救われた曲①:カプチーノ
椎名林檎の提供曲に「カプチーノ」という曲がある。
あまり知られていない曲だが、私はこの曲に大分救われた。
当時の私には好きな女の子がいて、愛情表現が下手で、そんな自分が嫌いになったり、その子を一時期失った時にとてもお世話になった曲だ。
どんな歌詞に救われたのか、自分と照らし合わせて、紐解いていく。
イントロのこの一文で私の想いを代弁してくれたように感じた。
先ほども書いたが、当時の私は、愛情表現がままならず未熟で、伝えたいのに伝えられなくて、そんな自分がまさに藻掻いていたと言っても過言じゃないくらい子どもだった。
そんな藻掻いているくらい頑張っている自分を認めてほしいと思っていたことに気づかされた。
私(ミルク)の愛情より、あなた(茶色)の方が負けている気がする、と言った感じだろうか。
サビの部分である。
当時の私は、気分屋で色んな人を振り回して来た。
そんな色んな表情を見せていく私。
そんな我が儘な私でも許してほしかった。
私が好きだった子には、黙って置いて行かれたので、そこは相反するが、その気持ちが強かったのも事実で、強かったからこそ愛想を尽かされてしまったという悲しい現実に突き付けられた。
喫茶店に行って、向かいに座っているあなたは、私の気持ちが汲み取るように分かるし、自分の気持ちは私には分からないことも知っているから、優位で気持ちがいい。そんな分からない私も悔しい。
恋愛でよくある場面だと思う。
自分の好きが相手に伝わっていて、それを確認するかのような行動をされて、自分も予想通りの行動や表情をしてしまって、さらに確信に迫られるような感覚。
椎名林檎の凄いところは、バランスを中庸と英語にも日本語にも出来てしまうところだ。
当時の私は中庸なんて言葉は知らなかったし、そういう表現方法もあるんだと学んだ。
それに、苦い(あなた)だげじゃカプチーノじゃないし、ミルク(私)とのバランスも大事だよねと自分に言い聞かせているようにも思えた。
”梅の散る午後”が正直何を指しているのかは分からず、梅が散ったから4,5月くらいの午後で、新しい生活が始まったばかりの時期としか捉えていないのは置いておいて、
その二人が今日みたいにスルスルと人混みを擦り抜けられるくらい順調に、毎日が行けばいいのにという思いと、
二人揃って仕事ややるべきことで忙しくして居たら、あなたとの距離感すら忘れてしまいそうで不安だからもっと一緒にいたいのに、あなたはどう思っているの?、みたいな感じかなぁと思いながら聴いていた。
ここで言いたいのは、只忙しくして相手のことすら忘れてしまいそうで不安ということに共感した、ということだ。
忙しい時ほど二人の時間を大切にしたいよねと言った感じだろうか。
あなたが私の側にいる保証なんてないし、何時か居なくなってしまうのではないか、そんな私たちが一緒にいない時間(淡色)が当たり前になって、そんな不安が私たちを温度差になりそう、といった感じだろうか。
おそらく、一緒に居ない時間が不安で、その時間が当たり前になったら、それを感じる思いの差にすれ違いが起きそう、ということだろうか。
この一文が私を一番救ってくれた歌詞である。
急に不機嫌になったり、自分の想いとは正反対なことをして強がっているのは、あなたに振り向いてほしいから。
言葉で言わなくても分かってほしい、それが繋がっている証だと思いたいから。
私にもこの経験があって、そんな自分が無様で幼稚でズルくて嫌だなと思っていたけれど、それも「精一杯」の努力じゃん、と認めてくれたようですごく心が軽くなった。
それからそんな自分のことを努力しているとプラスに考えられたし、自分でも自分のことを認められるようになった大事な曲だ。
本当にありがとう。
椎名林檎は「恋愛ソングを書くのは苦手だ」と言っていたが、そんな風には見えず、むしろ救われているこの私がいることを知ってほしいなと思った。
以上、私の大切な歌詞の一つでした。
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