見出し画像

ほぼ學聴講メモ。(7月7日〜13日)

まだWi-Fi環境がととのわず、実家でおしごとのあいまにすこしだけ見た。本数が少ないぶんちょっと熱く語りすぎているよ。(←自己分析。)

谷川俊太郎さん/谷川俊太郎「ことば」の授業③

質問者にとっては「日本語(ことば)の問題」だったものが、くるんとひっくり返って、それって「人間関係の問題」でもあるんじゃない?みたいになる瞬間があって、ひゃあ!てなった。③は、流行り言葉について。わたし自身はけっこう意識して流行り言葉を(さらに言えば意識して、ちょっと“外して”)つかう傾向があるんだけれども、実は苦手だなぁとおもうものも幾つかあって、たとえば〈すごく+肯定感〉の意味で使われる〈クッソ○○〉が、ちょっといや。だってそれ、基本的には排泄物を示す語彙じゃないですか…いくら流行ってるからって、じぶんが良いと感じるものに被せられんよ…。とかいいつつ、〈神〉とか〈神ってる〉とかはふつうにつかってしまうから、これは逆に、ほんとに信仰のあついひとなどに、(そんなカジュアルに使わないで…)ておもわれることもある?のかな?とか考えた。やっぱり谷川さんの言うとおり、難しいけど、自分の感覚を信じて取捨選択してくしかないんだよね。あとね、この回で谷川さんが読んでくれる詩がめっちゃ好き! おばあちゃんの軽やかな死生観とか、孫がおばあちゃんをだいすきな具合とか、とちゅうで「あ、母方のおばあちゃんなのね…」てわかるかんじとか、いろいろすき。

シャラド・ライさん/ネパールの留学生が、故郷に学校をつくった。②

いい教育を受けられれば人生が変わる、ということに気づいたライさんが、故郷の村にひとつめの学校をつくったのは大学4年生のとき。前にそれを聞いたときには、「実際に行動するひとは、いつかじゃなくて今やるんだなぁ」くらいにおもっていたのだけど、この授業を視聴して、そういうことじゃなくて、たぶんほんとうに急いでいたんだな、とおもった。自分の準備が整うのを待っていたら、いま村にいるこどもたちには間にあわない。単純にそういうことだったのかもしれないなと。当時はNPOの概念も知らなくて、自分がアルバイトしたお金でまずははじめて、就職したらお金を貯めて校舎を大きくしようと思ってた…とか、もうなんか泣けるレベルでえらい。すごい。私はもうね、ライくんカッコイイ!と言うことをためらわないよ、あれはそういう生き方のひとが生きるとちゅうで得たビジュアルだ。…それはそれとして、ネパールが好きで、国のためになることがしたい、って真っ正面から言えるライさんが、“そのかんじ”をいちばんピッタリあらわすことばとして、日本語の〈恩返し〉に出会ったときのよろこびを、ニッコニコで語る。ので。日本語ネイティブのじぶんとしても、なんか、これはちょっと、もすこしがんばらねばならぬぞ、みたいなきもちにもなったりね。

古賀史健さん/だれでもが「なにかを書く」時代に、なにをどう書くか。①

はぅあ、これおもしろいなぁ。あのね、タイトルからして、〈SNS向け文章講座〉みたいのかしらとおもうでしょ。ぜんぜんちがうんだよ。だって、〈ライターとはなにか?〉という命題を掲げておいて、究極〈書かなくてもいいんです〉って言うんだよ。…カッコよくない? や、あのね、すっごくわたくしごとで何なんですけれども、わたくし、ながおか、〈ライターでした〉。自分でも知らなかったけど、ライターだったようです。尾藤イサオ専門の。ええ。御本人のまったくあずかり知らぬところで、尾藤イサオ専属の。それって、いまnoteでときどき文章にしてるからってこととかはあんまり関係なくって、その前から。一文字も文章にしてないときからすでに、〈古賀区分〉によると、たぶんわたしはライターだったのです、えっへん。(←なぜか誇らしげ。)というのも、私はその瞬間を明瞭におぼえているからです。尾藤イサオを見て聴いて、あぁカッコいいなぁ、好きだなぁとおもっていた自分が、〈いやいやいや、これ黙ってたらだめなやつでしょ!誰かに言わないといけないやつでしょ!〉っておもった瞬間を、はっきりくっきり記憶しているからです。で、確かにそれから、私の尾藤の見方聴き方って、〈伝えるベース〉になったよな、っていうのもすごく肌感覚でわかる。(そのためにリアル知人たちにはややうっとうしがられたけれども。ごめんな。)なんかすごい個人的なところで腑に落ちた授業でした。こんごは堂々と、〈わたし、尾藤関係のライターです〉とおもってゆくこととする。いや、口に出しては名乗らないけどね、ぜったいに。

どうも性格的に、いろんなことを〈自分の身に引きつけて〉考えてしまうきらいがあり、講座の感想文としてはちょっぴり不適切かもしれないな、ともおもいつつ、やっぱり書きたいように書いてしまうのだった。完。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?