【仮説】ベトナム人の行動力の源泉
ベトナムの友達と話していて、ふとこんなことを聞いてみた。
"私が会う子だけかもしれないけど、なんでベトナムの人ってみんなそんな勉強熱心で行動力がすごいの?"
ベトナムに住んでいたこともあり、ベトナム人の友達が多いのですが、みんな英語や日本語、ITスキルや文化的な知識など本当にすごいんですね。仕事中facebookやメッセンジャーで友達とチャットしたりそんなゆるい感じではありながらも、やること超徹底してる。動画など色々調べてそれを教材にすごい勉強してるし、私にもすごくたくさん話してくれる。インプットとアウトプットがすごい。
それに、"今度日本で働きたい"と言ったら本当に叶える人が何人いたことか。VISAが通らない問題もありますが、そもそもVISAの申請をするまで行動するんだみんな。すげぇ、有言実行すぎる。
こんな感じなので、少なくとも日本にいてここまでの勉強熱心さと行動力を自分も含めあまり見かけることなくびっくりしました(あくまで私の世界での話)。
それで聞いてみたわけですが、返ってきた答えは
"このままだとやばいから"
という危機感、焦りのようなものが滲み出ているような言葉。
国が十分にお金を助けてくれるわけでもないし、教育を受けるにも限りがある。このままじゃ生きていけないと思って心配だから勉強もするし、海外にも出るし、海外から入ってきた良いものも受け入れて生かしたりと何でもするんじゃないかな、とのこと。
ごめんなさい、ファクトを十分に示すことはしませんが、妙に納得してしまいました。
これ、ベトナムの生活水準や経済、政策など様々な背景もあると思いますが、他の国でも同じことは言えると思います。
誰かが全てを助けてくれるわけではないし、自分で生きていかなきゃいけない。自分の生活の理想があるとか、良い暮らしをしたい、とか、、そういうことを願う中で現状そのものに期待できないなら、自分で頑張るしかない、というシンプルなことだと思います。
で、日本の自分の身の回りに視点を戻した時に何が違うのだろうか?考えてみたのですが、
"外を見ていない""危機感がない"
ここが差分だと思いました。
もちろん世の中いろんなことはあるけど、治安はそこそこいいし、義務教育もあり、幸い大学も行かせてもらえる、仕事も得られる環境(私が大卒かつ就活をしたので周りもそういう人が多いということです)で、生活水準の差はあれど生きていけはする。
ネットで海外のことも知れるけど、日本がこれだけやばい、みたいなことを実感することがあまりない。政治汚職や社会問題などありますが、日本だけが超やばい、このままで将来大丈夫なの?今すぐ変えなきゃやばい!みたいなふうにはならない。(老後資金2000万円の話でやっとちょっと焦るくらい)
生活拠点の選択肢に海外を入れて、税金や家賃、教育、仕事など様々な点でのメリットデメリットを比較することさえ考えない。日本で暮らすのが1番安心だ、という考えが無意識にありました。憧れレベルでは海外いいなー🩵なんて思うけど。
…ごめんなさい、あくまで私が見えてるせっまーい話かつ偏見ばかりだと思います。
ただ、やはり危機感の違いはあるだろうと思いました。危機感なく暮らせるのはいいことでもあるし、今後もそんなものなく穏便に暮らせるならそれがいい。人の価値観によっても捉え方は変わるし。
今日は気づきというか仮説の備忘録として、ベトナム人の勉強熱心さと行動力に何年も驚かされ、リスペクトの念を抱いていますが、こういう背景もあるのかなということを書いておきます。
私は、外を見た上での自分の現状を捉えることと、その上で理想を叶えるために足りないことは行動して自分で叶えにいくことがかっこよく見えるので、見習いたいなと思います!!!