ひとをうごかすもの~あなたは本当に存在しているのか~人が生きる目的

パトスとロゴス

かつてギリシャ哲学者は、ひとをうごかすには2つあるといった。

パトスとロゴスである。

現代風に言えば、warm heart & cool headともいえよう。

感情と論理(説得)である。人がある人に好意を持ち気に入られたいときは、あの人のためにという感情で動く。そう仕向けることのできるリーダーはパトスを操っていることになろう。

人を殺すと刑務所に入れられますよと小学生に説明すると他人に対して危険な行為はしなくなる。これがロゴスである。

あなたは本当に存在しているのか

諸君がこの世に存在するとき、周囲に対して何らかの影響を与えている。詳しくは実存主義について調べていただきたいが、諸君がある対象に対して主体的に働きかけているその瞬間、諸君は存在する主体となる。

諸君に達成したい目的があるときに、その実現へ向けて意識を集中し行動しているときこそ自分が存在する瞬間であり、存在証明となる。他人でなく、自分自身の意識が右手を上げろと思い、事実、右手が動いて空気を切った。これが自分の意識が自分の右腕を動かす主体的意思=存在であるとする考え方である。少なくとも他者とは関係なく、自分の意思で右手を動かしたのは自分しか分からない。自分は他者によって動かされているのではない証拠である。

人として存在した、そして死亡して逝去したという事実は、よって、ある目的へ向けての主体的な意識・行動がなければならない。

時代、経済、歴史、生まれつきの障害など様々な要因で、人は生かされているが、人として生きることは主体的な目的的行為が必要である。それが動物とは異なるのではないか。

人の生きた証を残すとは、目標の実現可否に拘わらず、主体的意思活動の試みをすることにほかならない。

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