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受賞報告

2024年9月末日、午後3時。鶯谷の居酒屋「信濃路」にて。

友人と互いの今後について、愚痴と祈りをない混ぜにした展望を散々語り合い、ビールは残りわずか、タコさんウィンナーは冷めきって、話題が友人の職場に現れる変なおっさんの話に移った頃。ふいにスマホを取り上げると、Gmailの通知があった。「創作大賞」「メディア賞」の文字が目に入り、息を止めて本文を開く。「双葉社賞」「おめでとうございます」。私は震える右手を左手で掴みながら、友人に画面を見せた。変なおっさんは彼方へ吹っ飛んだ。

この「信濃路」という居酒屋は、一昨年亡くなった作家・西村賢太氏の行きつけとして有名な店であり、氏の作品のファンである私はその日、念願叶って初めてその店を訪れていた。そこで受賞の連絡を受けたことに、何かしらの意味を感じずにはいられない。祝杯としてビールを追加し、しばし感慨に耽った。根がロマンチストにできている私は、こうなると何でもかんでも意味があったと感じずにはいられなくなり、数日前にミスチルのライブを前から7列目で観たことも人生が動く前触れだったように思うし、去年ロサンゼルスまで行って大谷翔平を見られなかったことで運気が貯まったに違いないし、東京に引っ越してきたのもこのための布石だったとしか思えない。などと、人生のありとあらゆることに思いを馳せて、そのすべてを関係させて、喜びをさらに増幅させていった。

で、一つ問題だったのは、その喜びを夫にどう報告するかということである。「絶対泣くじゃん」と思うと顔がにやけたが、この時、夫はちょうど北海道の山へ調査に行っており、帰ってくるのは3日後だった。呑気にアンモナイト採ってる場合か、とタイミングの悪さを呪いたくなるも、そのネタで受賞しているので文句を言える立場ではない。

電話しようか迷ったが、やはり帰ってきてから話すことにした。去年の創作大賞で落選した時、また、他の誰かの出版が決まった時、「ほのかさんのターンが絶対来るよ」と言ってくれた夫。その夫が泣いて喜ぶ顔を見るまでは、喜び終われない。

それから3日間のうずうずったらなかった。夫からのLINEに対し、何事もなかったかのように振る舞い続ける。「新千歳空港で四千等身の都築を見た!」と興奮気味に報告されて、受賞を報告できていない身としてはかなりどうでも良かったが、普段どうでもいいことばかり話している手前きちんとこなさなくてはならなかった。結局、SNSで調べると都築は東京にいて、夫が見たのは都築風の一般人であった。本当にどうでもいい。

夫は疲れが溜まっていたのか体調を崩し、満身創痍で帰還した。生気のない顔でふらふらと寝る支度をする夫に、「そんな状態の時に悪いんだけどさ、これだけは言わねばならない」と切り出し、受賞のメールを見せた。夫の目に一瞬にして光が宿り、そのまま潤んで溢れた。「よかったね、よかったね」と何度も言って、軽く踊って、私も泣いた。「明らかに様子おかしかったから、そんな気がしてた」と言われた。人はLINEでも挙動不審になるものらしい。


一週間後、双葉社へ挨拶に行った。会議室に通され、「このたびはおめでとうございます」と、5人くらいから次々と名刺をもらった。私は名刺を持っていなかったので、もらうばかりである。こういうことに不慣れで格好がつかない。しばらくして気づいたが、私はもらった名刺をひとまとめにしてテーブルに置いてしまっていた。確か、これはビジネスマナーとして良くない。一枚ずつ並べて置く、というのを聞いたことがある。重ねて置くことで「おまえらなど例え束になっても私以下であるぞブハハ」という意思表示になり無礼、みたいなことだったらまずいと心配になったが、今更おもむろに一枚ずつ並べはじめるのもタロット占い師じみて怪しいので、出版社の皆様におかれましてはこういう非常識な奴が受賞する可能性もあると覚悟しておいてもらわねば困ります、などと勝手に開き直ってそのままにした。

選考について「満場一致で決まった」と聞き、すっかり気をよくした私は、選んでもらうための工夫やら魂胆やらをべらべら喋り、編集部の人の「いやはや、我々はしっかり釣られてしまったたわけですね」という大人な返しに対して、「ありがとうございます、釣られていただいて」などと到底まともな大人とは思えぬ物言いをして失笑に近い空気を招いた。

家族でも友達でもない初対面の人たちが、私の書いたものの話をしている。そのことに新鮮な驚きがあった。私はどこかで、賞を取ったことを個人的ビッグニュースとしか捉えていなかったのかもしれない。ことはすでに私以外の多くの人たちを巻き込んで動き出している。今日からは、そのことに無自覚ではいられなくなるのだろう。

編集部の二人から昼食に誘ってもらい、鰻重と瓶ビールをご馳走になった。神楽坂の鰻屋で編集者とメシである。もし私が20代の若造なら緊張して米が喉を通らなかったであろうシチュエーションだが、胃袋と面の皮を分厚く育ててきた35歳は鰻重をしっかり完食した。地元の話をしたら、「あそこのコーチャンフォーめちゃくちゃでかいですよね」と盛り上がった。コーチャンフォーとは、北海道を中心に展開しているめちゃくちゃでかい城みたいな書店である。あのでかさが東京まで轟いていると思うと誇らしかった。


10月25日、授賞式に出席。結果発表記事の順番が一番上だったのでそんな気がしていたが、やはりスピーチの順番も一番最初であった。よせばいいのにウケを取ろうと気負ったために余計緊張した。心に綾小路きみまろを宿して臨んだが、受賞作の紹介文が読まれると、「結婚式ではケーキ入刀の代わりにアンモナイト入刀を……」のところで早くも笑いが起きて、それに拍子抜けしてついヘラヘラしてしまった。会場がすでに和んでいたおかげでそれなりに笑ってもらえて、まあ及第点といったところである。

懇親会では、話しかけてくれた人に「アンモナイト触ります?」と持ってきたアンモナイトを触らせまくっていた。noteの人からの提案で持ってきたのだが、これが正解だった。というのも、話す人話す人みんなめちゃくちゃ褒めてくれるのだが、私は褒められたいくせに褒められすぎると要らない自虐を連発してしまう癖あるので、そういうときにすかさずアンモナイトを出す。すると、相手は私よりアンモナイトを褒めはじめる。アンモナイトを褒めの生贄として捧げることで、私は余計な自虐に走らなくて済む、という寸法である。アンモナイトをこんな妙なことに使ったのはこの世で私くらいではないか。

最後の最後まで残ってたんまりビールを飲ませてもらい、ほろ酔いで家路についた。華やかな場所を去り一人になってみると、夢から覚めるような心細さがあった。


およそ一年後を目標に、双葉社から単行本を出すことになっている。本を出すのは、長年望んでいたことだ。これからが大変なのだろうと途方も無い気持ちになってはいるが、こうなったらもう書くしかない。目立ちたくなくて作文をわざと下手くそに書いていた小学生の私に、渾身の一冊をお見舞いしてやろうと思う。

夫は双葉社への感謝を込めて、クレヨンしんちゃんを全巻購入するつもりらしい。うちのリビングの奥にある壁一面の本棚は、右側と左側でまるで景色が違う。右側は私の縄張り、左側は夫の縄張り。その真ん中に「クレヨンしんちゃん」全50巻が並ぶ日も近い。



改めまして、いつも読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。読んでくれる人がいるおかげで、ここまで来ることができました。書籍化に向けて執筆がんばります。これからもよろしくお願いいたします。


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長瀬ほのか
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