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誇りを取り戻したお話

ここ暫く誇りを失っていた、私のお話。


きっかけは四十九日

来たる父の納骨の日の為、石材屋さんにうちのお墓を見てもらうことになった。
元々縁があったところはいつの間にか潰れてしまっていた。
そこでGoogleで口コミを頼りに、
同じ市内ではあるものの少し遠いところにある石材屋さんを探しあてた。
夫から電話で連絡をとってもらったところ遠路はるばる来て頂けることになった。

電話でも、メールでも、初対面でも、
人柄良く穏やかな人であった。

石材屋さんが戒名を彫るにあたってお墓を隅から隅までまじまじと見つめて、こう言った。
ご先祖様みなさま戒名を頂いているのですね。
こんな古い時代から戒名を頂いていることはなかなかないですよ」
と。

続けて、
お墓、大きくて立派ですね。
と口にした。
大変穏やかな声色だった。


私の母は10歳の時になくなっている。
そのあと母方の祖母が亡くなった。
その際に降りかかってくる私への相続、主に借金問題勃発。私と父はたいそう苦労した。
このタイミングで父は"霊鑑"を作成依頼していたようだ。
"ようだ"というのは、父は昨年無くなってしまい、もう知る術がないので全て憶測でしかないのだ。
残っているのは霊鑑作成を依頼をする為に集めたであろう手書きの家系図、役所で調べたであろう軌跡、そういったものから推測しただけである。

霊鑑を発見したのは父の死後、
父の位牌を置こうと仏壇を整理整頓している時であった。
恐らくずっと仏壇の棚には置いてあったはずだが、私はその存在に気がついたことは一度もなかった。

霊鑑をぱらぱらとめくってみると、
そこには母方・父方全てのご先祖様の本名、戒名、没年月日が載っていた。
膨大な数の名前。
よく見ると1歳にも満たないで亡くなった方も沢山いる。
その中でこの日まで健康で生きてこられた"私"
とくんと、紡がれてきた血を感じた。

これが私の誇りを取り戻すきっかけだった。


このことがあってから、
私は小さい頃からあった誇りを取り戻した。

自分という存在は当たり前ではない
有難いことなのだと。

今まで誇り高く生かして頂いたことに感謝し、
今まで以上に大切にしようと心に誓った


その誇りを穢されたら怒るのも当たり前であった。

そのことはまた後々綴れたら良いと思っています。

気がついたらもうお昼ご飯の時間。
有難くごはんを頂きます🙏