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24. あっち側に惑わされることがなくなった話
最近とてもよく感じるのですが、女性にとっての「あっち側」のついてまわる感じ・・・憧れ、魅力、転じてストレス、悔しさ、嫉妬ってすごくないですか?
何言ってんの?って感じだと思いますので、説明させてください(笑)
ひとと自分を比べちゃうんだ、っていうひとはわかってもらえるような気がします。
いざ!
学生の頃のあっち側
わたしは、勉強が嫌いというわけではないけれど、小さい頃から40歳になった今に至るまで勉強が苦手。特に継続学習が。
だから、小、中、高、大と学生時代は、興味のある教科しか勉強しないし、点数も上がらないタイプだった。
数学が致命的に弱く、嫌いだったので高2から私大文系コースを選択し、数学と決別した。
日本史においては、死んでしまったかなり昔の人に想いを馳せることができず、伝記とか漫画でわかる武将とかも読んでみたけど全く頭に入ってこなかった。
ただ、元来負けず嫌いであるわたしは、どうしても成し遂げたい、やらねばならぬことが出てくると火事場の馬鹿力が出た。
次赤点取ったら留年!を言い渡されたときの数学のテストは満点だったし、北海道の田舎から抜け出すには大学受験しかないと思い、学校の中でもお尻から数えたほうが早かった学力で、3ヶ月だけめっちゃ勉強し、現役でかろうじて東京の大学に入学を決めた。
なぜ頑張れたかと言うと、このまま地元で人生終えるのはいやだ!という強い気持ちと、「あっち側」に行きたいモチベーション。
当時のあっち側=東京での憧れのキャンパスライフ、だった。
実際は、東京の大学だと思ってたのに、キャンパスは埼玉の奥の奥で、森に囲まれたのどかな学校だったんだけど。
社会人になってのあっち側
大学を卒業して、超就職氷河期だったこと、自ら職を転々としたのは今までも色んなところで言っているから割愛するけれど、
とにかくバリバリ仕事をしているひとに憧れた。
わたしも熱狂的に仕事に邁進したかったが、全然思うような仕事にはつけなかった。
服が好きで服屋さんに入ったのに、ずっと服を畳み続けて人生終わるのか?と疑問に思って、結果辞めたし。
親に大学に行かせてもらったから、ちゃんとオフィスワークしなきゃと思って、一般事務もやってみたけど事務処理は苦手で、自分をダメ人間だなと思うばかりだった。
たまーに、仕事速いね!とか言われたけど、それは、いやいや周りがすこぶる遅いからだよって環境だったり、やっていることはわたしじゃなくても誰でもできることばかりで。
いつも、こんなはずじゃない!と思いながら、くすぶっていた。
大学のときの友達が仕事で活躍してることを聞くと焦ったし、テレビや雑誌で同い年くらいの人が、世の中に大きなインパクトを残しているのを知るといじけた。
特に、椎名林檎ね。
わたしは彼女と同い年で、同じ頃にイギリスにいた。(椎名林檎も20歳くらいでロンドンにいて、わたしも留学という名の遊学をしてた)
共通点それだけなのに笑
同い年でこんな歌詞書けるのかよ、とかライブ会場いっぱいにするくらいひとを魅了するのかよ、とか。
あとは、昔、夫が椎名林檎の顔が好きだとずっと言ってたのもあるかもしれないけど。
当時のあっち側=仕事で秀でている人たちの世界、だった。
30代のあっち側
正直、30代前半は、たぶん一生分、あっち側にいきたい、なぜいけない、永眠したい、と思っていた気がする。
まず、結婚。
いま考えると謎でしかないが、どうしても30歳になる前に嫁に行きたかった。
いきたすぎて、でもいけなくて、嫁に行くかわりに何回も占いに行った(笑)
30までに結婚できるよって言ってくれる占い師にあたるまで行った。
で、結局は結婚はした。結婚してるひとのあっち側に到達!と思ったら、またすぐに。
