どうなるアフター・ラッキー
もうすぐ子が生まれて一年になる。
とりあえず最近の子の様子と、この一年間どうだったのかを書いていこうと思う。
やる気だけで生きている
【子が今やれること】
指差し、バイバイ、挙手、いないいないばあ
しゃがむ、立つ、ゆっくり歩く(最大8歩)
手で掴んで食べる、ストローで飲み物を飲む
ボタンを押す、紐を引っ張る、埃を摘み上げる
ぬいぐるみを叩いたりキスしたり抱きしめる
容器からおもちゃを出し入れする
絵本のページを順番にめくる
ボールを転がしてよこすと転がし返す
簡単な単語の理解(自分の名前・お茶・ごちそうさまでした・どうぞ・ちょうだい・チュ!・すごいね) 発語はできない。
【挑戦したがるがまだやれないこと】
歩きながら方向転換
立ったまま身体を捻じる、物を拾う
スプーンで食べる
高い所によじ登る
親の言った単語を復唱する
活発…この二文字に尽きる。常に動き回り何にでも挑戦する。ボンヤリ生きてきた私の子どもとはとても思えない。
毎日毎日やりたいことが増えて、挑戦が追いついてない印象を受ける。起きている間はずっと大きな声で宇宙語を話し、歩き、ハイハイし、遊び、ぬいぐるみやテレビや家具を叩き、おもちゃや絵本をひっくり返し、大人にしがみついて喚き倒している。
特に知育的なことは何もしていないし適当に家の中で放牧しているだけだが、自分で遊びを作り出して遊んでは、自分で自分にウケて笑っている。毎日忙しそうだ。
ラッキーな一年
さて私は子を産むまで、「子が生まれたら地獄の苦しみが待っているんだ、私はこの子が一歳になるまでにどっかのタイミングで病むに違いない」と身構えていた。
しかし蓋を開けてみると、深刻に悩むことはほぼない一年間だった。(産後心が暗く沈むことはあったが、あれはマタニティブルーズと呼ばれる生理現象で、「深刻に悩む」とはちょっと違うような気がしている)
良い意味で「思ってたんと違う」結果になった。どうしてなのか振り返ってみる。
①安産
子を産む2週間前からほぼ24時間、レベルの高い前駆陣痛で苦しんだ。体力が無くなりかけた状態でお産がスタートしたが、それを察してか何なのか本格的な陣痛が始まるとあっという間に子どもは産まれた。出産で最も辛く苦しいと言われがちな「いきみ逃し」と呼ばれる時間が驚異の30分で済んだ。
出産を終えた人に「安産だったね」と言うのは(関係性にもよるが)あまり褒められたものではないというが、自分にだったら「安産だったね」と言っても良いのではないだろうか。
そんなわけで産後の肥立ちも良く、生後5ヶ月でほぼほぼ妊娠前の体調に戻った感覚がした。それに伴い精神が安定感を取り戻すのも比較的スムーズにいった。身体が元気だと心も元気なのは本当みたいだ。
(…スルリと産んだ自覚ある私でも完全回復までに5ヶ月かかったということは、難産の場合回復に相当な日数がかかることは想像に難くない。産後休業8週間はやっぱり短すぎる。半年あっても取りすぎではない筈だ。)
②子が健康かつ「少ない努力で世話できるタイプ」
子が健康に生きている。これだけでも十二分に幸せだが、それプラス◯◯だったら良いのになぁ…と思うのが親である。よく寝てよくミルクを飲んで欲しいなぁとか、規則正しく排泄して欲しいなぁ等である。
私の子に関しては、生後2ヶ月頃には既に寝食をコントロールしやすい状態になっていた。
特に気合を入れてトレーニングしなくても、少し環境を整えて一人で転がしておけば決まった時間に眠り決まった時間に起きるようになったし、特にこちらが細々調整してやらなくても、自分で毎日決まった量のミルクをしっかり飲む子に成長した。離乳食も好き嫌い少なくしっかり完食するし、毎日似たタイミングで排泄してくれる。
その他の生活動作に関しても、本人のやる気が常に天元突破しているので比較的素直に練習を受け入れてくれて、お陰ですぐマスターした。SNSで苦労の声ばかり見てきたので拍子抜けの連続だった。
「手がかからん子やなぁ」と母に言われたが、これには同意せざるを得ない。楽をさせてもらった。
③やりたいことをやっている強い自覚
