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虐待と洗脳~自尊心を失った私~

初めに、この話は全てノンフィクションとなっており、私の実体験を書いています。なるべく楽しく読めるようにしていきますが、中には目を塞ぎたくなるような内容を含むことになります。
それでも読んでくださる方のみご覧ください。
尚、誹謗中傷は受け付けません。マナーを守れる方のみでお願いします。

私は小さい頃から自分自身への『欲望』がとても薄い子供でした。周りの同い年くらいの子供たちと違い我が儘は言わず、嫌々も言わず、大人の話に逆らうこともなく逆に大人の話を全て信じながら育ってきました。
そのため、周りの大人は親も含め「大人しい子」「育てやすい子」「良い子」と言われていました。しかし、私自身そうならざるを得ない育ちかたをしてきました。

  ここで、少し家族構成と住んでいたところをお話ししましょう。
  まずは父親。小さい頃はパパと呼んでいました。建築家で愛妻家でしたが、子煩悩ではありませんでした。「子供も大人と同じ」という考えを持っていて、子供だからと言って甘やかすようなことはしませんでした。なにかを頑張っても「出来て当たり前。他の人に劣るものを自慢するのはダメなこと。人に劣らないことを見つけてそれを見せにこい」と言ってくるような人でした。
  母親は専業主婦。幼い頃はちゃーちゃんと呼んでいました。母親は料理は得意ではありませんでしたがお菓子作りが得意で、誕生日には可愛くて美味しいケーキを作ってくれました。しかし、躾はとても厳しく、私は幼少期からテーブルマナーを叩き込まれ、女の子だからと服装も女の子らしいものをずっと選ばれ、自分で選ぶものは一切拒否されてきました。
  住んでいたところは、父親の働いていた建設会社の社宅で、七階建ての最上階。屋上は自由に使えたのでプランターで野菜を育てたり夏にはプールを出して遊んだりしました。部屋は1フロアー全てがその家族のもので、エレベーターが備え付けてあり、エレベーターを降りたすぐ前にロビーのような場所がありました。そして非常階段も近くにあり、鉄の扉がいつも開いていて雨の日以外は開いていました。寒くても暑くても開いていました。
そして私は当時3歳。

そんな両親に育てられてきた私は人より感情は豊かでも自分の心は空っぽでした。選ぶことを全て断られ、自分というものを一切出さず、親の話を全て素直に聞き入れなくては怒られるという環境にいました。
そして、ある日私は夕食のあとお風呂に入るまでの時間をリビングのソファの近くで寝転がって過ごしていました。
お酒を飲み終わった父親がソファのところへ来ました。いつもはソファに座るのですが、なにを思ったのか私の近くへ来て突然、私の首と背中に脚を乗せてきました。当時3歳だった私は苦しかったので「パパ!くるしいからどいて?」といいました。すると父親は「退けれるものなら退けてみぃ!」と言って、さらに力を加えてきました。
3歳の子供が大人の力に敵うと思いますか?
でも抜けないとどんどん首と背中への圧迫が強まっていきます。抜けようと踠けば踠くほど力が強まっていきました。
そして、とうとう抜けることが出来ず、息も上手く吸えず苦しくて大泣きしました。それはもう、外に聞こえるほど大泣きしました。その声に驚き、ようやく脚が退けられました。因みに側にいていた母親はなにをしていたかと言うと、私の方を指差し大笑いしながら「あっはっはっ!踠いてる~!必死やん!しかも抜けられてないし!アホや~!あはは!」と笑い転げていただけで、助けてもくれませんでした。
ようやく退けられた脚から慌てて部屋の入り口まで逃げ、振り返りました。入り口にしがみつき震えていました。
そんな私の姿を見て父親が放った言葉。
「情けねぇ!たかが大人の脚の重さを退けられないとかどんだけひ弱やねん!しかも大声でなくとかほんまにお前は情けないやつやな~!これからもっと強くさせたるわ!」と笑いながら言いました。
普通に考えて、大人の脚を持ち上げるのさえ小さい子供には大変なことなのに、それに力を加えられて誰が持ち上げられるんでしょうか?しかも首を圧迫されて上手く呼吸が出来ていない状態で。
今となっては恐ろしい出来事も、私には親以外身近に大人はいませんでした。祖母は居ましたが家よりだいぶ離れたところに住んでいたので日中のみ会うことが出来ました。なのでこの状態は全く知りません。なんせ、親二人は祖母の前では子煩悩になるのでそんな虐待じみたことをするとは到底知られなかったからです。

第2話へ続きます。

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