『名もなき77億のあた詩たちへ』
⑨ 酢飯と新橋とポストモダン
いい加減、一時間ぐらい経ったかなと思って、「師匠」はどうしているかなと徒労し、ふと手を休め「師匠」を探し拝見しましたら、「師匠」は、《アイドル蒸しパン♪》のラインで、現在大人気のAKB48やらHey!Say!JUMPやらのアイドル(ぐうぞう)様たちの顔の焼印を、普通の蒸しパンにジュッと熱いコテのようなものでおしてゆく作業をひたすらされていたのですが(やはりベテランしか許されざる緊張感のあるお仕事です)、
「まだ一分しか経ってないよ! まだ新橋にも着いてないでしょ」
とあたしの甘さを見透かして言い放つのです。
……愕! あまりにも愕! 愕然としすぎて手にしていた納豆を思わずぼっちょり、床に落としてしまう始末……。だって納豆をひたすらひたすらら、こんなに並べ続けているのに、まだ一分……。
全然時間が経ちませぇん。信じられませーん、信じられませーん、この時空感覚。でも、ちょっとちょっと、この超越的な感覚が、あたしに足りなかった文学的修行系体験なのかも、と連をかすめたり、気のせいだったり、というか、思考を納豆引き作業によって乳母我って行くゴッサム山手線。
その合間にも、嫌がらせのようにずっとジュリアナーーートキョおおおおおおおーー!! ひゅうひゅう!! の、色あせたはずなのにメッキメキのハイテクなテクノダンスみゅーじっくが車両内に大音量で流れて、ひたすらビニール手袋をはめはめした手で納豆の一本線を酢飯の真ん中にひいては、ひいて、ひいてはまたひいて、納豆の一本線をひき、ひき、ひき、この巡ってゆく山手線で永遠に終らないような時間を過ごしておりました。「お友達」も、各々食パンを六枚集めてトントン、と揃えてラインにそれを置く作業、などをひたすらんこぶこなし、刻々と過ぎ行かない時間の中、納豆と酢飯とあたしとの間にある種の一体感すら生じ、手巻き寿司に三百五十本ぐらい納豆の一本線置いたかなぁと実感しえた段階では、もはや人体官能が全般的に麻痺し、ダイエットとか男装とかそーいうのどーでも、どーでもいいから、という時計仕掛けのオレンジ状態カッカッカな状態におちいてしまい、なんでふか、もうあれですよね、やけですよね、やけ、っていうか開き直りというか詩行停止してしまっておりましたので、あたしは、停止した極限に出てきてしまった未知のざわめきの領域に入り、ゆえにわざと納豆を線状に置くのを失敗したふりをして、「あっ、失敗しちゃったから食っちゃおっ(てへ)」と顔を覆っているマスクごしにでっちあげの耕しを行い、納豆巻きをくるっと自分で巻いて(巻くのはライン工程のあたしの次にある機械のお仕事なのですが)、マスクをプハっと取り去って、ぱくっ! ぱくぱくぱくっと盗み食いしてしまいました、納豆巻きを。犯罪すれすれです。ってか場合によっては犯罪です。ってまぁ、あくまでもあちらの世界ではの前提ですが。でも、脳が手が口が勝手に動いちゃったんです、制御できなかったのです。気がついたら食ってました、無我夢中でバリバリと納豆巻きを……。
その時でございます。「師匠」が《アイドル蒸しパン♪》のラインからパッと離れて、あんた、一皮むけたじゃん、的なドヤ顔で、ニヤリンと笑い、そして彼女はパン工場バイトルックを脱ぎ去って、再び、ラメラメしたボディコンシャス姿のジュリアナーンの生霊へと戻り、お弟子さんのジュリアナーン方とジュリ扇を振りんこ振りりりんこしながら快活に舞い始めたのです。
ひゅうー!
