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【11月22日】 人はいつか死ヌーピー

某日

毎朝飲んでいる缶の野菜ジュースがある。今朝はいつもに増して寝ぼけていたらしく、起き抜けに冷蔵庫から一本出して一口飲み、あとで続きを飲もうとテーブルに置いて、身支度する間にそれを忘れ、朝食の時にまた冷蔵庫から一本出して口を開けてしまった。卵かけご飯と味噌汁と、野菜ジュース二本。食卓に野菜ジュースが二本並ぶ絵面は二倍健康的かというとそんなことはなく、むしろ不摂生な人間が逆ギレしたかようなある種の反抗的態度が感じられる。その気運に従い無理くり二本飲み干して出かけると、今度は腹がギュルルと抗議の声をあげ、どうにもままならない一日のはじまり。


某日

WOWOWのドラマ『ゴールデンカムイ』を観ていたら、山の中のシーンで夫が「あっ」と前のめりになった。

「この場所行ったことある気がする。後ろの地層に見覚えがある」

職業が職業とはいえ、どこの山でもありそうな沢が一瞬映っただけで、記憶が呼び覚まされるものなのか。そんな、地層を懐かしい街並みみたいに。


某日

年末調整のアレを書かなければならない。夫は毎年この時期にやってくるアレを目の敵にしている。私も別に得意というわけではないが、夫よりは幾分アレを迎え撃つ気概を持ち合わせているので、毎年書くのを手伝っている。お互い休みだったので今日やっちまおうと話していたが、どうにもやる気が起きないまま夕方になり、我々は寿司を食べることにした。はま寿司に行って、帰りにコンビニでデザートを買った。これは現実逃避ではない。自分たちを追い込んでいる。寿司を食べたから、デザートを買ったから、我々は今日アレをやる。やり終える。そうしなければ、ぐうたら過ごしたあげく寿司とデザートを食べただけになってしまう。いや、それの何がいけない、とか考えてはいけない。我々はもうアレをやるしかないのだ。その一心で机に向かった。アレは確かに面倒だが、やり始めればそんなに時間がかかるものではない。我々は無事にアレを終わらせ、寿司とデザートを正当化した。


某日

年一の保険の確認のため、夫と保険代理店を訪れた。店の一番奥の席に案内されると、すぐ隣にはキッズスペースが設けられており、大きめのぬいぐるみがいくつか鎮座していた。この代理店で取り扱っている保険会社のキャラクターと思しきゾウのぬいぐるみがあって、夫はそれに対し「『あんしんだゾウ』に違いない」とネーミングの予想を立てた。対抗して、私はその隣にいたスヌーピーのぬいぐるみを『人はいつか死ヌーピー』と名付けた。

大抵の保険商品は自分の死、もしくは家族の死を前提に提案される。ちゃんと保険に入っている私は、いつかやってくる自分や夫の死を受け入れたことになるのだろうか。ファイナンシャルプランナーから「お変わりないようなので、このままで良いでしょう」と、安心して死ぬためのお墨付きをもらい、店を後にする。調べてみたところ、保険会社のゾウの名前は『あんしんだゾウ』ではなかった。調べるまでもなく、スヌーピーの名前は『人はいつか死ヌーピー』ではない。決してない。


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長瀬ほのか
「あちらのお客様からです」的なやつお待ちしています。