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美学への招待


1.美学を学ぶことになった背景

この記事では、学び始めた「美学」についてまとめていこうと思います。

そもそも美学とは?

美学 : 一八世紀中葉の西洋において提起された、美と藝術と感性を主題とする哲学

美学への招待

美学についてまとめる前に、学ぼうと思った経緯をお話しします。
20代前半は、洋服好きが高じてアパレル業界で働いていました。その時のある先輩が非常に格好良いスタイリングをしていたのです。

一見すると、ただのデニム、Tシャツ、コンバース。
しかも割と汚い....!

先輩に詳しく聞いてみると、実はデニムはヴィンテージのリーバイス、コンバースはUSA製しか履かないというのです。
俺の服が汚いのには理由があると言っていたのが印象的でした。

つまり自分の好みを把握し、そのコンテクストに則ったスタイリングをすることで、シンプルな中にも個性を感じせさていたのです。

その経験から、所謂"センスが良い"というのは、もともと持っていた感覚だけはなく、培ってきた知識と経験による最適化であると理解しました。

この経験がきっかけとなり格好良い、センスが良い、美しいという事象について気になるようになりました。

そんな中、美しいということについて考える学問である「美学」というものを知り勉強をしてみようと思い立ったのです。


2.美学とは / 美学への招待

参考書籍としたのは「美学への招待 増補版」佐々木健一著

二〇世紀後半以降、あらゆる文化や文明が激しく急速に変化している。藝術の世界も例外ではない。複製がオリジナル以上の影響力を持ち、作品は美術館以外で展示されることが当たり前になってきている。本書は、藝術がいま突きつけられている課題を、私たちが日常抱く素朴な感想や疑問を手がかりに解きほぐす「美学入門」である。増補にあたって第九章「美学の現在」と第一〇章「美の哲学」を書き下ろし。

内容(「BOOK」データベースより)

佐々木健一氏は東京大学名誉教授、美学会会長、国際美学連盟会長などを務める日本を代表する美学者です。

美学への招待は、これまで美学を学んだことのない人びとを、この学問へと導く手引きとして書かれた1冊。

以下はこの書籍をまとめる形式で、美学を紹介していこうと思います。

早速、参りましょう!

3.背景の確保

美学について、学説を紹介するのではなく、皆さんが経験している事実から美学を指摘するという方針で進んで行きます。

ただ、いきなり指摘をしても、取り上げられた事実は身近でも、なぜそれが美学の問題なのかは腑に落ちないことも多いでしょう。

なので、最初に一般常識的に美学と理解されているものが、どのようなものであるかを説明しておく必要があるとのことです。

そもそも美学が成立したのは18世紀中葉の西洋においてです。
18世紀、つまり近代とはどのような時代だったのでしょう。

近代とは、鉄砲や大砲、印刷術や羅針盤などが発明され、文明を飛躍的に発展させた激動の時代です。

そんな中、1750年ドイツの哲学者A・G・バウムガルデンが「Aesthetica(感性学=美学)」という書物を著して、美学という哲学的学科を創始します。

この著書の中で、バウムガルデンは藝術(彼は詩を主たる考察対象としていました)の本領が美にあり、その美は感性的に認識されるという考え方を示し、藝術と美と感性の同心円構造を打ち立てました。

※19世紀以降、この三者の同心円的構造が崩れ、美しくない藝術が生まれ、それは感性ではなく知性によってしか理解されないという状況が進展します。

成立期の美学の重要な主題の一つは、「藝術の存在理由」に関する議論です。

そこには大きな二つの価値観があり、それは以下の二つ。
1.美の虚構性
2.美の無関心性

1.美の虚構性
ー現実の社会の中では、人びとは自らの利益を追求し、相互に対立しあっている。しかし、虚構の世界のである藝術作品においては、人は不幸な目に遭っている正義の人に共感を寄せることができる。

2.美の無関心性
ー美を喜ぶことは、その対象を所有する欲望とは異なる性質である。

上記の議論から発展し、「藝術の存在理由」から「美的体験」という主題へと展開してゆきます。
これは藝術作品の美を鑑賞するとき、その体験はどのようなものでなければいけないかというものです。

さらに「美的体験」ともう一つの主題として美的範疇があります。
優美、崇高など美と似た性質の概念グループを指します。


そして「美的体験」「美的範疇」は20世紀後半の「解釈」「美的概念」へと変容していきます。

美的体験 : 感性的で鑑賞的。概念を持たず、虚心坦懐に快感情を求める

解釈 : 知的な活動。美的体験が排除した「概念」を理解のための前提条件とした 
※「泉」は知的レベルにしか、その存在意義はありません

美的範疇  : 「美しい」に類する形容詞の束
                     →美、優美、崇高などのごく少数の概念

美的概念  : 「美しい」に類する形容詞の束
      →陰気な、メランコリックな、エレガントな・・・、無数の集合
      各人がそれぞれの感性に従って工夫して形容しなければならない

