【11月11日】 食い倒れたのでそれで良し
某日
自分から自分への誕生日祝いとして、仕事帰りにビリヤニを食べに行った。最近ビリヤニに目がない。ここ一年くらいで好きな食べ物ランキングを駆け上がり、一気に上位へと食い込んだ新星。スパイス好き、かつ、何を差し置いても米、という質なので、こうなるのは必然であったと言える。出会うのが遅すぎたくらいだ。
いつもの店で、いつもより豪勢にいく。ビリヤニのメニューはチキンビリヤニとマトンビリヤニの2種類があって、マトンビリヤニの方は注文を受けてから炊き始めるので20分ほど時間がかかる。単品の他にマトンビリヤニセットというのがあり、前菜3種とスープが付いてくる。これはすなわち、前菜で一杯やりながらビリヤニが炊けるのをお待ちくだされという実に気の利いたセットなのである。通常の夕食として頼むには尻込みする値段設定だが、誕生日祝いという名目の本日ならば相応しかろう。マトンビリヤニセットを注文し、スパイスの効いた前菜をつまみながらカールスバーグの生ビールを頂く。
約20分後、お待ちかねのビリヤニが到着。それとほぼ時を同じくして、隣の席に初老の男性が座った。そして、その男性の元にも前菜3種とカールスバーグの生ビールが運ばれてきた。男性が前菜をつまみにビールを飲む横で、私は豊かなスパイスを纏ったインディカ米を堪能し、骨ごと炊き込まれた弾力のあるマトンにかぶりつく。ビールが足りなくなり、食中酒におすすめと書かれたインドのクラフトビールを追加で注文。まろやかな口当たりで一口目は少し物足りなく感じたが、これが思った以上にスパイスと合う。食中酒におすすめという文言に偽りなし。しばらくすると、初老男性のマトンビリヤニが到着。男性、食べ始める。私、食べ終わる。男性のビールのグラスが下げられて、私が注文したのと同じクラフトビールが代わりに置かれる。全く同じものを時間差で食べる二人。インド料理屋で静かに繰り広げられる輪唱。かえるのうたが、きこえてくるよ。妙な連帯感が生まれてほっこりしていたところに、初老男性が「ガフッ」と馬鹿でかいゲップを繰り出した。これはいただけない。せめて「クワッ」であれ。
某日
飲み会帰りに近所のバーに寄った。隣で飲んでいた女性と話す。なんやかんやと盛り上がって過去の恋愛の話になり、彼女はスマホで学生時代の写真を私に見せて、「これ、私の好きだった人!」と野球のユニフォームを着た男性を指し示した。「かっこいいね」と口にした次の瞬間、私はその隣に写っている人物に釘付けになった。
「あれ、この人……」
「あ、◯◯のこと知ってます? 野球選手になったんですよ」
野球好きなら誰もが知っているに違いない現役選手である。内心大変興奮したが、彼女はお構いなしに過去の恋愛の話を続ける。彼女にとっては野球選手になった同級生より、その隣の彼の方が特別な存在なのだ。そんなことに勝手に感動して、つい酒が進んだ。
会計後の帰り際、話の流れから数日前が誕生日だったことを告げると、店の人が「え、言ってよ! じゃあせめてこれを!」と冷凍庫からハーゲンダッツを出して持たせてくれた。家までは5分と少し。溶けないように蓋の縁を摘み上げてハーゲンダッツを持ち歩く私の姿は、傍から見れば千鳥足で寿司折をぶら下げて歩くあの典型的酔っ払いの姿に限りなく近いものがあったであろう。
某日
数日家を空けるので、冷蔵庫の中身を消費する必要があった。具なしの焼きそばを作って、その上に納豆2パックと目玉焼きを3つ盛った。残り物の怪物みたいな一皿だが、これが妙にうまいのだから恐ろしい。オタフクソースが合う気がしたが、明日から大阪に行くので踏みとどまった。
某日
大阪の夜。いつもは自らボケに走るようなことはしない夫だが、このお笑い文化の根付いた地で何かに取り憑かれたのだろうか、お好み焼き屋を目指して歩いている最中「よし、宮崎郷土料理を食べよう〜」と言って宮崎郷土料理の店に入ろうとするユーモアを繰り出した。私も思わず「なんで〜!?」とテンション高めに突っ込んだ。
カウンターのみの小さな店で、お好み焼きとねぎ焼きを食べた。目の前の鉄板で生地が丁寧に焼かれていくのを見ながら完成を待ち、仕上げに塗られたソースがジュワワと焼ける音はまさに喝采。お好み焼きが美味しかったのはもちろんだが、ねぎ焼きというのを初めて食べた。外側の焼けたネギと内側のしゃっきり感の残るネギがそれぞれに美味しく、すじこん、ポテトなど他の具材との一体感も素晴らしく、大変にビールが進むつまみの集合体的逸品であった。
帰りにグリコを見物。道頓堀の川を見て、こんなに大きな川が例えば新宿にもあったなら、やっぱり飛び込む者が後を絶たないであろうと思った。
