出戻りJAMの話
JO1との出会いはProduce101Japan。
当時高校生で文化祭の準備中だった。特別に携帯の仕様が許可されていて学内で友人と公開された1分PRを見漁っていた。
地元が奈良県なので奈良県民だけを探してた。そこに奈良県出身のあまりにも自分のタイプの練習生がいた。それが河野純喜。一目惚れした。
デビュー決定の最終日が修学旅行中で台湾の出店の人にも純喜のデビューを自慢した。それくらい嬉しかった。
2020年、大学受験がありSNSを断つことと同時に純喜のこの画像を待ち受けにしてJO1から離れた。供給を追えないことは悔しかったけど、すぐ追いつくと思っていた。
とても短いデビュー初期だけのJAM活だった。
受験が終われば雑食K-POPファンになった。コロナもあり、現場も無かったため各界隈の美味しいところだけを味わっていた。
のめり込むのは良くないと思ったからだ。
それは以前私が応援していたアイドルが自ら命を断ち、そのショックがトラウマになったからだ。
2023年秋、JO1が京セラドーム公演するというのがTwitterで流れてきた。デビュー当時のJO1しか知らない私にとっては信じられない程のビッグニュースで、もし一般枠があるなら行ってみようと思った。
CDもPROTOSTARしか持ってなかったが、サブスクで全てを予習した。私が知らない間にこんなにも沢山の色が違うJO1が世に出ていたのかと驚いた。
当日、バルコニー席で良席とは言えなかったが、会場が見渡せてペンライトがよく見えた。京セラいっぱいのJAMは名前の由来通りで、この数万人皆JO1が好きだということが2020年で止まった記憶を動かした。
登場のSpacaliで泣いてしまった。正直Spacaliは泣くような曲ではないのに。バルコニー席から落っこちるくらい気持ちが前のめりで見てしまった。
「あぁ、なんであの時JAMに戻らなかったんだろ」
「ここまでの軌跡を見たかったな」
後悔の気持ちとパフォーマンスに圧倒された涙だった。この人達のこの先の未来、成長が楽しみだと思った。
その日にFCに入会し、まだ見ていないYouTubeコンテンツを見た。SNSアカウントも開設した。
JAMに出戻った。
精神的に苦しく、何も楽しみがなかった生活に彩りができた。今までのSNSに流れてきたアイドルをひたすら「いいね」する自分から変わった。
トレカをデコったり、知らない場所に行ってみたり、話したことない人と話したり自主的に行動する自分に変わった。
河野純喜には高校受験、大学受験、就職活動における自分の憧れが詰まっている。今までそんなアイドルには出会ったことない。身近な人生を歩んで来たが、遠い存在。そんな彼を好きになった。
もちろん「JO1がもっと大きなグループになってほしい」という理由で応援している。
しかし、それと同時に私が私の人生をより楽しくさせるためにJO1を楽しむという意味もある。
パイオニアだから想像か出来ないこれからの活動や音楽が楽しく、日々の「今度はJO1どんなことするんだろ〜」が楽しく1日を頑張る活力になっている。