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滋味深い根っこ

「我が子は一番かわいい」

子を産むずっと前から親族や友人達から何回も聞いた言葉。これってどういう感覚なんだろうと、疑問に思っていた。

小さなヒト=子ども がかわいい感覚は昔からわかってるつもりでいた。
幼い頃から親戚の子ども達の遊び相手になってきたし、友人達が次々子を持つようになってからもちょくちょく関わってきた。仕事でも、子ども向けにワークショップをやったりしてきた。そのどれもがあんまり苦じゃなかったのを鑑みると、懐かれるかどうかは別として私は子どもは嫌いじゃあないし、かわいいと感じられるなと認識している。

でも、皆が口を揃えて言う「我が子は一番かわいい」はどうやら私の思う「小さなヒトがかわいい」とは違うらしかった。それがどういうことなのか全然わからなかった。

妊娠中は正直怖かった。
子を産んだら私の頭の中はどうなってしまうんだろう。
「子が一番かわいい」が、今まで私が持っていた「かわいい」の価値観を破壊してしまうのではないか。今まで私が大切にしてきた「かわいいものたち」が全て霞んでしまったらどうしよう。そんな風に自分が自分でなくなるのではないかと、心配でたまらなかった。
私は2回妊娠を経験しているが、子の心拍停止で終わりを迎えた最初の妊娠も、そして今育てている子を妊娠している間も「子がかわいい」が全くピンとこなかった。そうこうしてるうちに出産の日を迎えた。

かわいいとはちょっと違う

今、ひと月あまり子と過ごしてきて、この「我が子は一番かわいい」の感覚がほんの少しずつ掴めてきているような気がしている。
この感覚が自分の中で当たり前になってしまう前に記録しておく。とはいえ文章だけだとどうも説明が難しい話な為、手書きメモを書いてみた。
私的に「我が子は一番かわいい」は今、こんな感じで頭の中に定着しつつある。

子を産む前に抱いていたイメージ
産んでから芽生えた感覚
実ではなく、根が生えた。

「かわいい」というより…

滋味深い。これが一番近い。

確かに我が子はかわいい。赤ちゃんだし、それ特有の可愛らしさがある。でも正直なところ私の子よりもかわいい存在は世の中に沢山存在していると思う。また、今までかわいいと思ってきた様々なヒト・モノ・コトの可愛さが霞んだわけでもない。推しは変わらずかわいいし、お気に入りの猫動画も変わらず好きなままだ。
私の好きなかわいいもの達は変わらず私の心の中にいる。ただし、子に対してだけ明らかに他と違うと感じるものがひとつだけある。
気持ちの湧き出方が違うのだ。

恋心をキュンとするとか、胸が締め付けられるとか、そういった特有の表現をすることがある。子を見ても別にキュンとしたり胸が締め付けられるような感覚は覚えない。
でも不思議なことに子に向き合ったときだけ、雪の露天風呂に浸かる瞬間や、出汁のきいた味噌汁を飲むとき、朝カーテンを開けて日光を浴びたときに感じる「あ゛〜〜…」のような、じんわりとした味わいをもって、何か心地よい気持ちが湧き出てくるのだ。
ほのぼのする・癒される・尊いともまたちょっと違う。身体の内側からじんわりと力がみなぎるような感覚というか、栄養価の高いなにかを食べて力がついたような感覚というか…なんというか…(滋味深い…)みたいな気持ちになるのだ。
これがオキシトシンのなせる技なんだろうか。


母性とか、本能とか、愛とか全くわからない。
私の子よりかわいい存在は無数にいると思う。
でも私の心には確実に子という名の根っこが生え始め、それが滋味深い感覚を教えてくれているのだ。
この温かな感覚をできるだけ長く、いつまでも抱きしめていけたら良いなと思いながら私は今生きている。

(見出し画像は、昼寝から起きた子を抱き上げたあとの寝床。頭があった箇所が小さく窪んでいる。なんて滋味深いんだろう。)