つまり現代に行おかる美学は基本条件は以下となります。

どれほど多くの人々の感性に訴えることのできる問題を捉えるか
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既成の概念に囚われずに、どれほど美や藝術の現実に迫れるか


4.センスの話

センスとは常識的な網の目をさらに細かくすることで、知性の営みや文化的な活動にも関わっています。

-感ずるという働き-
精神の働きの中に《感ずる》と呼ばれているものがあり、その感ずる精神を指して感性と呼んでいます。

感性には以下の3つの特徴があります。
1.直接性
2.反応、判断が即刻のものである
3.即刻の判断の示す総合性

何かを感じたとき、それを解析することは容易ではありません。しかし、「感ずる」という体験そのものは明瞭です。
そこで怠惰な知性は、センスを持ち出し分析を禁ずるのです。

つまり、感じるとは"劣った精神の働きであるどころか、極めて高次の浸透力を持った精神の働き"なのです。


5.コピーの藝術

近代になって藝術の所産は「作品」になるとともに「商品」となりました。
複製化によって、誰の求めにも応えられるようになったのです。

ここで重要なのは、コピーとしての藝術がその観賞形態に変化をもたらしたこと。
今までは正装しそれなりの準備をして、コンサート会場に行っていたものが、家で気軽に音楽を聴けるようになったのは大きな変化です。

我々の経験の上では、複製自体がオリジナルとなっています。
経験の中で、何らかの意味で直接体験が最初に来ることはほとんど無いのではないでしょうか。

テクノロジーが複製を増殖させることによって、複製の存在が圧倒的なヴォリュームを持っているのです。

本来 : オリジナル → 複製が生まれる
経験の実態 : 複製の体験 → オリジナルの体験 → 複製の再認
      (例 : ストリーミング → ライブ → ストリーミング)

これは複製の存在価値の肯定的な根拠の一端です。

かつて藝術は公共性を形成する役割であったのに対して、複製の経験は、個人化し、経験の様式は自閉的なものになります。

「オリジナル」のもつ長所とは共同体験です。
共同の藝術観賞という体験は、社会生活へとフィードバックされて社会の健康を回復させる力となります。

近代テクノロジーの申し子である"複製"に対して、バプリックアートが増えてきているのは、藝術の公共的なあり方が、時代の課題として注目されているからでしょう。

6.しなやかな応答

「悪役の射殺」という言葉をご存知でしょうか。
この言葉は、芝居を見ていた観客の一人が熱中するあまり、ピストルで舞台上の悪役を射殺してしまった出来事です。

近代美学の主要な理論に観賞論があります。
これは正しい観賞の態度として「美的な(感性的な)」態度が良いというもの。

「美的態度」は、怒りや笑いに対応できるかもしれません。しかし体験型の藝術に対応することはできません。
重要なのは、個々の現実にしなやかに応答することです。「美的態度」をその応答の中に組み込んで理解することです。

 現代の美学において、作者の意図を証言によって確かめても無意味だと言います。これは作者自身が自作を誤解することがよくあることだからです。
一方、”誤解している”というのは”作品に固有の意図がある”ということを示しています。

一見、わけのわからないと見える作品に対する時、作品の固有の意図を捉えるのが重要です。

しなやかな対応の例として、アンディ・ウォーホルのブリロ・ボックスという作品を例にあげます。

ブリロ・ボックス

This is Mediaより引用

アンディ・ウォーホルは商業デザイナーから美術家へと転身した、ポップアートの巨匠です。
彼の特筆すべき点は、美術を商品化することに成功したこと。
※通常画家の仕事部屋はアトリエと言いますが、彼は自分の仕事場をファクトリーと呼んでいました。

ブリロ・ボックスとは、ブリロという金属製のたわしを運搬するた目の段ボール箱をそっくり再生した作品です。

ウォーホルの個展で、この作品を見た人々はこれを藝術とは認めませんでした。再生型の美術においては、伝えるに値するものが再現されていたのに対し、ブリロ・ボックスはほとんど価値の無いものだったからです。

ブリロ・ボックスの違い
ギャラリーに展示されているもの → 藝術
スーパーの倉庫に積まれているもの → 実用品

しかしここで、こんなものは藝術ではないと否定してしまうよりも、子供のような反応で、面白がることがしなやかな対応なのではないでしょうか。

この作品を見て、哲学者のダントーは深い哲学的洞察に誘われます。それは芸術と実用品の差は何かということ。

知覚的な卓越さが、言い換えればその美的品質が問題となるのではなく、この哲学的な問題的ゆえに重要な作品であると言います。

ダントーは《藝術の終焉》という言葉で表現しました。
藝術は知覚されるものから、考えられるべきものになったのです。


7.あなたは現代派?それとも伝統派?

