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虐待と洗脳~自尊心を失った私②~

※前回の続きからとなっておりますので、先ずはそちらを読んでからご覧ください。


それから小学校へ上がりました。
その間に弟が生まれ暫くは私への暴力や虐待のようなことはありませんでした。

そして、小学校へ上がったときとあることで友達と喧嘩をしました。なにが原因か詳しくは、忘れてしまいましたが、子供同士でよくあるそんなくだらないことだったと思います。
本来(なのかはわかりませんが)自分の子供がもし、嘘をついていたとしたらなぜ嘘をついたのか嘘を付くのがなぜいけないことなのかを、わかりやすく説明し、次どうすれば良いかを一緒に考えると思うのです。
私は本当は自分が加害者側なのにも関わらず、叱られたくないからと保身を図るため、親に「○○ちゃんが…」と嘘をつきました。
初めは話を聞いてくれてその子のところへ話を聞きに行ったりしましたが、丁度その子の家に仲良しグループの何人かが遊びに来ており、私とその子のやり取りを間近でみていて、私が悪いと言うことが露呈しました。
その後、家に帰り恐怖が待ち構えていました。
私が嘘をついていたと言うことにショックを受けたのは解ります。私も今は男の子二人の母親ですし、長男が嘘を付くと悲しい気持ちになります。
でもその怒りに任せ、怒鳴る、殴る、引っ張る、投げるをされ、私が泣くと「泣くな!泣いて許されると思うな!気持ち悪いから泣くのやめろ!」と怒鳴られました。
そしてその時丁度父親が帰宅しました。
私は帰宅してすぐ玄関で怒られていました。
一瞬目を丸くして驚いていた父親でしたが、母親から話を聞き、段々と怒りの表情を浮かべたかと思うと私の腕を引っ張り、台所へと連れていかれました。そして台所の下にある収納棚のところへ投げ出されその時肩を強打しましたが折れるほどではなかったのが幸いでした。
そして、なにを言ってるのかパニックで覚えていませんが、父親から蹴られて髪の毛を引っ張られ、棚に思い切り叩き付けられました。口を切り、鼻血を出しました。
思い切り頬を叩かれとても熱かったのを覚えています。
その日は夕方に祖母がくる予定だったので、両親は一通り私を殴り蹴飛ばしたあと、保冷剤を投げて「冷やしとけ!」と言いました。
その後、祖母がくるときに母親から「誰にも話すな。話したら外に放り出す」と言われていましたので、誰にも話せませんでした。
というより、そう言うことがあったことがショックで話すことが出来ませんでした。


その後も弟が大きくなるにつれ、比べられることが増えました。どんなに頑張ってテストで100点を取っても誉められることはなく、言われることは毎回「100点取れるのが当たり前。それを継続しないと意味がない」と。
そしてテレビなどでよく親の言うことに反発して反抗期を迎えている番組などがやっていると、それを見せて「こういうやつは人間として劣ってる。親の言うことは絶対やで。年上の人は絶対間違ってることは言わん。だから親の言うことに逆らったらあかん」と言われ続けました。
不思議ですよね。どんなに間違っていることでも、親が虚実を『真実』として子供に伝えると子供は本当に『真実』と受け止めてしまうんです。
だって疑うことが罪だと悪いことだと教えられて育ってきた人間に疑うことはできません。
子供にとってどんな親でもその親しか頼れないんです。親が全てなのです。
私も疑うことを知らずに育ちました。特に年上の言うことはなにがなんでも、疑わずにきちんと受け入れるということをずっと教えられてきました。

そうして育ってきた私に、両親はどんどん責め立てるようなことを言ってきました。
あるときは『弟が泣かないように世話をしなさい』と。
あるときは『全てのテストで100点をとりなさい』と。
あるときは『学校で配られたドリルや教科書の問題をやり終わるまで寝てはいけない』と。
本当に普通では考えられないようなことの連続で、私の心はズタズタに壊れていました。もう、なにが正しいのかなんて解りませんでした。
そして、一番怖かったのはお風呂でした。
すこし、時系列が戻りますが、あれは幼稚園に入園したての幼い頃。
そりゃ、小学校の頃の、計算ドリルや教科書を全て終わるまで眠れないのですから、眠れないのも辛かったですが、それは見張られているわけではなかったので力尽きて眠ることがありました。
しかし、お風呂では幼いながらに死を思うほどのとてつもない恐怖体験をしました。
それは、父親とお風呂に入っていたときのことです。
父親は熱いお風呂が好きだったので45度のお湯に一番風呂で入っていました。
私はまだ、幼稚園くらいの子供だったので当然、長時間熱いお風呂に浸かることなんてできません。当時は冬場でしたが追い焚き機能が付いていたのでお湯が冷めることもなく常に一定の温度が保たれるお風呂でした。
そこで、父親に「100まで数えるまで出てくるな」といい、私が10から先を間違える度に1から数えさせられました。そして「お前と浸かってると逆上せるわ!俺は上がるけど数え終わるまで出てくるな。きちんと肩まで浸かって数えろ」といわれ、疑うことを知らない私は素直に従っていました。肩を出さないようにお風呂に浸かり、1から順番に数えました。しかし、どうしても10から先を間違えてしまいます。
それもそのはず。だって当時は10までしか数えられず、その先の数字は教わったばかりですぐに覚えられなかったのですから。
そんな子供が一生懸命思い出しながら数えていても終わるわけありませんよね?
でも私は誰にも助けを求めず、親がいったことが絶対と教わっていたので、ずっと数え続けていました。
段々と意識がボーッとして気持ち悪くなってくるのが解りました。それでも一生懸命数えました。
そしていつのまにか、涙を流して嗚咽をこぼしながらずっとうわ言のように数を数えていました。
そしていつまでたっても上がってこない私に気づいた母親がお風呂にきて溺れる一歩手前の私を引き上げ、助けてくれたのですがそのときに言われた一言は心配する言葉でもなく父親に怒ってくれる言葉でもなかったのです。
それは「ほんまにグズ‼️きちんと数えたら終わるやろ‼️お前が死んだら誰がお前を育てられるんや❗」と叱られました。
もう、私はその頃から自分は親のストレスを受け止めないといけない存在なんだと思うようになりました。

虐待と洗脳~自尊心を失った私③~へ続く

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