ込んでいらっしゃる。医者の仕事は、まずこの思い込みを崩していくことから始まるのです。

 こんな方がいらっしゃいました。妊娠六カ月くらいのご婦人で最初のお子さんでしたが、ある日自宅の庭で水をまいていて、不注意で足下に寝そべっていた犬の尻尾を踏んづけてしまったのです。その犬は半年まえにご主人が知人からもらってきた一才の芝犬の雄で、まだご婦人にはあまり慣れていなかったのでしょうか、いきなり彼女の足首に噛みついてしまったのです。

 痛みと驚きにそのご婦人、蛇口を締めるのも忘れて大急ぎで私のところへとんでこられました。診ると、犬も相当びっくりしたのでしょう、ちょうどくるぶしの両側を挟むようなかっこうで、かなり強く噛みついていました。とても一才の犬とは思えないほどの、深い傷でした。白い華奢な足首の内側には真っ青な牙の跡がふたつ、まるで太いトゲが突き刺さりでもしたかのように、皮膚の表面を破いて骨の当たりまで届いていました。血は止まっていましたが、内出血がひどく、関節全体が赤黒く腫れあがっていました。その痛々しい様に私はつい、これはひどい、さぞ痛いでしょう、といってしまったのです。

 みなさんにもご経験がおありでしょうが、病気やケガをしたときには、多分に他人の同情を期待してしまうものです。自分の病や傷みを訴え、聞いてくれるひとが欲しいのです。

 しかし医者は、残念ながら安易には同情できません。患者の病や傷み、またその原因を当人以上に分かっていても、それを隠さなければならないのがつらいところなのです。なぜなら、自分の病や傷みを医者が認めたということで、患者さん自身が、実際のなん倍も重くとってしまうことが、よくあるからです。

 この犬にかまれたご婦人も、例外ではありませんでした。医者の本分を忘れ迂闊にも、これはひどい、とつい口に出してしまったものですから、もうすっかり悲観してしまい、おなかの子に取り返しのつかないことをしたと思い込んでしまったのです。

 ご婦人はまず狂犬病だと疑いました。狂犬病の犬はすぐひとに噛みつくからまちがいない、早く血清を打ってくれ、というわけです。問い質せばちゃんと保健所で予防接種を受けているにもかかわらずです。説明して不安を取り除くよう努力しました。すると今度は、傷みがひどいので破傷風ではないか、と心配しはじめました。犬はよく土をなめているので口のなかは破傷風菌だらけだというわけです。これも血清を要求されましたが、色々な事例を上げてなんとか説得することに成功しました。しかし、最後にとうとう、犬のような子がうまれると可愛そうだから堕胎したいと思うがどうかと、真顔で意見を聞かれたときには、さすがの私も唖然として二の句が告げませんでした。思いこんだひとがよく陥る罠とでもいうのでしょうか。

 けれども、このご婦人を無知な方だと嘲笑することは決してできないと思います。無知どころか、実際には大変な勉強家で知識も広く、失礼な言い方かもしれませんが、申し分のない良識と母性愛を備えた方だったのです。そのようなひとでも、いやかえってそのようなひとだからこそ、他人が不注意に洩らした一言が原因で、あっというまにバランスを崩してしまうことがあるのですね。

 さいわいご婦人はすぐバランスを取り戻し、立派な男の子を出産なさって、いまは幸福の絶頂にいらっしゃいます。ただ翌日の朝まで水道の蛇口を締め忘れていたため、目玉が飛び出るくらいの水道料金を払わされたと、ぼやいてらっしゃいましたがね。

 ところでこの提案をしたとき、正直なところ、このピッケルの白蛇のいわれでも話そうかと思っていたのですが、考えてみればとても縁起の悪い話で、いまの私たちには向いていないことに気がつきました。それより、たったいま、偶然犬のことを話しているうちに思い出したことがあります。その話でもしてみましょうか。聞いていてつまらないと思ったらしめたもの。安らかに眠れる前兆というわけです。

 さて、みなさんのご郷里には氏神様が祀られていたでしょうか。

 私の郷里は島根県のある寒村ですが、そこに犬穴神社という神社があり、犬の神様が祀られていました。犬の穴と書いてイノウと読ませるのですが、意味は良く分かりません。

 私の通っていた小学校の運動場の裏手におワンを伏せたような小高い岡があって、こどもの目には深々とした森にも見える松林のなかを参道に沿って麓から登りつめると、急に広々とした、それは立派な境内に出ることができました。それが犬穴神社の境内です。

 入口には巨木を巧みに組んだ鳥居がデンと控えていて、それを潜ってなかに入るのです。突き当たりにはひとがなん十人入ってもまだ余裕があるような大きな社があり、そのまえに鋭い目付きをした小柄な犬が、不動の姿勢で守りを固めていました。首に赤い小さなまえ垂れを掛けていましたが、首から顎にかけて、数え切れないひとが撫でていった跡なのでしょう、粗いはずの石の表面が黒光りするほど滑らかになって、いつもつやつや光っていました。

 社の裏側、つまり小学校の運動場から見て反対側になるところに一ケ所、表の眺めからは想像もできない崖になっているところがあって、参詣人がまちがって落ちることがないよう、頑丈な鉄柵が設けられていました。しかしその場所が、こどもたちには恰好の遊び場だったのです。私たちは鉄柵を乗り越えては、よく崖を滑り下りたりよじ登ったりしたものでした。崖はわんぱく盛りのこどもたちにお誂えむきの、アマゾンやアフリカのジャングルにも似た、険しく冒険に満ちた野性の地を提供してくれたのです。しかも崖の下には級づけして呼べるほどの河川ではなかったけれど、けっこう深くて流れの速い川さえあったのです。川縁には漆や猿滑りの木々がそこここに立ち並び、雑草がジュウタンのように生い茂っていました。その川の名前も、やはり、犬穴川─イノウガワ─といったのです。

