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5月22日 昔の友達

5月12日(木)

ほとんど握らない生涯を送ってきた。おにぎりの話である。

おにぎりは好きだが、自分で握る一手間が面倒なのと、白米とおかずを交互に食べてこそ人生みたいに思っている節があるために、弁当は基本白米とおかずで、おにぎりは必要なときにコンビニで買えばよいというのが私のおにぎりに対する長年のスタンスであった。

しかし最近、目覚めた。おにぎりに目覚めた。先々月から働いている職場は電子レンジがないため、弁当を温めることができない(弁当は絶対温めたい派)。そこで、おにぎりに白羽の矢が立ったというわけ。試しに一度おにぎりを握って持参してみたところ、一つだけならそんなに手間はかからないと判明、冷めてもおいしいという点を再評価。それからは出勤前におにぎりを一つ握るのが日課になった。自分で握ったおにぎりはコンビニのおにぎりとはまた違う良さがある。うまい。やたらとうまい。空前のおにぎりブームが巻き起こっている。握っただけなのに、どうしてこんなにうまいのか。おにぎりは単体での満足度が非常に高い。白米に梅干しをのせただけの弁当は寂しいのに、梅干しのおにぎりは嬉しい。何故なのか。おにぎり、それは、ふしぎなふしぎな米のかたまり。


5月13日(金)

用事があって都会に出た。ローソンがあった。「お、ローソンじゃん」と思った。何を隠そう、私が今住んでいる町にはローソンがないのである。他のコンビニはあるので不便こそしていないが、時々自分がローソンのない町に住んでいるという事実にそこはかとない寂しさを感じたりもする。

特に用事もないが、せっかくなのでローソンに入ってみた。目に映る全てが懐かしかった。結婚前、一人暮らしをしていたアパートの最寄りコンビニがローソンだったので、思い入れは深い。

「キ、キミは、からあげクン!からあげクンじゃないか!久しぶりだなあ!元気で揚がってるかい?」

からあげクンと懐かしい再会を果たした(買った)。からあげクンの「クン」だけがカタカナであることを、新鮮な気持ちで受け止めた。ちなみに新発売のタルタルソース味を選んだ。食べてみると、なんとタルタルソースが中に入っている。からあげクンの中にソースを仕込むなんて、あの頃は考えもしなかった。私の知らないからあげクンが、そこにはいた。食べ慣れた味のからあげクン(レギュラー)と迷ったが、タルタルソース味を選んでよかったと思う。過去を懐かしんでばかりいたら、心まで老け込んじまう。なあ、そうだろ? 新しいキミを知れてよかった。しばらく会わないうちに、お互い変わったな。でも、それでいいんだよな。これからもたまに近況報告し合おうぜ。ローソンのない町から、会いに行くよ。じゃあな。ベコベコッ(紙の容器を折り畳む音)。



5月14日(土)

甥っ子の写真が送られてきた。帽子のツバを後ろ向きにして被り、窓の縁に乗ろうとしたり、植木鉢の中に足を突っ込んだり、脚立に上がろうとしたり、やりたい放題。一歳半ですっかり悪ガキである。とは言え、彼はまだ世の中にある本当の悪いことなど何も知らない。なんてピュアな悪ガキ。


5月15日(日)

ココスへ行く。カリカリポテトが復活していて興奮した。カリカリだった。

少し離れた席に座った若い男性のお客さんに対する、女性店員の接客が気になった。会話までしっかり聞き取れたわけではないが、何となく感じるものがある。あれはたぶん、友達が来たのだ。一応、普段通りの接客の流れはやっているが、どこか照れくさそうというか、本気で「店員」に徹していない感じ。注文を繰り返すときも、ちょっと雑。その空気感が懐かしくてもどかしくて、妙にグッときた。


5月16日(月)

夫と一緒にとあるラーメン屋へ。私はその店の味噌ラーメンが好きなのだが、醤油を食べたことがなかったので、たまには醤油を食べてみようかなと思った。しかし夫が、この店の醤油ラーメンはイマイチだ、と言う。迷った。夫の意見を信じていつも通り味噌を選ぶか、リスクを冒してでも自分の舌で確かめる道を選ぶか。確かめたい、醤油が食べたい、でもイマイチだったら悔やんでも悔やみきれない。

意を決して、私は醤油ラーメンを選んだ。結果、おいしかった。大勝利。私は食べたいものを食べる。食べるったら食べるのだ。まっすぐ自分の言葉は曲げねェ……それがオレの麺道だってばよ(ちなみにナルトはのっていなかった)。


5月17日(火)