少し前までは、慣れない東京での暮らしや両親との関係性の中で生まれた負の感情、最初に身籠った子との別れ等様々なものが影響して、子を持つこと自体に全く自信が持てず子を持ちたくないと考えていた。
しかし自分の心が少しずつ安定するにつれて、「子を持ってもいいかも」と思えるようになり、最終的に「子育てをしたい」に行き着き、そして今、そのやりたくなった子育てができている。子を持ちたい気持ちに辿り着くまでが遠回りだったが、その分気持ちに自覚的になれた。
私は来月で35歳。結婚して7年が経過した。今でも子育て以外でやりたいことは沢山あるが、「今絶対にやらなくちゃ後悔する」類のものは概ねやり切ったかなぁと思えている。
「私はやりたいことをやっているだけ」という強い自覚が、理不尽なことや体力的にキツい場面に出会しても「醍醐味キター!」と捉えられる余裕に繋がっている。
④思った以上に夫に意欲があった
今だから言えるが、私は子育てに関して夫に全く期待していなかった。
こう言ってしまうと男性差別みたいになってしまうが、やはり10ヶ月もの間24時間子どもが体内にいる側の性の方が、どうしても早く当事者意識ができあがるもんだろう。妊娠中から男性パートナーに自分と同程度の当事者意識を求めるのは無茶な話だと思っていた。
また夫はもともと愛情表現に乏しい人だし、家の管理=なはぶき、稼ぐ=夫で暗黙の役割分担ができていたので、基本的に子供のことは全部こっちでやらないといけないだろうなと妊娠中から思っていた。
(一応夫の名誉のために書いておくが、ひねくれてそう思ったのではない。夫の転勤に帯同して大阪を離れた時から、私は家計をメインで賄う役割から降り家庭内の管理をこなす立場になったと認識している為、ごく自然な流れでそんなもんだろうと思っていた。)
ところがどっこい。夫は育児休業を3ヶ月とった。それでも私はまだ期待していなかった。育休をとってくれてもせいぜい手が空いた時に「手伝う」程度かなと思っていた。
そして育休が始まってみたらなんとまぁ、動く動く。自分で調べて自分で試行錯誤する。嬉しい誤算だった。
私に比べると一つ一つのクオリティは劣るが、命に関わるほどではない。私がチョイと補えば済む程度に、子供の爪切り以外は全部やってくれた。
本当に助かったし、夫を改めて尊敬した。
育休中、寝てばかりの子にどう話しかければ良いかわからなくてゴニョゴニョしていた夫は、最近は子も表情豊かになり懐いてくることもあってか前にも増して可愛がっている。
休日は肩車で散歩に連れ出し、家の中でも抱き上げて撫でくりまわし、カワイイデシュネ〜〜↑↑↑ばかり言っている。はて、こんなこと言う人だったっけ?
親バカ話も子の悪口(?)もお互い言い合えるのは幸せなことだ。
⑤職場の理解
私は最初、生後7ヶ月で子を保育園に預けて仕事に復帰しようと考えていた。自治体の都合上保育園の申込みは生後2ヶ月時にしないといけなかったので、そのタイミングで社長と面談をした。
「これは社長命令で言うけど、今仕事に復帰するのは反対です。もっと子どもと一緒にいてあげなさい。席は開けておくから。」と開口一番告げられた。お陰様で私は今でも育児休業中だ。心身の回復と子の世話に集中できている。こんなに有難いことはない。
遅くても次の春には復帰したいが、果たして保育園には入れられるのだろうか…戦々恐々としている今日この頃だ。
⑥本能が勝手に子を愛し始めた
これまで色々書いてきたが、多分これが一番大きくて、一番驚いたことでもある。
愛する努力なんて不要だった。子を産んで対面した瞬間から脳味噌がどんどん作り変えられていくのが自分でもわかった。今まで感じたことのない感情、感動、滋味深さの猛襲。脳味噌が「子を愛おしいと思え」と24時間命令してくる。私はただその命令に従うだけで良かった。
子の良いところや愛おしいと思えるポイントを探さなくて済むのはとても楽だった。私が何の努力をしなくても、私の本能は勝手に子を世界で一番愛おしい存在に仕立て上げてくれた。
子への愛情というものは本当に奇妙だ。気が合う合わない等考えなくても、大好きだなぁ良い子だなぁと思わせてくれる。こんなに特殊な愛情の芽生え方は他にあるだろうか?