  あれはちょうど私が小学校の六年生のときでした。村には年に一度、氏神様に供物を納める祭りがあり、犬穴神社の境内で厳かに奉納の儀式が行われることになっていました。夏の暑いさかり、植えた苗がちょうどこどもの膝下の大きさくらいに成長するころのことでした。

  話の発端はこういうことなのです。

 氏子総代の子だったからか、なにか他に理由があったのか、よく分かりませんが、なぜかその年の氏神祭の稚児長、ちごおさ、に私が選ばれてしまったのです。そのころ、毎年催される祭礼に村の童衆から十数人の稚児が選ばれ、祭礼の式次第で重要な役割を演じることになっていました。なかでも稚児長の存在は非常に重要で、儀式のクライマックスともいうべき供物を神前に奉納する大役を、おおぜいの氏子のまえで演じなければなりませんでした。

 儀式はこんな風にとり行われました。

 まず前準備です。広い境内のほぼ真ん中あたりに穴を掘り、一才半から二才くらいのまだ成長しきっていない犬、それも汚れ一つない真っ白い犬を、首だけ出してまず埋めるのです。身動きできなくなった犬は唯一自由になる首を遮二無二振って穴から出ようともがきます。出られるわけがありません。でも犬は、悲痛な吠え声をあげながらひたすらもがき続けます。そんな犬の鼻先にこんどは、椎の葉を敷き詰め、上に玄米のにぎり飯を置きます。そのとき、あとで分かりますが、食べ物と犬の首との距離を、とりわけ念入りに計らなければなりません。埋められた犬こそとんだ迷惑というものです。いっそ頭までまるごと埋めてくれれば諦めもつくでしょうが、わざわざ首だけ動くようにして、届きそうで、どうあがいても絶対届かないところにエサをちらつかせられるのですから、いくら神事とはいえ、人間なんて実に意地の悪いことを考えつくものですよ。

 さてこの前準備は、ちょうど祭礼が催される日の三日まえの早朝、日の出とともに行われます。いってみれば、儀式を成功させるための重要な導入部で、氏子のなかから選ばれた若い衆数人と神主の、ごくかぎられたひとたちによって入念に行われます。本番を神秘と豊穰への予感のうちにおわらせるための演出、とでもいうのでしょうか。儀式のでき不できはこの段取り次第、といってもいい過ぎではありません。

 こうして埋められた犬は三日後の儀式の当日まで、目のまえのエサにありつこうと全精力をそれに集中させます。この飢えを満たしたい欲望が研ぎ澄まされていくなかで、犬が犬自身の限界を越えようとする精力の塊に変身していくのです。やがて犬の体力が果てる間際、その精力が頂点に達し、犬を越えようとするちょうどそのとき、儀式はクライマックスを迎えなければなりません。一つの生が与え得る精力の極みをわれら人々の手にしようとするのが、この儀式の本来の目的なのですから。

 さて、いよいよ祭礼の当日です。稚児長と稚児たちは三日目の未明に犬穴神社の社務所に詰め、日の出とともに始まる儀式に備えなければなりません。朱と白のコントラストも鮮やかな稚児装束に身を包みます。辺りは絹の匂いと衣擦れの音でいっぱいになります。

 足には舟形の木靴を履きます。本当は裸足のままなのですが、自分の足にあう木靴にはまずお目にかかれないため、たいていは軍足か足袋を履くのが普通でした。頭には烏帽子に似た冠を頂き、顎の下に紐を回して結わえます。

 犬はといいますと、それまで三日三晩、耐えに耐え、ほぼ体力の限界に達したのでしょうか、首を支える余力はすでに無く、頭はどの方向にもだらりと倒れ、目は空をみつめたまま、まさに瀕死の状態です。喉も壊れてしまったのでしょう、ただゼーゼーと、空気が通過する音しか聞こえてきません。いくら神様に捧げる儀式といっても、見ていて哀れそのもの。しかし、ひとから一方的に託された神聖な役を立派に果たしおえるまでは、犬はまだ死ぬに死ねないのです。

 社務所から出ると、社から犬が埋められている穴まで朱色の長い布を敷き詰めた一本の道ができていました。夜明けの境内にはすでに楽士たちがきていました。彼らは、朱色の道を挟んでいく人かずつ集団を作って座し、あるものは立ち、厳かに笛を吹き、几帳面に鐘を鳴らし、大仰に太鼓を叩いていました。その楽に合わせ私たちは太刀人、神主、稚児長、そして稚児の順に社の正面に回り、そこから犬穴まで朱色の道をゆっくりと直進していきます。鳥たちもにぎやかな声で楽にあわせて歌い出し、夜明けの最後のなごりが日の明かりのなかに吸いとられて消えるころ、境内はいつのまにかおおぜいの氏子たちで一杯になっていました。

 犬穴に着くと、勇ましい姿の太刀人だけが穴の向こう側に回り、太刀鞘に手をかけ片膝を突いた姿勢で座ります。一方、神主は犬のまえで恭しく一礼するや、おもむろに御弊を振り祝詞を上げ始めます。いま思い出してもぞっとするほど神がかったものでした。時間にして多分半時間くらいは続いたでしょうか、その間稚児たちは、じっと神主の後ろに立ってそれを聴いていなければなりませんでした。