現代の美術の特徴として、「古典の人気、現代作品の不人気」があります。

藝術作品の活動が活発に行われているのであれば、その新作が古い作品を押しのけて、人々の間に流通して行くのが自然なあり方でしょう。

しかし、美術館に収蔵されているものは古典的な作品です。美術館が続々と造られるようになったのは、昔の美術に対する関心、古い傑作に対する広範な尊敬の気持ちがあったのでしょう。

この変化の根底にあるのは、藝術をどのように考えるかという思想です。

そもそも、永遠の藝術と現代的藝術の違いは何でしょうか。

「永遠の藝術」
知覚レベル → 革新的な新様式は観賞者の知覚を変革 → 更新された知覚はかつて目新しかった様式の作品を抵抗なく受容するようになる

「現代的藝術」
観念のレベル → 観念は一度「知られる」ならば、もはや知覚の装置を必要としない。

ここで注目するのが「新しさ」の概念です。

19世紀以前は、藝術家の意欲に基づくものでした。
※人々の注目を集めるために、何らかの新しい工夫が必要だったのです。
しかし近代藝術における新しさとは、藝術のイデオロギー(本質は精神の創造性)の要求する必要事項です。

手ではなく精神の創造性が問題になるとすれば、理論的な裏付けを持った新しさが必要になります。

つまり「近代芸術における新しさ」=「芸術論=美学的な主張としての新しさ」なのです。

「新しさ」の思想史において決定的な役割を果たしたのがボートレールです。
彼は新しいものが永遠のものと結びついて美が生まれると言いました。そして産業革命のただ中、自らの時代の生活形態のなかに、刻々と生まれては消えてゆく新しいものを見ていました。
この「新しさ」に魅了されたのです。

この「新しさ」がアヴァンギャルド運動に発展し、アヴァンギャルド運動が過激になったことで鑑賞者たちとの意識が乖離します。
この結果、古典と現代作品の逆転現象が生まれてくるのです。

8.美学の哲学

アバンギャルド運動は、美を拒みます。

美しい藝術は、支配階級の信棒する価値だった。その支配階級が第一次世界大戦を引き起こした。もはや美しい藝術をつくる意味はない。

M・エルンスト

20世紀はアヴァンギャルドの世紀であり、それに応じて美学もまた美の否認を出発点としています。
一方、20世紀の末頃から、美に対する関心の顕著な復活の動きが見られます。

著作の中では、これについて二人の哲学者を対比しながら論じています。
それはダントーとネハマスの二人。

ダントー  : 「美への悪態」
思想の本質はショーペンハウアー「美による救済」です。
《世界を動かしているのは「意志」であり、生きることは争いと苦悩をもたらす。その対極が理想的な世界を観想することである。その観想の典型が美しい藝術にある。》

ダントーは、自然美と藝術美の他に第三領域の美(生活世界での美)があると言います。
ここでは美の直感性が端的に表れているのです。

ネハマス : 「ただ幸福の約束のみ -藝術の世界における美の位置」
思想の本質はプラトン「饗宴」にて展開されるエロスの哲学です。
《美はエロス、すなわちその美しいものについて一層の探求を行いたいという欲望をかき立てる》

ネハマスは、ひとの美を起点として美を考えます。
美は最初の一撃において、既に謎の深みをたたえており、これは「未来の知」への欲望を想起させます。

二人の説をふまえて、以下の三つの美を考えることができます。
1.苦難を和らげる共同経験としてのなぐさめの美 (ダントー)
2.生の意欲をかき立てる美のエロス性 (ネハマス)
3.そもそも宇宙に備わっている美

美が人生に不可欠であるということは、美が藝術のような特定の領域に特有のものではなく、世界に広く見られる現象であることを示しています。

つまり藝術において美を考えるのではなく(あるいはそれだけでなく)、美に
おいて藝術を考えるということです。

近代美学は美を藝術と自然に認めました。それに対してネハマスはひとの美を、ダントーは日常世界の美をモデルとしてそれぞれの思索を展開しました。
美に関する哲学的思考を深めることによって、文化や藝術について、さらに異なる展望が開けてゆく可能性があると思います。

9.最後に

自分への学びとして、「美学への招待」をまとめました。

美、藝術、感性への興味への一端としておすすめの1冊です。


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