子どもの頃、無口で、人と話さずに過ごして、頭の中で考えることが多くて、今苦しい人へ。
子どもの頃、無口で、人と話さずに過ごして、頭の中で考えることが多くて、今苦しい人へ。
頭の中の声は、想像。
私は話さなかったから、全部想像だった。
話さなければ話さないだけ、想像した。
想像はできるけど、現実のことが何もできない。
色んなことを想像したから、世の中のこと、常識、やるべきこと、みんなわかってる。
想像の中で。
想像の世界では、私の気持ちがわからない。
想像の世界では、私がどうしたいのかわからない。
想像は、周りの人とか物語をみて作られたものだから。
無口だったから、周りの人ばかりみてた。
じっと、隅で、そばで観察してた。
だから、他の人のことはなんとなくわかる。
けど、私をみてくれる人はいなかったから、私のことについて話をしてくれる人がいない。
聞こえたと思ったら、陰口とかに聞こえたりもした。
想像の世界、頭で考える世界は、すっごく苦しいようでなんでもできる気分になるから気持ちよかった。
私は、それを、もうやめようと思う。
「私は」と声に出すことで、頭の中の声はすぐに消えてなくなる。
頭の声がするたびに「私は」って声を出す。
言えそうなら、「私は寂しい気持ち」とか気持ちを言ってみたり、「だから、少しでも元氣になるようにワンちゃんと遊ぶ」みたいにやることを声に出してみる。
頭の中で考えなくても、声に出してるうちに、勝手に口が動く。
動かない時には、紙に書いてから、それを声に出す。
声に出すと、頭の中の世界から出る。
それは、正直苦しい。
頭の声は止まったのに、苦しい。
だって、頭の中の世界ならなんだってできる気がするのに、声に出したら、地味で何もない世界に取り残された気になるから。
友達も、助けてくれる人も、お話しできる人も、誰もいない現実が、そこにあるから。
私は、頭の声がなんと言おうと、何回死にたいとか思っても、生きたかった。
生きるなら、私を蘇らせないといけない。
声を出して、
私はどんな気持ち?
なら、私はどうしたい?
ほんとは、お母さんがやってくれるはずだったお話しを自分とする。壁に向かって。
何やってんだ私は。って思う。
それが、現実の世界。想像じゃない世界。
何やってんだ私と思うことの繰り返し。
それでも私は、一人でも、なんでも、とにかく生きたい。
苦しいけど、布団からは出られる。
夢の国、想像の国から。
友達がいるなら、話を聞いてくれるような親がいるなら、その人としたらいい。
でも、いないから。
私しか、もう、してあげられないんだ。
私がやるしかないんだ。
私が、私がいるよってことを、こんな気持ちだよって聞いてあげるしかないんだ。
私が、やるんだよ。
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