 神主の祝詞が始まると、がらりと楽の調子が変わりました。すると、飢えと渇きと疲労で息も絶え絶えの犬が、また悲痛な吠え声を上げ、最後の力を振り絞ってエサに噛みつこうともがき始めたのです。まるで亡霊が再びこの世に生を受け、舞い戻ってきたような様でした。祝詞は計算されたような正確さで徐々に調子を上げ、息を吹き返した犬をどんどん追いたてながら、だんだん激しい抑揚に変わってゆきます。大きなうねりが次から次と押し寄せ、世の中全体がゆらゆらと大きく揺れているようでした。それにともなって、楽も徐々に大きく、荘厳になってゆきました。笛はきらびやかな音色のなかに悲痛ささえ漂わせ、鐘の音はますます速く的確な拍子を打ち、太鼓は大きく力強く、地の奥から届く地神の唸り声のようになっていきました。それはまるで瀕死の生に精気を吹き込み、責め立て、ぎりぎりまで追いつめ、生の持つ一切のもの、いやそれ以上のものを生贄として奉じさせずにはおかない神々の強い意志が、祭人に乗り移ったかのような光景でした。

 圧倒的な祝詞と楽のせめぎ合いのなかで私は、体じゅうカッカと熱てらせていながら、実は全身でぶるぶる震え、必死で小便を我慢していたのでした。と同時に、最後の瞬間が刻々と近づいてくるのを感じてもいました。そして責め立てられる犬を必死の思いで見つめていたのです。そのうち、犬と自分の区別がつかなくなってきました。こうして責め立てられているのは犬ではなく、本当は自分ではないのかと思い始めたのです。
 私はもう恐ろしくなって逃げ帰りたい衝動にかられました。でも犬から目を離すことは決してできませんでした。カッと目を見開いた犬は、乾ききった喉を鳴らし、猛烈な勢いで頭を突き出してはエサに食いつこうとしていました。それは苦悩のあまり白一色に変身した老クマゲラそのものでした。そんな犬を祝詞と楽の大波が容赦なく、これでもかこれでもかと追い立ててゆきます。
 と、そのときでした。さっと、犬の首の当たりを鋭い閃光が過ったかと思うと、次の瞬間には犬の首が大地を離れ、浅ましい音を立て玄米飯の塊に食いついたのです。そして首の消えた地面からは真っ赤な血が噴水のように、空に向かってほとばしり出たのでした。太刀人が目にも止まらぬ速さで太刀を抜き、一刀両断に犬の首をはねたのです。すべてはあっと言う間の出来事でした。

 冷え冷えとした静寂のなかで私は金縛りにあったように、切り離された犬の首から目を離すことができないでいました。それは椎の葉の上に無残に転がっていました。死を賭してやっと得たはずのエサが、吐き戻した残飯のように剥き出しの牙の間から外へこぼれ落ちていました。頬はこけ、痩せて小さくなった頭は、裏の崖下に転がっているどんな石ころよりも貧相に見えました。ただカッと見開かれた両目だけはまだらんらんと精気を漂わせ、神主の後ろで動けなくなった私をじっと睨みつけていました。そして黒い瞳の奥からしきりにこう訴えていました、みんなオマエのせいなんだぞ…と。

「速うせいッ!」

 茫然自失の私を追い立てるように神主が広い背中で叫びました。ハッと気がつくと、切り離された白い頭がみるみる朱に染まっていくところでした。そこで私はやっと自分の番がきたことを悟りました。反射的に神主のまえに走り出た私は、しゃがみ込んで犬の脇に用意された純白の杯を取り上げ、両手で一度頭上に拝してから椎の葉の上に置き、これも用意された先端にかすかな凹みのある細長い木べらで真っ赤な血を掬いとり、二度杯に運んで満たしました。
 すべて事前に練習した通りでした。違っているのは水の代わりに本物の血をすくっていること、へらの先から生温かい血の感触が指先まで伝わってくること、この二つでした。犬の目を見ることはできませんでした。見るとすべてがおわりになってしまう気がして恐ろしかったのです。
 
そのときでした。社の裏の方からそれは爽やかな風が吹いてきたのです。急に私は幸せになりました。与えられた大役を無事におえた喜びで一杯でした。体じゅうに力が湧いてきました。そして明日から頑張ろうと決心したのでした。

 ところが次の瞬間、とても暗い気持ちに突き落とされました。杯のなかの赤い血が生々しい臭いを放ったのです。その臭いは風に誘われ鼻を通って胃の奥まで届いてきました。吐きそうになりました。まといつくような、執拗な臭いでした。鼻をつめ息をのみました。するとまた、爽やかな風が吹いていい気持ちになりました。そんな風に私は、爽やかな喜びと不快な吐き気を交互に感じながら、きらきらとまばゆい朝日のなかで自分の運命を、生まれてから死ぬまでの一部始終を、見届けたような気がしていたのでした。
 とても不思議な体験でした。そしてなぜかこうも確信したのです。私とあの犬とは死ぬまで一心同体なのだと…。

 え、変な話ですって?