…いや「子への愛情」は、本当は愛情でも何でもなくただの子孫繁栄のための生理現象でしかないのかもしれない。
子に物心がつき親以外の世界を知るようになるとこの生理現象の形は変わるかもしれないし、子が大人に近づき私と同じ目線で会話ができるようになると、この生理現象は終わるかもしれない。いやもしかすると死ぬまで一生このままかもしれない。どうなるんだろう?
この、一般的な人間関係とは成り立ちが異なる「愛情」が、今後私の中でどのように変化していくのか自分でも楽しみである。
それでも。
子育ては楽勝ではなかった。6つに分けられるほどラッキーが重なったにもかかわらずである。
生活の全てを子に合わせないといけないのは、これまでの人生には無いタイプの忍耐が求められた。トイレも食事も自由にできないし、どんなにこちらがしんどくても勝手には休めない。安全のために常に視界の隅には子を入れておく必要がある。
どんなに寝食コントロールしやすい子でも毎日100%安定しているわけではない。8時間抱っこし続けた日もあったし、睡眠時間3時間で子を病院に連れて行き、待合室で寝落ちしかけたこともあった。食べ物を投げつけられるなんて日常茶飯事、39度の熱で寝てる最中でも髪の毛はひっぱられるし顔は引っ掻かれる。
フィジカル的には今までで3番目にしんどかったと思う(ちなみに1番は妊娠、2番目は大阪の工房勤務(繁忙期期間)だ)。
だが精神的にはずっと幸せの中にいられた一年だった。辛い時もあったが不思議と常に子への愛情で“キマッて”いた。
どうなる、アフター・ラッキー
さて、こんなに育てやすく発達が早く生活動作の習得も早いということは、その分意思表示が始まるのも早いというわけだ。
子の意思表示は3ヶ月以上前から始まっている。
あれやりたくない、これをやりたい、そっちが良かった、あれは嫌だ、やっぱりこれが良い、それが欲しい、やっぱりいらない、構って欲しい、一人にして欲しい、自分でやりたい、お母さんにやって欲しい、やっぱり自分でやりたかったのに!etc…全力の身振り手振りと声の抑揚で伝えてくる。
言葉がまだ出ないため、何を伝えたいのかこちらが理解できず、私が頭にハテナを浮かべる様を見て子の癇癪が大爆発するのが最近のルーティンになっている。
こんなに早くああだこうだ言い始めるのなら、ベビーサインでもやらせれば良かったかなと思わないでもないが、まぁこれも成長の過程。根気よく付き合っていくしかない。
また運良く保育園に入れた場合は4月から仕事にも復帰する。お友達との関わりも出てくる。これから子育ての難易度やスピード感は何倍にも膨れ上がっていくだろう。考えるだに恐ろしい。
起きること一つ一つに根気よく対応していき、なんだかんだバタバタしてたら気が付いたら3歳とかになっているんだろうなと思っている。ていうか、もうそう思って腹を括るしかない。笑
これから嵐の様に忙しい毎日がやってくる。
だが、どんなに大変な日でも遡っていくと
産院で生まれたばかりの子を抱きながら
「このあたたかい気持ちはなんだろう?」
「子は子であるだけで全部良いことになるんだ」
「かわいいよりも滋味深いの方がしっくりくるな」
「私と子が生きているって不思議だな」と感じた瞬間に辿り着く。
いつも、今も、あの瞬間に繋がっている。
それを忘れずに生きていきたいと思っている。
私の子がいる。健康で生きている。
世界でいちばん、ラッキーだ。