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夢見た日々も、今じゃ泡のような記憶

飛行機から青空が見えると、胸が苦しくなる。

それは、失恋をした後のよう。過ぎ去った時間を思いだしてしんみりし、ぽっかりと穴があいてしまった部分に、これからどんなものを入れようか、または穴は開いたままなのか。感情が溢れ出し、考え込んで少し不安になる、そんな瞬間を度々経験してきた。

住み慣れた土地を去る時や、長い休暇中、自分を癒してくれた場所に別れを告げる時、なぜあんな感情が膨らむのでしょうか。


大学時代、幸運にもドイツに1年間留学する機会をいただいた。


初めて長期で滞在することとなった異国の地は、それまで田舎の温室で育ってきた私にとって、とてもとても冷たく感じられた。

冗談抜きで本当に寒かった。笑

時間は有り余るほどあったので、何度も何度もユーチューブを見るだけの日々が続いたし、ドイツ語も英語もうまく話せず、不審者扱いされることは数え切れないほどあった。母親からのメールを読み返しては枕を濡らしていた。うまくいかないことにふてくされ、日本に置いてきた(とその時は思っていた)友人を想ってはfacebookを覗いていた。


1年間の留学生活は、何もしないには長すぎるし、何かをするには短すぎたと思う。


帰国する頃には、ドイツ語に対する恐怖感は大分薄れていたし、仲の良いルームメイトもできていた。それでも私は留学生活に飽きていた。


ところがどっこい。帰国後は、あんなにあんなに辛かったドイツ生活が、恋しくてたまらないのである。私の「ここではないどこかへ」「今でないいつかへ」病は、とてつもなく重いのだとしみじみと実感した。


こういった感情を抱えている人は、案外多いのでないでしょうか。学生時代に戻りたい、地元に帰りたい、もう一度あの人に会いたい。こうした言葉は、今すぐには実現できない、という事実に裏打ちされています。手に入らないからこそ、もう戻れないからこそ、愛おしく、また、それを超えるような経験をしたくなるのでしょう。



あれから3年が経過し、たくさんの楽しいことと、少しの悲しいことを体験しました。今でもまざまざと思い出す、まとわりつく日々の孤独感と、時折感じた恍惚たる瞬間。当時から成長したことといえば、孤独と馴れ合い、恍惚の瞬間に溺れ過ぎないための身の振り方を覚えたこと。そしてそうしためんどくさ〜い感情は、何歳になっても、どこに住もうと、誰といようと、湧き上がってくる感情であると理解したことです。


バタバタと必死に生きる今日も、3年後には、泡のような記憶として、切なく思い出されるのでしょう。






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