 無理もありません。おっしゃるとおりです。私だって馬鹿げたことだと思っていたのです。でも、この続きをお聞きになれば、多分、なるほどと思われるに違いないでしょう、きっと。

 その後、中学に進学した私は水泳に夢中になりました。犬穴川で泳いだ日々、楽しかった時間、冷たかった水の感触、身を任せれば世界の果てまでも泳いでいけそうなあの早い水の流れ、それらすべてが忘れられなかったからです。

 スポーツと勉学に夢中になっていた間、犬穴神社での出来事や、犬と一心同体だと思った不思議な体験のことなど、まったく忘れていました。おっしゃるように、よほどの変人でないかぎり、大きくなるにつれ知識や分別は身についていくもの。小説ならいざ知らず、犬でもひとでも一心同体などあり得るはずもありません。だからそれらのことは、虚実を自由に往来できる豊穰多感な幼児期体験の一つとして、脳裏にファイルされ、ノスタルジーという心回路を経てしか記憶の磁場に呼び戻されることはなかったのです。

 ところが、中学三年生の夏のことでした。例年にない勢いで地区予選を勝ち進んできたわが校水泳部は、秋の全国大会出場をめざし、厳しくも意欲的な夏期合宿に入っていました。

 普通三年生になると上級校への進学準備もあり、遅くても三学年の六月には実質的な部活動はおえ、公式戦には出ないことになっていました。しかしその年、勝ちに次ぐ勝ちに期待はふくらむ一方、止めるどころの話ではなかったのです。勝利のたびにいやがおうでも士気は高まっていきました。三年生を送る会など話題の端にものぼりません。勝てよ泳げよの毎日でした。
 ただこれにはそれなりのわけがあって、私の出た二百メートルメドレー・リレーなど、三年生が抜けると競技として成り立たなくなる種目があったのです。わが校水泳部員の数はそれほど少なかったというわけです。止めたくても止められないのがその年の三年生の実情でした。

 合宿は、しかし、素晴らしいものでした。午前と午後に一万ずつ、日に合計二万泳ぎ、それぞれ最後に百のタイムを計ります。合宿に入って二日経ったころから記録が伸び始め、三日目には午前の記録をその日の午後にはもう更新するといった調子でした。当時は現在のように精度の高い計測器はなく、アナログのストップウォッチを使っていたのですが、タイム担当の主任兼監督の先生の言によれば、時計が壊れたので修理に出そうと本気で思ったくらいだったとか。特に私の出た二百メドレーの伸びは抜群で、五日目、六日目の午前午後と、四人のうちのだれかは必ずタイムを上げていました。
 みなで、おまえの背中には氏神様がついとるぞ、と冗談に言い合ったものでした。

 ところが、その冗談が現実となって私の身に起こったのです。

 それは合宿最後の六日目の事ことでした。私には小学校一年から中三までずっと同級で、しかも同じ水泳部に入り、その上種目まで同じという幼ともだちが一人いました。由緒ある酒問屋の息子で名前は達夫といいましたが、みな、彼のことをダボと呼んでいました。ダボハゼのダボです。とにかく小さいときから体が大きく、六年のおわりでもう百七十センチに届く上背で体重もありましたから、無理もありません。中三で私と同じ二百メドレーを泳ぐころには、既に百八十に近い大男になっていました。彼はスタートの背泳で私はアンカーのクロールでした。
 私は中学で彼と水泳部に入ったとき、上級生からコハゼと命名されました。同じ小学校からきたダボハゼより小粒だったのでコハゼとなったのです。それも半年後にはハゼコとひっくり返り、さらにゼコと短縮され、以来ずっとゼコと呼ばれるようになっていました。

「おい、ゼコ」

 合宿明けも明日にひかえた最後の夜、夕食がおわるや待ち構えていたようにダボが私にすり寄っていいました。

「なんや、ダボ?」
「最後の晩や、飲みにいこ」
「飲みに?!」

 ダボが当時、いや小学校のころから、もう酒を飲んでいたという話はよく聞いていました。どうせウソだろうと思っていましたが、いま本人の口から聞いたので、びっくりしたのです。

「おまえ、やっぱり飲んどったんか?」

 私は咎めるように聞き返しました。ダボは、どっちでもええやないか、といわんばかりに首を横に振り、二、三度当たりを窺ってから、こういって私を急がせました。

「おもろい酒持ってきた、早ういってみんなで飲も!」

 月明かりに照らし出されたプールサイドには二百メドレーの他のメンバー、パサリとドマッチョが既にいて、私たちがくるのを待っていました。二人とも中学で知り合ったともだちです。
 パサリは同じ中学に勤める美術の先生の息子で、ヒョロリと背が高く、二番のバタフライ。手足がグローブや足ヒレみたいに大きいのが印象的でした。ドマッチョは自転車屋の息子で三番のブレスト、背は私と同じくらい低い子でしたが胸板が厚く、五十メートルを軽く潜水できる肺活量に恵まれていました。二人のあだ名の由来は、分かりません。しかしなぜか本人たちにピッタリしたものでした。

 四人は飛び込み台近くに円くなって座りました。座るが早いかダボが胸元から一本の透き通ったビンをヌッと、みなのまえに差し出していったのです。

「ほーれ、テキーラちゅう酒だーで!」
「テキーラ?!」
「どこの酒だー?」
「聞いたこともにゃーぞ、日本のかいな?」
「いんや、アメリカだーに」

 みな、それぞれ、疑問を口に出していいました。

「メキシコのだーで!」

 ダボが得意顔でいいました。実家の酒問屋が卸している県内小売業者の一軒が、見聞を広めるため県飲食店組合が組織した見学旅行で東京に行った際、銀座というところで土産に買ってきたものだというのです。

