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【8月33日】 飛行石のくだらない奇跡
某日
とにかく暑かった8月。夏は好きだが、ここまで暑いとエアコンの効いた自宅に引きこもる日がどうしても多くなる。何もしなかった春、何もしなかった秋、何もしなかった冬、に比べて、何もしなかった夏は格段に虚しく感じられるのはなぜなのか。何もしなかったわけでなくても、夏が終わる時はいつも何かやり残しているような気分になるから厄介だ。
何か夏らしいお出かけをしようというテーマで、夫とよみうりランドのプールに行くことになった。私は泳ぐのが苦手なのでプールが特別好きというわけではないが、やはり夏といえばプールである。夫は大学生の時、そこのプールで監視員のバイトをしていたらしい。
よみうりランドもはじめてだったので、駅で降りてわざわざゴンドラに乗るのが面白かった。プールは思っていた以上に規模が大きかった。流れるプール、波のプールなど、いくつも種類がある。子ども向けのアンパンマンのプールもあって、プールの真ん中にアンパンマンはじめ各種パンマンたちが勢揃いし、頭の上から延々と噴水を浴び立ち尽くしていた。顔が濡れると力が出ない者たちに対する仕打ちとしてはかなり残酷なものがある。
飛び込み台が設置された、飛び込み専用のプールもあった。飛び込む者たちが思い思いに飛び込むのを隣のプールに半身浸かりながらしばらく眺めた。腕を頭上で揃え理想的な飛び込みを追求する者、理想叶わず顔面から着水する者、回転を試みる者、直立不動で落下してみる者、プールサイドの連れに向かって指差しポーズを決めながら落ちるお調子者等々、実に個性豊かであった。
波のプールで催しがあるというのでその時間に行ってみた。ステージ上でダンサーたちが音楽に合わせて踊り、放水マシンで打ち上げられた水が頭上から降り注いで客をずぶ濡れにするという趣向のものだった。Vaundyの「怪獣の花唄」に合わせて踊りながら盛り上げるイケイケのダンサーたちの横で、手持ちのホースから放水する担当の人がいた。素朴で真面目そうな雰囲気の若い男性だったのだが、その風貌に反してホース捌きに熱が入っており、音楽にノリながら物凄い勢いでホースを振り回し、サビ前では「行くぜえー!」とばかりに客の方を指差し、歌声を届けるかのごとく水をぶっ放していた。日頃の鬱憤をこのバイトで晴らしているかのような、ある種の狂気を感じさせる荒ぶり方であった。きっと仲間内で「あいつ、ホース持つと人が変わるよな……」と噂されているに違いない。私はその荒ぶりにすっかり魅了され、最後にダンサーたちが、「左から、ミホ、アユミ、リカ、ハルカでした! ありがとうございましたー!」と言って去ろうとしたので、「おい、アイツの名前も教えてくれよォ!」と思わず叫びそうになったほどであった。彼がホースに賭けたこの夏が、彼の人生において輝かしい思い出になることを願ってやまない。
某日
朝起きると、背中が痛い。見てみると、昨日のプールでがっつり日焼けしていた。顔や腕は日焼け止めを数回塗り直したが、そういえば背中は割と適当にしていた。顔や腕はまったく焼けていないので、日焼け止めの効果が証明された形である。一日中、ヒリヒリして痛かった。こんなに日焼けしたのはいつぶりだろう。痛みと引き換えに、「夏をやったな」という実感が猛烈に湧いた。数日後には皮が剥け始めた。日焼けして皮が剥けるという事象があまりに懐かしかったので、興奮して夫にべろんと剥がした皮を見せたら、思いのほか嫌な顔をされた。
某日
ポストに求人のチラシが入っていた。ぎょっとしたのは、裏が履歴書になっていたことである。それはちょっと、早急すぎやしないか。履歴書を買いに行かなくても済むように、という親切心なのかもしれないが、考える隙を与えない狡猾さも感じてしまう。さあ書け、さあ働け、と尻を叩かれているようで反発したい気持ちにもなる。そして何より、この紙質が嫌だ。チラシ特有のツルツルした紙は、非常に字が書きにくい。最も適しているのは油性マジックだが、履歴書を油性マジックで書くというのは、どうも趣に欠ける。せめてツルツルではない普通の紙なら許せた。許せたとて、応募はしないのだが。
某日
金曜ロードショーがラピュタだったので、久しぶりに鑑賞。それでふと思い出したことがある。
大学生の頃、よくつけていたゴツめのネックレスがあった。丸いビーズと、天然石風にカットされた大きな緑色の石(を模した重いプラスチック)が真ん中についていた。気に入ってしょっちゅうつけていたので、周りの人たちにも覚えられ、その石の存在感から「飛行石」と呼ばれていた。それがある日の飲み会帰り、金具が緩んでいたのか、石の部分だけが外れてどこかに消えていた。私が「石が消えた!」と報告すると、皆が酔いに任せて「大変だ!」と騒ぎはじめ、ある者は夜道を捜索し、ある者は店に戻って「忘れ物で飛行石ありませんか!?」と聞いた。結局その日は見つからず帰宅。しかし、後日。まったく別の後輩が道端で石を拾い、どこかで見覚えがあるように思い周囲に見せたところ、「長瀬さんの飛行石だ!」と誰かが気づき、飛行石は無事、私のところに戻ってきたのであった。この一連の騒動は「飛行石の奇跡」と呼ばれた。なんの力も宿していない石をめぐるアホでくだらない奇跡が、あの頃あんなにも面白かった。
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