弟が旅立ちました
昨年12月14日に、かねてから癌で病気療養中の弟(長男)が永眠いたしました。優しい顔で旅立ちました。
お葬儀は、家族葬で、家族のみでとり行い、両親と私と次男の弟と4人で弟の旅立ちを見守りました。弟が好きだったお菓子やチョコを母と私が揃え、車やギターなどの愛読していた本類などを次男が選び、棺にいれました。弟が生前あんこが大好物でしたので、母が弟のために、大納言を煮てこしらえた母手作りのあんこを弟のお顔に一番ちかいところにいれました。
4月の段階で、既に肺や背骨や全身に癌が転移しており「もって2〜3ヶ月」という余命宣告を担当医から家族は受けておりました。「明日その日がきてもおかしくない状況」とも宣告されておりました。
そんな春から12月まで頑張ってくれた弟は、とても強い子でした。大腸癌のため、人工肛門をとりつけ、抗がん剤治療のため、胸元にカテーテル用の穴をあけ、肌や髪が抗がん剤の影響かどんどん変化してゆきましたが、誰にも一度もそのことで不満や不遇感を弟は言いませんでした。母が「不満を言わないで、本当に偉かったね」とよく言います。
冬になり、弟は全身痛で身体を動かすことができない状態になり、再入院しました。
「お母さん、おれ家に帰りたいよ、家に帰りたいんだよ、お願いだよ家に帰りたいよ」と面会に母が行くと、必死に母に両手をさしだすような仕草をしながら呻くように母に訴えていました。意識が朦朧としている時も、看護師さんに「お母さん」とよく呼びかけていたようで、看護師さんが、
「『お母さん、お母さん……』とよく言っていましたから、弟さんは甘えん坊さんでしたね」と最期の日に仰っていました。
14日早朝に、大学病院よりお電話をいただき、母私次男の3人でタクシーでかけつけ、最期をみとることもできました。
遠方に居住していて、脳梗塞や背骨骨折の後遺症で身体が不自由な父も、その日に弟のもとにかけつけてきてくれました。
母はあまり泣かない人ですが、時折がっくりうつむきながら一人で泣いていて、また弟の遺品を見ては哀しみをかみしめていて、家族葬の日の父も見たことない悲壮な姿で、両親の悲しむ姿が、娘として今はとても辛いです。次男の弟は、元々おおらかで優しい性格なのもあり、病床の兄の髭をそってあげたり、歩くのが困難になった兄を背負ってあげたり、母と共に献身的に介護や兄を支える役割をこなしていたので、言葉にできない虚脱感があるように見えます。家族の様子を思うと、胸がぎゅうっと苦しくなります。
生前、弟が、「お姉ちゃんは文章発表したり、アート発表してるのがいいよ」とぽろっと話してくれたので、表現活動に邁進したいと改めて思っております。
まだ「〇〇君」と弟を呼んだら、弟が「なに?」と振り返るような気もしていて、気持ちの整理がおいついておりませんが、家族で支え合いながら、ゆっくりでも前を向いて歩いてゆこうと思います。