「父さん、こんなもん飲むから日本は堕落した、いうて、もろた後すぐタタミに放りよったもんな。ほんならワシもらうイうて、もろてきた」

 いいおわるが早いかギリギリッと栓を切り、ダボがまずゴックンと音をたてラッパ飲みしました。堰を切ったように他の三人も、先を争ってゴックン、ゴックンやり始めました。もうだれも止めることはできません。奪い取ったビンを口に運ぶたびにツーンと酒気が鼻を突き、のどがカーッと焼け、胃のなかがひっくり返り、体じゅうが火のように熱く燃え上がってゆきます。そのうち見える物みな急に重みをなくして宙に浮き上がりました。上を見れば上に、下を見れば下に、それらはつられて動き、左右を見れば回転木馬に乗ったようにグルグル回り出し、目を移すたびに世の中全体が、回ったり揺れたりするようになっていきました。そしてとうとう、空っぽのビンを逆さに振っていたダポがドタリと大の字で後ろ向けにひっくり返ると、それを見て他の三人も、バタリ、バタリ、つられるように倒れていきました。無理もありません。四人で四五度のテキーラを一本空けてしまったのですから。病気にならなかったのが不思議なくらいです、いま考えてみても。

 さて、どれくらい時間が経ってからでしょうか。

 遠くの方でだれかが呼んでいるような気がして、ふと目が覚めました。沢山の虫がまるで耳もとで鳴いているように賑やかでした。プールサイドにはもうだれもいません。みな寝にいったのでしょう。遠くで犬の吠え声が聞こえていました。

 日中の熱を失った敷石はひやりとするほど冷えていました。丸い月を頂く高い夜空には数知れない星たちが輝いています。真夏の屋外プールなのに、なぜかガランとして寒々していました。陰にこもった犬の遠吠えが妙にしつこく感じられました。
 起き上がろうとしましたが、だめでした。腰が抜けてしまったようです。めまいは軽くなっていましたが、頭痛は一層ひどく、両方のこめかみがズッキン、ズッキン、音を立てていました。

<クソッ、もう酒なんか絶対にのまんぞ!>

 歯ぎしりしながら私は飛び込み台まで這っていき、頭から水中にゆっくりと体を滑り込ませました。深夜のプールの水はひやりと冷たく、ほてってカラカラに乾いた体をなだめ、潤してくれました。

<泳いだろ!>

ランニングシャツをプールサイドに放り投げ、水中でクルリとトンボ返りを打って両足でプールの側壁を軽くけると、真っ直ぐに伸びた体が密度の高い流体中を小気味よいスピードで突き進んでゆきました。吐く息が鼻からゴボゴボ勢いよく音を立てて出てゆきます。とたんに競技で競り合いながらターンするときのあの快感がよみがえってきました。急に嬉しくなり、数回水をかいてやると、ヘソの下で太い水の流れができてきました。後はそれに乗ってスピードをつけていくだけです。両腕を大きく回転させ、さらにバタ足をきかせ、かいた水の流れに積極的に乗ってゆけばよいのです。スピードに乗るにつれ体がグングン軽くなり、水をかくほどに、足を打つほどに、分厚い水流が、まるで真綿のフトンのように、優しくしなやかに下から体を支えてくれるのです。後はもう、息が切れるまで、力が尽きるまで、体を動かすだけでした。身も心も納得し、水の流れにすべてが還元されてしまうまで…。

 余談になりますが、現在ではあたりまえのクィックターン、通称トンボ返りターンは、当時まだ国際競技にも登場していませんでした。ところが私とダボにはとても簡単な技術だったのです。なにしろ犬穴川の急流で泳ぎ回った二人にすれば、水中で回転して岩々をクリヤーすることなど、屁でもない遊びのひとつだったのですから。ただ残念なことに、まだ体育連盟が認めていなかったので公式戦には使えませんでした。しかし練習には思う存分利用していたのです。自慢するわけではありませんが、おそらくその当時、山中やローズさえ手付きターンの時代に、トンボ返りで泳いでいたのは日本でも私たち二人くらいのものではなかったでしょうか。      

 さて、泳ぎ始めて三キロも行ったかなと思った頃、一往復でトンボ返りするごとに水面で足の先に軽く触るものがあることに気がついたのです。だれもいないはずの上に何かいるのです。最初はあまり気にしなかったのですが、さらに三00、四00と泳ぐうち、今度は半往復のターンでもおなじようなものが足に触るようになりだしたのです。

<なんやろ?>

 当時、学校はおろかプールにも垣根などなかった時代ですから、守衛などという気のきいたものはいなかったし、ましてそんな時間にプールサイドを散歩するような物好きもいないでしょう。私はだんだん気味が悪くなってきました。それも、初めは固く乾いたコンと足先に当たるような感触だったのが、だんだん柔らかく粘りのあるものに変わってきたのです。それが五キロ過ぎる頃には生温かくてヌラリとした感触に変わり、さらにしばらくして尖った何かで引っかかれるような痛みさえ感じるようになってきました。

<なんやちゅうんや?>

 私はだんだん怖くなってきました。泳ぎを止めて確かめればいいのですが、反対にスピードが上がってゆきました。逃げ出したい気持ちにかられていたからです。せめて手突きターンに代えればその正体をチラリとでも見ることができたでしょうに、それすら怖くてできませんでした。とてつもなく恐ろしいものを見てしまうような気がして、見たい気持ちとは裏腹に、身を隠すように泳ぎのなかに没頭していったのでした。

 そのうち、プールの両側にもなにかいることに気がつき始めました。顔を右側に上げて息をするのが私の癖ですが、そのたびに白っぽい固体が目の端を過るのです。最初はまばらで数えるくらいのものでしたが、次第に頻繁に目につくようになり、やがていつもの練習量を越す頃には、息を吸うたびに相当数の生き物らしいものがプールの両側を右往左往しているのがはっきり認められるようになってきたのです。

 もう怖がっている場合ではありません。白いのや黒いのや、沢山の動物かなにかがプールサイドに集結しているのです。泳いでいる私をどうにかしようとしているのでしょうか。それとも、このプールが周辺に生息する生き物たちの恰好の水飲み場にでもなっていたのでしょうか。どっちにしてもなんとかしなければなりません。

