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【人体実験#5】心地良くしていたらアイデアダムが崩壊した

今週の人体実験を振り返る。今回のジャーナリングは土曜の昼に書いている。散歩も清掃をして気分が整っている。そんな中で振り返ると何か変わったりするかな?実験的に取り入れてみた。

本題の前に先週のおさらい。

先週の気づき

  • 気分を高めるアファメーションを発明した。アファメーションに可能性を感じた

  • 書く、歩く、寝る、YouTubeが僕の好きな活動だった

では本題に入っていこうか。

結果

仕事編

月曜日
「内側に本気出す。現実に本気出さない。望むものに意識を向ける。」
人体実験の方向性が見えてきた。もっと詳細に言語化したらアイデアが出てきそう。
・「夢中であることが心地良い」という内側の望みにフォーカスしたら「マウスカーソルやハイライトなどの動作に注目する」というアイデアが入ってきた。今までの「マニュアル文言リピート」に加えて動作への注目。掛け算でさらに雑念を払えている。素晴らしい。

火曜日
「マニュアルリピート」と「カーソルチェイス」は雑念軽減効果がある。いつもなら雑念ストレスになっている時間が減っている。超助かっている。

水曜日
「分離」という新たな視点に気がつけた。
周りが気になる、他人の目を気にしてしまうという気持ちはありつつも僕の動作は止めない。ずっと動き続ける。「分離」をする。これが夢中につなげるヒントになりそう。

木曜日
分離を加速させるピース、「オープン」に気がついた。
今までのマウス操作が直線的だった。きっちりかっちりなマウス捌きで固かった。夕方の時間に脱力してマウス操作、つまりオープンにふわっと大胆に操作したら心地良かった。雑念も減り心地良さにアクセスできた。もっとスペースをフル活用して作業していこ。

金曜日
「職場の人間関係」、このメンタルブロックが次のピースとなりそう。
業務上での関わりでさえも緊張するし、優しくしてもらえたら素直に嬉しい。ずっとドライな関わりを意識していたが、そこになぜか引っかかる。
ドライ戦略一辺倒では限界があるのか?仕事と人間関係、ここについて紐解いてみよう。それが次の導きに思えた。

今週はかなり詳細に結果を書けている。一言メモを毎日まとめていたからかな。しかも丁寧にアイデアキャッチできているのもすばらしい。

考案パートでは「職場の人間関係」について深掘りしよう。

自宅編

  • YouTubeをボーっと流していた→○

  • ゆっくり起床してのんびりルーティン→○

  • メモ書き→○

  • フリージャーナリング→○

  • ケンジスピリットで学習→◎

  • 仕事の「一言まとめ」→○

  • 人体実験の流れを思考整理→○

心地良い過ごし方で固められた。すばらしい。久々にケンジスピリットのインプットしたらめちゃくちゃおもしろかった。意外だった。久しぶりだったからかな。
あとは1本ずつしっかり味わっていたからかな。「味わう」と「制限」は確かに欠けていたかも。とばしとばしでYouTubeは流していた。

「味わう」について考察するか。

考察

仕事編

職場の人間間係について考えてみるが、そもそもどうしてここに引っかかったのだろうか?

つい最近、仕事中で「僕って職場での立ち回りをこじらせてんな、迷ってんなあ」と感じたから。
基本的に職場ではドライに接する方針でずっといた。業務上の関わりができるレベルでコミュニケーションする。なので、必要以上に話したり、深めたりする必要はない。そのように考えていたがなぜだか最近はモヤモヤしている。少し苦しさというか迷いがある。

どういうモヤモヤ?どのような迷い?

ドライな自分を壊したいけど壊すの怖い。恐れがある。リスクがあるからドライを保とうとしている。でもドライから少し抜け出したい自分もちょこっと感じる。

何に恐れている?

  • 人付き合いに執着したり依存するのが嫌だ

  • 好かれようとして反応を気にしてしまったり、他人の目を気にして不自由になってしまうのが嫌だ

人が原因で働くこと自体に悪影響が出る恐れがあるのかと思うと動き出せない。そもそも仕事の 目的は「人付き合い」ではなく「事務作業」なので人間関係なんかに注力するのはお門違いにも感じる。

なるほど、恐怖していることはわかった。そのリスクは前々から自覚している。

ドライから抜けたいと思った理由は?