ここで、車両内を占領していたこの東京のどこかにあるパン工場とラインはすぱっしゅ、と消え去りました。ああ、地獄のようなバイト、労働、おわた……そして、あの悪趣味なジュリアナ東京みゅーじっくもフェードアウトし、新橋駅に到着することを告げる自動アナウンスが車内にかかります。
「言っとくけど。あたしら、踊るポストモダンだから」
と「師匠」はあたしに言い残して、いつもならばニートのあたしには世にも卑屈モードシャスりんこ通過点のこの新橋駅でお弟子さんたちのジュリアナーンの生霊ご一行、ライドアウートしてゆきました。
先ほどまで確かに形式的想像物理の中に力動していたぐるりん山手線パン工場で永遠のように感じられるジュリアナ東京の穴が未だに存在する田町駅から新橋駅までの壱駅間、この二十年のなうのジュリアナーンたちの地道に労働した後姿の背中は、太っているのとちょっと違うのですが、その背meatたぷたぷたぽにょぽにょしていて、なんか憎めない一抹の図々しさを携えた脚韻を感じさるものでございました。
そして、山手線が新橋駅から走り始めたらば、ジュリアナーンの生霊と山手線パン工場のラインのかもし出した生活感情のオルフェは、ひゅるり~~ひゅるり~~ヒュウ! ヒュウ! ジュリアナとーきょおおおおーーーーーーー!ヒュウ! のバブリシャスな聴覚の奥のとこに残したくないのに残っちゃう音響と、時代の中で振られ続けたジュリ扇から落ちたユリカモメの羽たちが、山手線の床に幾枚か落ちていて、ロストジェネレーションの酢飯の匂いが新橋駅に停車中の車両の開いたドアからの微風に、あちらこちらに乱れとび、それらは形象の残像としてしゃぼんの玉に形を変えたのです。
あー、しゃぼんだまだぁ。
あたしは、しゃぼん玉の技巧/アルス無しの単純で飾り気のない必ずはじけることが確定している儚い二次的な形象に素直に見入ってしまいました。
しゃぼん玉
しゃぼん玉 とんだ 屋根までとんだ
屋根まで とんで 壊れて 消えた
風 かぜ ふくな しゃぼん玉 と・ば・そ
しゃぼん玉、ひらはら ふゆう ふろうてぃん。
幾つも幾つも思想の真珠のしゃぼん玉が浮遊する中、車両内に浮き世/憂き世/雨季代を去らなければならなかったお子さん達のボーダー無き同位の働きが集合し、山手線の公認直線の中に、知覚と無情の温度曲線がにゅろゆろと生きられたラオム/lived_spaceとして複雑に通信されはじめたのでございます。絶対にそのお子さんたちは存在して居たんだ痛んだというぐるぐる巡る山手線の母胎の輝度(ふぁ)感覚(に~)の外界範囲がお子さん方を生きられる空間へと誘い申し、お子さんたちはちゃんと現身(うつつみ)、してして御揃いの白地に赤い玉の模様のスカーフをばお首に可愛らしく巻いて、《山手線混声児童合唱団》となり、愛らしい二十四色のパレットの声で童謡『しゃぼん玉』を歌ってくれはじめました。
しゃぼん玉 消えた 飛ばずに 消えた
産まれて すぐに 壊れて 消えた
風 かぜ ふくな しゃぼん玉
と・ば・そ
野口雨情さんが、時の棲み家を乗り越えて、母やあたしや玉ちゃん、この子達、他の統べての人たちの鎮魂をしてくれたのかもしれないなぁって、車両内に適切な明度感覚/リウシィとして顕れたこの童謡とこの永久の移り変わりに富んだ色綾のしゃぼん玉たち……って、その歌としゃぼん玉に、あたしは、山手線内でちょっとちょっとじぃんとしちゃいました。
と、しゃぼんを投影させたあたしの網膜の中の透明水晶体と「じぃん」との戯れの接吻束の間、そのじぃんのイメジェリーの涙っ子がぽろりんちょと頬を伝う前に、『二十四の瞳』 の虹みたいなたくさんのしゃぼん玉たちと《山手線混声児童合唱団》の詩せる域せるお子さんたちの歌声がメランコリックハーモニーとなり次々としゃぼん玉が~山手線の屋根まで飛んで~、屋根が壊れて消えた~~♪
ぶっ壊れ、瞬時に消えました、山手線の屋根が。
こ、壊れて消えるのはしゃぼん玉じゃなく、屋根。そうでふか雨情先生、そっちですかってそんなこんなでわーわー雨情先生へのrealを体内感覚で追求をばしこしこしていたらば、夢か現(うつつ)かのしゃぼんの残り香がa hard fact方位へと怒涛の舵をきり、面舵いっぱーい、いっぱいいっぱい過ぎるぅーと、驚き傾斜香りの臨界点をあたしの臭覚がお鼻の中のお花畑で突破してしまったやうで、それらは臭覚から聴覚への感受器に濃縮されて連結し、ゆえに聴内音度曲線の《温》と《冷》のあたしの神経回路宇宙のわんだーヴェクトルの臨界点をも、いとも簡単にバーバぱーぱぱー突破してしまい、つり革につかまっていなかった「お友達」三人が、吹き荒れる突風の中(ほら、屋根がぶち壊れて消えましたからね……ええ……)
「あー、飛んじゃう~~。まったねー。ばっははーい」
と、すんげぃ適当な感じで、まろやか~に天地万有のスコープに吸い込まれるが如く、山手線からお空へと突風サーフィンしながら、かもめのどどめーズになって、水の珠のしゃぼん玉たちとふわりん、ふろ~てぃんしていったのです。
(つづくよ…)