 <イヌ? キツネ? テン? それともサルか?…>

 私は迷いながらなお数百メートル泳ぎ続けました。

 さて、これでおわりにしようと意を決して最後のトンボ返りを打とうとしたとき、一瞬、空を過る太刀の閃光がサッと脳裏をかすめたのです。同時にほとばしる鮮血と共に純白の犬の首が宙を飛び、朱に染まりながらドタリと音をたて地面に落ちました。その情景は余りに生々しく、音を伴い、匂いさえ漂わせていたので、いま泳いでいるところがプールなのか犬穴川なのか、それさえ区別できなくなるほど、私は強い錯覚に捕らわれていたのです。そして、とうとうあの犬がやってきたのだと直観したのです。

 私はトンボ返りを中途で止め、潜ったまま静かに方向転換し、潜水でプールのなか程まで泳ぎ着くと、そっと水面から顔だけ出し、飛び込み台の方を見やりました。

 真昼のように明るい月の下で私が見たものは、直観どおりのものでした。数しれない犬たちに混じって、しなやかな肢体を純白の艶やかな毛で覆った一頭の犬が、第三コースの飛び込み台に両前足をかけ、雄々しい姿態でじっとこちらを見つめていたのです。あの犬はやはりやってきたのでした。そして、半ば水に漬かりかけた私の耳に、あのときに聞いたあの言葉が、ありありと聞こえてきたのです。

<みんなオマエのせいなんだぞ…>

 途端にプールの方々で水しぶきが上がりました。そこらじゅうで沢山の犬が一度に飛び込んだのです。

<わしのせいやない! 助けて! わしのせいやないちゅうに!>

 私は何度も叫びましたが、言葉になりませんでした。まるでとりもちが舌一杯にからみついているようでした。それでも助けを求め必死で叫び続けました。けれど、そんなことにはお構いなく、水しぶきは四方八方からすごい速さで、もうそこまで迫っていました。追い詰められた私は、しかし、にわかにわれを取り戻すと、胸一杯息を吸い込み、水のなかに潜りました。そしてプールの底から見上げたのです。すると、いましがた自分のいた場所でもう犬たちが激しくぶつかり合い、絡み合っているのが見えました。ぞっとする光景でした。

 私はできるだけ深く潜ったまま、飛び込み台と反対の方へ潜水して行きました。そのまま気がつかれなければ、ひょっとしたら逃げられるかもしれない。上に出ればこちらのものだ。なぜなら、水に入った分だけ犬の数は減っているはずだから。

 反対側にたどりつくと、息が切れそうになるまで上の様子をじっと観察しました。
 息が切れる寸前でした。飛び込んでくる犬の気配がなくなったのです。そのことは、ほんどの犬が水に飛び込んだことを示していました。水面を見上げると、あらまし犬たちで覆い尽くされていました。まだ盛んに水しぶきを上げながら、ぶつかりあい絡み合っています。水際の犬のいない隙を突いて上に行けさえすれば、うまく逃げられるかもしれません。

<いまやッ>

 最後の息に弾みをつけた私は、その勢いを借りて水際の隙を突き、両腕で力一杯懸垂、一挙にプールサイドを奪還したのです。いや、しようと思ったのです。ところが、いつのまにか一頭の犬が私の背後に迫っていたのでした。そして水から出ようとする私の尻めがけ、やにわに食いついてきたのです。

 当然のことながら、私はパンツしか履いていませんでした。そのパンツに犬は易々と牙をひっかけました。上がろうとする私、水中に引きずり込もうとする犬…悲惨な格闘がしばらく続きました。そしてとうとう、ビリビリッと音がして、私は敷石に勢いよく転がってしまいました。犬の鋭い牙がパンツを食いちぎってしまったからでした。

<しめたッ>

 これで助かったと思った私は、丸だしの尻のことなどお構いなく、大急ぎで逃げようと思いました。早くダボや、みなのところへ行って思い切り眠ろう。気が焦りました。

 と、そのときでした。敷石に手をついて立ち上がろうとしたとき、なにかに頭を思い切りぶつけてしまったのです。

<イタッ!>

 思わず叫んで目を上げると、なんとそこに、あの白い犬が立ちはだかっているではありませんか。

<ウッ…>

 あまりの驚きに声も出ませんでした。腰も抜けてしまいました。どうして私がそこにくるのが分かったのでしょうか。なんとか悟られないようにと、あれだけ長い間潜っていたのです。少なくともその間、私の姿は見えなかったはずなのです。なのに、まるで待ち構えていたように私の真ん前に出てくるなんて。犬神様のことなんか心のどこかでは迷信だと思ってたのに、やっぱりこの白い犬には神様が宿っているのかもしれない。もしそれが本当だとしたら、予感や直観は錯覚でも幻想でもなく、まして夢でもなく、正真正銘、本当のできごとだったんだ…。

 私は急いで逃げようと思いました。けれど体がいうことを聞きません。膝を立てようとしましたが重しを置かれたようにピクリとも動きません。そのまま四つんばいでいるのがやっとでした。そんな私を白い犬は、じっと見ていました。逃げも隠れもできないことが分かったからでしょうか、それとも獲物をわが手にした落ち着きからでしょうか、とても満足げで柔和なまなざしでした。