伊集院光がラジオで映画「シン・ウルトラマン」の感想を話していたのだが、その感想に感銘を受けた。

俺たちは小さい頃に大好きだったものを、下の毛が生え始めたくらいから「科学的にこういうところがおかしい」などと斜に構えて粗探しをするようになる、と。ウルトラマンなら、「なんで日本にばっかり宇宙人来るんだ」とか「なんで自分のピンチを知らせるタイマーわざわざつけてるんだ」とか。せっかく大好きだったものを自分で壊して壊して大人になる。それをシン・ウルトラマンはもう一度、力技で信じさせてくれる。「おまえがあのころ揚げ足取ってたアレはこういうことですよ」と、大人が納得して夢見られるような形にしてくれる、みたいな話。

ウルトラマンは通ってきていないが、この感想を聞いて俄然観たくなってきた。


5月18日(水)

テレビで三毛別羆事件を特集していた。夫は夏になると仕事で羆が生息する山の中を調査して歩くので、こういう羆関連の事件は他人事でなく、私は番組を観ながら「マジで気を付けてよね」としつこく言った。夫は逃れるようにして関根(飼ってるうさぎ)の元に近寄り、「おまえは俺を食べないよね~」と頭を撫でた。関根は草を食べた。


5月19日(木)

ゴールデンウィークが終わってから、職場がめちゃくちゃ暇。今日は特に暇だった。あまりにお客さんが来なくて、店長が腕組みしながら「シビれるねえ!」と唸った。


5月20日(金)

職場の駐車場から従業員用出入り口まで、建物の裏手の畦道みたいなところを歩いていくのだが、その畦道の4月から5月半ばまでの変化は日々劇的なものがあった。4月の頭はまだ少し残雪があった。少しするとふきのとうが生え始めた。ふきのとうは増えに増え、増えすぎて気持ち悪いくらいに。からの、つくしんぼ登場。日に日にぴょこぴょこ増える。からの、たんぽぽ登場。ふきのとうは大きな葉に変化。そしてつくしんぼが徐々に減り、たんぽぽ大量発生。ふきの葉はもさもさ大きく成長し、道にはみ出すくらいまでに。「すごいことになってるなー」と思いながら歩いたのが、今日の朝。で、夕方仕事を終えて帰ろうとしたら、草刈りをしたらしく全てが薙ぎ払われていた。完全にまっさら。めまぐるしい春だった。


5月21日(土)

夜中に夫とコンビニに行ったら、「かわむら」さんという男性がレジに立っていた。帰り道、「かわむらさん、河村隆一に似てない?」と夫が言った。確かに襟足長めの黒髪だったが、たぶん名前に引っ張られてるだけだと思う。


5月22日(日)

高校生のときに半年間同じバイトをしていた女の子から、そのころ社員だった男性が亡くなった、という連絡がきた。亡くなった男性の名前に見覚えがあったのでバイト先の子だとかろうじてわかったが、その子のLINEの登録名がイニシャルみたいな、アルファベット二文字の名前で、写真も本人ではなく子どもの写真。状況からして「たぶんあの子」という予想はできたが、正直、確信が持てなかった。なにせ高校生のときのバイト仲間なんて、もう十数年連絡を取り合っていない。亡くなった社員さんのことも、おぼろげな記憶しか残っていない。私の方はフルネームで登録しているのですぐにわかったのだろうが、訃報とはいえ、十数年連絡を取っていない相手に急にメッセージを送る勇気、更にはアルファベット二文字だとしても絶対に自分だとわかってもらえるという自信、どちらも私には無いものである。「久しぶり、○○だよ」くらい言ってくれたらいいのに、などと文句を垂れそうになったが、もしかすると、そういうやりとりを省いても自然なくらい彼女の中で私はまだ「近い」存在なのだろうか。だとすると、ピンと来ない自分が冷たい人間のように思えてくる。

確信を得たくて、返事をする前に最近はあまり見ていないFacebook、更には数年ログインしていないmixiのマイミクまで遡り、なんとかあの子で間違いないという確信を手に入れ、下の名前を思い出すことに成功した。名前を思い出すと、だんだん顔もはっきり浮かぶようになってくる。ハキハキした明るい子だった。私にとって人生ではじめてのアルバイトで、同い年でバイト歴の長かった彼女にはたくさん助けられた。今日連絡が来なかったら、このまま忘れ去っていたかもしれない。忘れたとしても今後の人生に不都合はなかったと思う。でも、思い出せることは思い出せるうちに思い出しておきたい。自分の手元にできるだけ置いておきたい。彼女の少々無頓着とも思える勇気と自信のおかげで、私は思い出の一部を取り戻すことができたのだ。「亡くなったんだ」「びっくりだね」と言い合って、最後に「連絡くれてありがとう」と返した。


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長瀬ほのか
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