某日
朝食として、かすうどんを食べる。関西の出汁については「東京の汁は塩っぱくて敵わん!」「こっちはお出汁が違うんや!」と架空の大阪人がいつも脳内でやかましく勝手に辟易しているところがあったが、食べてみるとこれが本当に全く違ったので驚いた。澄み渡る出汁、そこに油かすのこってりが絶妙なバランスで加わり、いやはや、本当に美味しくて参った。
万博公園に太陽の塔を見に行く。写真や映像で知っていてその存在をなんとなく好きだと感じてはいたが、実物を目の当たりにしなければこの凄さがわかるわけなどなかったのだと思い知らされた。そのでかさ以上に、芸術としての圧がでかい。あまり使いたくない表現ではあるのだが、パワーをもらった、としか言いようがない心境だった。まんまとグッズをたくさん買ってしまった。
移動して通天閣を見に行き、ここらでたこ焼きを食べることにした。私と大阪のたこ焼きには因縁がある。大阪を訪れるのは今回で2度目、高校の修学旅行以来である。忘れもしない修学旅行の自由行動。京都で時間を使いすぎた為に、大阪を全力疾走で観光する羽目になった。集合時間が間近に迫る中、たこ焼きだけは食べなくてはと焦った我々グループは、その辺の適当な屋台にたこ焼きの文字を見つけとりあえず注文。しかし、火力が弱いのか焼く人が下手なのか、とにかく出てきたものは大阪の恥と言われても仕方がないであろうグチャグチャな出来栄えで、その味は言うまでもなく普通以下であった。つまり、私はまだ大阪のたこ焼きを食べていないに等しいのである。
心残りがついに果たされると期待に胸を膨らませ、新世界の通り沿いにある店に勘で入る。しかし、私のたこ焼き運の悪さは20年弱の時を超えても健在であった。たこ焼きが待てど暮らせど出てこない。あまりに出てこないので、我々の隣のテーブルにいたおっちゃんは何度かホール係に進捗を確認したのち、ビールすら飲み干さないで帰っていった。鉄板の前に立つヤンチャな感じの兄ちゃんはたいして急ぐ様子もなく、何ならタバコ片手に焼いている始末。30分後にやっと出てきたたこ焼きは、不味くはないが自宅タコパレベルの代物であった。やはり勘で入るのは危険である。そう悟った我々はたこ焼きをさっさと食べ終えて、しっかり調べた串かつ屋で挽回を図った。衣が薄く軽い仕上がりで実にうまい串かつであった。
大阪城ホールに移動し、今回大阪にきた目的であるフジファブリックの20周年ライブへ。アジカンとくるりも加わっての3マン。私にとって青春の塊のような組み合わせである。アンコールでゴッチとくるりの二人が加わった「若者のすべて」は、若者だったころの私のすべてのような光景であった。
某日
大阪最終日。朝食として、肉吸いを食べる。最高に美味い。肉吸いは二日酔いの芸人が「肉うどん、うどん抜きで」と注文したのが始まりなのだというが、まさにこれは二日酔い治し汁である。卵かけご飯と共にかき込むようにして平らげ、すぐ近くの「なんばグランド花月」へ。初めて新喜劇を観る。オープニングのあの音楽が生で聞くと思った以上にアホな旋律でその時点で爆笑してしまった。すっちーがいないと乳首ドリルは見られないのかと思っていたが、乳首を肘でドリルするという手法で執り行われ、私は横の夫を思わず揺さぶるほど大興奮であった。漫才や落語では暇そうに手遊びしていた隣のガキンチョが、新喜劇で大笑いしていた。これがテレビで放送されている環境で育ってみたかった。
昨日のリベンジを果たすべく、わなか千日前本店でたこ焼きを食べる。こちらは事前に有識者より紹介いただいた店なので間違いなかろうとは思っていたが、これがもう何かの間違いではないかというくらいに美味かった。本場大阪のたこ焼きは中がトロトロで、みたいな話はよく聞くが、確かに滑らかさが桁違いである。そしてやっぱり出汁が違う。こんなに雑味のないたこ焼きがあったのか。ソースはもはやいらない。これは塩が大正解だ。最初は夫と8個入りを半分にして小腹を満たすつもりだったのだが、あまりにも美味しかったので止まらなくなり、追加で買いに走ってそれぞれもう一皿ずつ食べた。ハイボールを飲みながら、昨日のたこ焼き屋は一体なんだったのだ、という思いを強めた。
早めに空港に移動して、551蓬莱のイートインに入った。豚まんと担仔麺を注文。ずっと食べてみたかった551の豚まんは、大阪の最後を飾るに相応しい味であった。これが日常的に食べられるのはかなり羨ましい。
充実にもほどがある大阪観光。唯一、ビルが工事中でくいだおれ太郎を見ることが叶わなかったのが僅かに心残りだが、自分たちがしっかり食い倒れたのでそれで良しとする。