 突然、白い犬が一つ大きく吠えました。その声は高らかに深夜のプールサイドにこだましました。すると水中でぶつかり合いもつれ合っていた犬たちが見る見るうちに陸に上がり、潮が引いていくように遠い闇のなかに音もなく消えていきました。私は魔法にでもかけられたような気持ちで、その光景を眺めていました。これがウソでなくて何だろう。もしこれが本当なら、やはりこの白い犬は神様で、あの犬たちの支配者に違いない。闇のなかを抜けて消えてゆく犬たちの気配を追いながら、神々が戯れに作りたもうたからくりに足を取られてゆく自分の姿を、私は不思議な冷静さで眺めていたのでした。

 こうして私と白い犬は、たったふたりきりで月明かりの敷石の上にとりのこされたのでした。

 やがて、一度大きく首を振り上げた彼は、私の額をそっとなめようとしました。思いもつかない彼の仕種に驚いた私は、顔をそむけ、それを拒否する態度をしました。

<ウーッ>

 怒ったのでしょうか。彼はやにわに私の首を横から口に挟み鋭い牙を立ててきました。そのまま噛まれたらひとたまりもありません。のど仏にグサリと突き刺さりでもしたらおしまいです。私は諦めて、肘を折り、首を伸ばし、なんとか降参の意を相手に伝える以外、しかたありませんでした。

 二度観念した私は彼のなすがままでした。額から口にかけひとしきりなめまわしていた彼は、今度は耳や首筋を通って肩、腕、脇の下や背中そして腹と場所を移し、丹念になめていったのです。
 私のなかの怖さはだんだん影をひそめ、それに代わって恥ずかしさが頭をもたげてきました。なにしろ尻丸だしで四つんばいだったのですから。普段なら一秒だってそんな格好でいられるわけがありません。たちまちみなの笑い者にされてしまいます。
 白い犬はお構いなしになめ続けます。その舌はザラリと粗そうでピタッと皮膚に吸い着く、湿った柔らかい感触でした。それが体じゅうのあちこちをまるで生き物のように這っていくのです。そのたびにゾゾッと震えがきて思わず体をくねらせてしまいます。けれど寒くはありませんでした。反対にだんだん熱くほてっていきました。
 やがて彼の舌が腰部を通り尻の割れ目を這って股間をなめ始めたとき、興奮は一挙に高まっていきました。熱い高まりのなかで私は、徐々に影をひそめてゆく羞恥心を取り戻そうとしながら、実は一つの快感を追いかけていたのでした。

 それは、小学校の校庭の登り竹の上にありました。

<オーイ、早う下りてこんかーッ>

 登り竹の下の方で担任の先生が呼んでいました。私はさきほどからそのてっぺんに食らいついて離れようとしませんでした。股の間に細い竹の棒を挟み、自分の重みを手や足に適当に配分して抱きつくと、いつまでもそのままいられるのです。なぜ抱きついたまま下りようとしないのかといえば、ときたま満身の力を込めて尻を思い切りすぼめてやると、とても気持ちがよくなることをよく知っていたからでした。
 尻の穴の回りからモゾモゾしてくすぐったくなるのですが、それをじっと堪えていると、やがて尻の奥深いところから体の芯に向かって、とてもいい気持ちになってくるのです。その芯は浮ついた快感と秘密めいた後ろめたさにつながっていました。もっといい気持になりたいのと、それをひとに見透かされたくない気持ちの板挟みのなかで、小手をかざして遠くを見る振りなどしながら、やはり浮つくような快感から離れられず、もっと強く抱きついてしまうのです。抱きつけば抱きつくほど、しかし、物足りなさが募っていきました。いつしか股間の一部は石のように硬くなっていました。そのうち手足も疲れ体を支えられなくなってしまうのですが、その分落ちないようにもっと強く股を締め尻をすぼめ、今度は硬く膨れた部分を竹棒に擦りつけてやるのです。するとまた一層快感が強くなり、物足りなさも一層募り、もっともっといい気持ちになりたいと思うのです。
 そんな風に、抱きつけば抱きつくほど、益々いい気持ちになり物足りなくなっていくので切りがなく、一旦上に登ってしまうと、なかなか下りてこられないのでした。

 私はそのとき、中学校のプールサイドの敷石の上にいながら、あの小学校の登り竹のてっぺんに体ごと呼び戻されていたのです。白い犬は私の尻の臭いを嗅いではカチカチに充血した股間の一部を、くわえたりなめまわしたりしていました。それは執拗でいて心地好く、荒々しいようで抗えない優しさに満ちていました。手足の先端から体じゅうの力が抜けていくのが分かりました。それに代わって尻の奥深いところから、体ごと浮き上がっていくような快感が、全身にゆき渡っていったのです。あの竹の棒に抱きついているときよりいい気持ちでした。初めて感じる大きな快感でした。自分がどうにかなってしまうのではと、危ない気もしました。しかし、そこから離れようとは一つも思いもしませんでした。ちょうどあのときのように、もっともっとこの快感が強く長持ちしてくれればいいと、私は願っていたのです。

 とたんに彼が後ろから私の上に登ってきました。びっくりして反射的に逃げ出そうとしましたが、彼はすぐ私の首を口にくわえウーッと唸り、熱い燃えるような息を吹きかけ、威嚇したのです。また観念した私は彼に身を任せる以外どうすることもできませんでした。

 その直後に私を襲ったものは、生涯で最もショッキングなできごとだったといわざるをえないでしょう。

 尻の穴を突き抜かれるような痛みを感じたかと思うと、体の真芯を何かに犯されたような、不安で所在のない、けれどとても強い、大きい、そして支配的な快感が全身を駆け巡ったのです。