人の優しさに触れたから。
人体実験をしていく中で僕の内側は徐々に整い出している。心のゆとりも少しずつ生まれている。視野も少し広くなっている。その状況で、職場で優しさに触れているといつも以上に共鳴してきた。

  • 近くの人にあいさつをして返ってきただけで嬉しかった

  • わからないことを優しく教えてくれる人が増えた気がする

  • なぜだか感じの良い人が周りにいる感覚がある

こんな小さなことがいつも繰り返されている。「この人たちなら」と思えてきて、深く関わってみようかなとも考えた。かといっていきなり深めるのは気が引ける…。どうしたら…。

ここまでをまとめていくと、ドライ戦略であれば仕事上の人付き合いとかでメンタルを大きく崩されることはなかったが、心を許せそうな人に対してはこちらも温かさで返したいと感じ出している。

もしかすると「自己受容できていると他者受容もできる」が発露してきたのかもしれない。
今までは、自分も他人を全て否定してきた。受け取らない。最近になって、自分にOKを出し続けてみた。その結果、他人に向き合えるようになってきて他人からのギブを受け取れる、というか「感じ取れる」ようになったのかも。

理屈は何にせよ、僕の内側が良くなってきたのは間違いない。
その恩恵として、世界の温かさにアクセスできるようになったんだ…。すっご。大進歩。

温かさを感じ取れた自分は、これからどうしていきたい?

小さく返したい
いきなり大きく深くは返さなくていい。それは僕にとって心地良くない。
小さく返していく、マイペースにやっていくのだったら悪くない。ただ、無理はしない。ちょっとずつ、小さくテストしていく。不快に感じたらすぐやめる。
やれそうなときだけやるそれくらいゆるい実験ならちょっとだけおもしろそうかも。

たとえばそうだな、

  • 少しだけ明るく話す

  • ほんの少しだけ自然なスマイルを出してみる

みたいにやってみるか。作るのではなく、自然に出てきた明るさや笑顔を小出しにする。
今まで蓋をしてきたのだからもしかするといけるかも。とにかく実験あるのみ。ここもサブ要素として仕事での実験としよう。

ここまで書いてみてどう感じている?

ちょっと安心した。感情に蓋はしなくてよかったんだ。
「自然に仕せる」「心地良さに身を委ねる」、それが真理だったんだ。実験の新たな視点もゲットできたし来週も楽しみだ。

自宅編

「味わう」ができていなかったときはどういう感じ?

YouTubeの5秒スキップを連打していた。良さそうなところが出るまでひたすらスキップしていた。欲しいシーンを早く視聴したかった。無駄を省くような感じかな。

それをやっていてどうだった?

あんまり楽しくはない。見たいところを見れても喜びは少ない。
プロセスをすっとばして結果だけアクセスしている。この姿勢が退屈を生み出していたのだろうか

ケンジスピリットがおもしろかったときはどういう状況だった?

1本の動画だけ視聴しようと思っていた。メモしつつ言葉を聞き取ってまたメモする。シンプルに楽しかった。人体実験の体験と動画内容をリンクさせたからスルズル入ってきた。
あと、1本あたり10分くらいで軽かったし、書いていて整理されてくるのが心地良かった。シングルタスクで集中していたのか。

ここまで書いてみて気づいたことはある?

動画時間の短さ、メモしてまとめることに集中、スキップしない。
時間を決めていたこと、自分のやることを決めていたこと。ここがうまくかみ合ったのかな。ケンジスピリットならメモしつつ流すのが最高の楽しみ方だろうな。
他のYouTube、Top4とか東海オンエアだったらおそらく違うのかな。属性によって楽しみ方は変わる?

何にせよ、「ケンジスピリット」の楽しみ方は見えてきた。

  • メモしつつ流す

  • 1ターンに4本までが上限

僕が夢中になれる味わい方はきっとあるんだ。まだまだ情報は集まっていないんだけど「制限する・時間を決める」「メモ」はかなり良いかも。この軸でYouTubeを味わう実験をしよう。
YouTubeの攻略に今は集中しよ。書く、歩く、寝るの方はまだ課題と感じないなので引き続きやっていこう。

ここまで書いてみてどうだった?

気がついたら90分以上も書いていた。超スッキリしたし超おもしろかった。やっぱり人体実験とジャーナリング最高だな。楽しすぎる。
良い感じで心地良さの追求はやれている。本来の自分に戻ってきた感覚だ。来週も楽しみだ。ありがとうございました。

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