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心と体は愛するものにだけ見せなさい

「心と体は愛するものにだけ見せなさい。あなたに見せても減るものではないけれど、あなたに見せるほど安いものでもないのよ。」

私は自分の気持ちが見失わないように、私にしか見せない手紙を書いている。
これはその中にある、いつかの私が書いたものだ。

前回の「好きでもない人とキスできることを知った」にもあったように、先輩と付き合うことになってキスをした。
その2日後に先輩に、付き合うのをなしにしたいと伝えた。
すごく自分勝手なのはわかってる。
でもそれ以上に自分を大切にしようと思った。
先輩は、そう言うと思ったよと優しく受け入れてくれた。

先輩が悪い人なわけじゃない。
だけど、どうしても好きになれなかった。
先輩の「好きだよ」も、きっとその場の雰囲気の言葉だろうと思う。
だからこのまま付き合って好きでもない人に初めてを捧げるのは自分の価値を下げるようで、その先の自分を大切に出来なくなってしまうと思った。

普段隠している心や体が見えるのは、愛し合っている人の特権だと思っている。
この先生きていけばそんなのは子供の戯言だと思う時が来るだろうけど、今はまだ本気でそう思っている。
だからこそ、簡単にその場の流れだけで心を許してはいけないのだと思うし、体も許してはいけないのだと思う。

「夜のお仕事だけはやめてね」
「お金に困ったら頼ってくれていいから」
親によく言われている言葉だ。
幼い頃から、少し生々しい犯罪の話をされる。
そんなことがこの世では起こっているし、案外身近なことでもあるから気をつけなさいと言われる。
彼氏と家で過ごしていると連絡がしつこいくらい来て、すぐ返信しなかったら心配をされる。
彼氏が帰った後に「赤ちゃんができるようなことはしないでね」と思春期の娘に対して危ないラインを平気で言ってくる。

こんなことばかりだから、自分の体は大切にしようと幼い頃から決めている。
ピアスを開けないとかじゃなく、体を誰かに預けることに対してだ。

では、心はどうだろうか。
心と体は繋がっていると考える私からしたら、心も大切にするべきだ。
心が疲れると体に不調が出るし、反対に心がウキウキしていると自然と体は軽くなる。

だけど、心をどこまで見せるべきなのかの基準は体と違って一般論はない。
自分だけの心の奥底が大事なところなのか、はたまた気を許せる友達はもう心を見せているのか。
その基準はきっと人によって違うんだろうと思う。
何にせよ、ノリで話す友達に自分の塗り替えたい過去のような大事なことを話すのは違っている。
相手も自分に心を見せたいと思っているかどうか慎重にお互いを尊重しつつ見せていくものだと思う。

SNSで誰を相手にしているかもわからないような現状では、難しい話かもしれない。
だけど、不特定多数ではあるが確実な「誰か」を相手に私は話している。
このnoteでは「好き」を押して相手に伝えれる。
それだけで共感や理解など、それぞれの気持ちではあるが、なにかしらの想いを私の言葉で抱いてくれる。
文字を読むことは何かをしながらでは難しいことだと思うし、時間を取る。
こんな拙い私の言葉を読んで「好き」を押してくださる人はきっと惰性ではない。
だから私は、このnoteでは心を見せていきたいと思う。
私の心が安くはないように、あなたの「好き」も安くはないから。
だから私はあなたに心を預けたい。


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