<ウーッ…>

 私は思わず唸り声を上げていました。息が詰まりそうになりました。奥深くから止めどなく沸き上がる血が、細胞の一つ一つを充血させ、限りなくふくらませているようでした。体が火のように熱くなっているのに、ゾクゾク寒気がしブルブル震えていました。下痢もしていないのに、急に絞り腹になってきました。手と膝でしっかり支えているのに、体は芯から大きく揺れ動いていました。気が変になるほど気持ちがいいのに、とても不安で怖く、所在のなさでいたたまれない気持ちがどんどん募っていきました。
 自分の腹を私の背中一面に擦りつけ、彼も私の上で盛んに揺れていました。ふさふさした体毛が、私の脇腹を生き物のようにくすぐりました。首筋にかかる息が熱く火傷しそうでした。とても熱くてくすぐったいけれど、がまんしているともっと気持ちよくなるのでした。でもそのたびに体の芯から震え、不安が募り、物足りなさが募り、何かで自分を一杯にしたい欲求にかられるのです。私はいつか、あの小学校の竹の棒に食らいつくように、精一杯、股間に力をこめ、尻をすぼめていたのでした。

 それはまるで地震が起きたようでした。いきなり彼も私も、何もかもがたがた揺れだしたのです。なにが起こったのかまったく分かりませんでした。不安で焦りました。急に襲ってきた感覚は、快感と呼ぶには余りに異質なものでした。腹が絞り便意が襲ってきました。神経の一つ一つが、先端で短絡しあい、火花を散らしているようでした。電気的な衝撃が体の芯から末端へ、末端から芯へとかけめぐり、中枢神経を遡ってある高みにぐんぐん登りつめていったのです。不思議なことにそこはまだ行ったこともなく、見たこともないのに、とうの昔からなんども行ったことのあるように思えました。そこに行けばなにもかも満たされ、充足した時間がいつまでも続いているように思えました。ためらうことなく私は、駆けぬける快感を追ってその高みへと一気に駆け登っていったのです。
 行き着いたとき、それは焦燥と欲望の刹那でした。腰が激しい勢いで前後しました。彼も私の上で息をハーハーさせながら、せわしなく揺れていました。なにもかもが、大きな快楽のみに向かい突き進んでいきました。やがて幾度となく腰部を襲う痙攣の果てに、体の奥深くから沸きあがる熱い体液が激しい勢いでほとばしり出たのでした。辺り一面に栗の花の匂いが立ち込めました。そして匂いが鼻になじむにつれ、深い欲望は満ち足りた充足感に、不安や焦燥感は柔和な睡魔に変わっていったのです。

   昨晩から途方もなく長い旅をしてしまった私は、もう体を支えられないほど疲れきっていました。足の先、手の指先から、体じゅうの力がどんどん抜けていきました。いつしか私は腹ばいになっていました。その背中を、彼は優しく丹念になめまわしていました。そのとき、私はまた小学校の校庭の登り竹の上に戻っていました。そして遠くに走り去っていく白い犬に、いつまでも手を振っていたのでした。疲労と睡魔のため力尽きて登り竹から音もなく滑り落ちてしまうまで…。

「おい、ゼコ、カゼひくぞ」

 強く肩を揺すられ、ハッとして目が覚めました。見るとダボがそこにいました。奇妙な顔つきで私を覗きこんでいます。うっすらと夜が明けかけていました。一瞬なにが起こったのかと思いましたが、すぐ昨夜のことを思い出して辺りを見渡しました。しかし、だれもなにもいませんでした。それだけでなく、プールサイドは整然として、いつもの顔つきでそこにありました。昨夜のできごとの一片すら思い浮かべることはできません。目をこすりながら私は自分を見ました。たしかにパンツは脱げていました。しかしどこにも破かれたあとはありません。敷石の上に無造作に脱ぎ捨ててあるだけでした。

「白い犬、おらんかったか?」

 ダボに確かめてみました。

「なにねぼけとんや、夢でも見たんやろ」

 ダボは相手にしませんでした。そして私をせかしながらこういったのです。

「なにもこんなとこでやらんでもええやろ、アホ、今度からセッチンでせーよ」
「…」

  私は本当に奥手だったのですね。翌年入った高校の合宿で、そのときダボがいったことを初めて理解したくらいですから。いやはや、私たちの世代なんて、体こそ大きかったけれど、そのへんの知識となると、本当に無知で幼稚そのものだったのですね。

 えっ、全国大会はどうなったかって?

 そうそう、それなんですが、さきほども話しましたように、合宿であれほど調子を上げていたにもかかわらず、県大会の決勝でおしくも敗退しましてね。全国大会には出られずじまい。ほんとうに残念でした。世のなか広いなーと思いましたよ。しかし、わが青春の一頁を飾る楽しいできごとであったことにはまちがいありません。いまでもよく思いだしますよ、あの犬穴神社や大きな鳥居、犬神様や広い社、犬穴川の早い流れ、白い犬、裏のジャングル、鮮やかな朱色の道と神主、太刀人、稚児……いや、これはまた、ほんの寝物語のつもりでお話したつもりなのに、ついつい長話になってしまいました。さぞ、お疲れになったことでしょう。ちょうど私も眠くなってきたところです。時間も時間、明日に差し支えるとよくありません。この辺で眠るとしましょうか。また明日も希望を持って頑張りましょう。雪もほんの少し小降りになってきたようですし。それでは皆さん、これで、おやすみなさい……。

                  ◇

 翌日も雪は降り続いた。食料班、医療班、機動班はそれぞれ与えられた任務を忠実に果たした。食後、みな、二日目の夜の話し手に若いカメラマンを選ぶことで一致した。不意を突かれたカメラマンは、頭をかきかき、なんとか辞退しようとしたがしきれず、消灯もまじかになったころ、ようやく意を決して話しはじめた。


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