家
子ども
と容赦なく、また別の「あっち側」が襲ってきた。
この頃、20代の頃憧れていた仕事については、いつの間にかバリバリやれるようになっていて、成果も出せていた。けど、その環境にありがたみを感じることは忘れて、無いものを必死で追いかけた。
家は手に入れ、子どもは残念ながら今なお、いない。
旦那さんと仲が良くて、素敵なおうちに住んでいて、子どももいて・・・っていう家庭像に憧れた。
憧れたんだけど、自分が案外ステレオタイプなんだなーってことにも残念な気持ちになったり、世に言うフツーを全うするのがすごく難しいな、ということも感じた。
たぶんだけど、わたしのことだから、子どもがいたとしても、次はふたりめの子どもに憧れたり、仲良くいたいのに夫にイライラをぶつけて自己嫌悪に陥ったり、さらに子どもが大きくなったら子どもの学力とか、自分が子どもに対して何をしてあげられるかとか、お金、子育てと仕事、周りのイケてるワーママみたいにできない・・・とかで落ち込んだりするんだろうことが容易に予想がつく。自分の憧れるあっち側にずーっと心がかき乱されただろうな、と。
そして、あっち側に行きたくて、歯ぎしりしながら涙を飲んだ30代を経て、40歳になった。
あっち側消滅
今、行きたい「あっち側」がない。
ここで良い。ここが良い。
わたしが全てを手にいれたとか成し遂げたとかではないんだけど、もうあっち側に惑わされることがなくなった。
相変わらず子どもはいないし、仕事は自分のしたかった働き方を手に入れたけど、だからといってめっちゃ仕事ができるというわけでもなく、ミートキャリアのみなさんには、BBA迷惑かけっぱなしである。
老害にならぬよう気をつけることが目標。
40過ぎたらすごく楽になったので、何でかなー?と考えてみた。
もし、あっち側に歯ぎしりしてるひとがいたら参考になると嬉しい。
自分のことがわかっている気がする
これに尽きる。
わたしはわたし以上でも、以下でもないと腹落ちしたからかなーと思う。
苦手なこと、できないことはある。
が、それがわたしの価値を落とすわけではないこと。
逆にわたしにしか出来ないこともある、かもしれない。人より得意なこともたぶんある。
でも、だからと言って、それだけでわたしの価値が高くなるわけでもないかな、と思っている。
自己肯定感を高めよう、みたいなのがキャンペーン化されて久しいけれど、自分しか本当の自分を肯定してあげられないから、たぶんわたしは自己肯定感がある。高いか低いかは知らんが。
わたしは昔からひとと自分を比べては一喜一憂していて、今もひとと比べることはあるんだけど、一喜一憂はしなくなった。
そして、ひとと比べることも悪くはないと思っている。比較の中からしか生まれないこともあるしね。
ただ、最終的には、よそはよそ、わたしはわたし。
夫とか家族(両親、特に母と娘の関係性)との繋がりは大事だし、強いものだからこそ悩まされるようなこともあるけれど、「(相手を)何とかしよう」っていうのをやめたというか降参したのもラクになった理由のひとつ。今はあんまり身内に気持ちを持ってかれることが30代よりもだいぶなくなった。
自己分析っていうと就活みたいだけど、そんな堅苦しいものではなく、何かが起こったときに自分はどう感じたか、周りの意見は一旦置いておいて自分がどうしたいか?っていうのにひたすら向き合い続けて、自分の気持ちを優先・採用することを、これまたひたすら続けてきて今に至る。
年はとったけど、今が一番いいなあってほんと思うんですよ。
もし若い頃のわたしのように、身近にいる憧れるような、でも嫉妬するような対象がいる世界、あっち側にいきたくてヒリヒリしてる人がいたら、自分にひたすら向き合うことをおすすめするー。
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