表現者ミステリー シリーズ1 ~闇を暴く中野剛志プラグマティズム劇場~
さて、今日も安全にお過ごしでしょうか、NGG(ネオリベの限界)です。
皆さんは現代貨幣理論とコロナ危機、日経ビジネスイノベーションフォーラムを視聴しましたか?
いや、はっきり言ってしまうとみているか見ていないかどうでもいいのだが、そこから話していこう。
まずこの記事の紹介だ。最近まで、例えば藤井聡教授、中野先生、そしてその周辺を絶えずウォッチしている、していた方々。そして、彼らに対して「怒り、悲しみなどの激情」や「違和感」を近近でもった人々への新たな視点を提供する、価値のある記事にするつもりだ。そいつらを知らなかった人間にはちんぷんかんぷんだし、はっきりいって面白くもない。
いや、彼らに関心がある人、そして大嫌いな人の中でもこの記事を見たことによって全く面白くなく感じる人が多々でて来ることは間違いない。例えば「彼らを研究者として真摯だ」と評価している方にとっては、私の今から書くようなことは至極受け入れづらいだろう。
であるから、私はこう前置きしておこう
「今から書くのは三流ゴシップ記事以下の内容であり、全く信ぴょう性に欠ける根拠の薄弱な記事であるので、それに対しての責任は全く負わないし異論反論誹謗中傷も全く受け付けないしシャドーボクシングの相手もしない」
1.現代貨幣理論とコロナ危機 中野剛志氏講演分析 では、始めます
さて、とりあえず上記の「現代貨幣理論とコロナ危機」という日経ビジネスフォーラムで中野剛志氏が講演したその内容から分析していこう。唐突だなぁ、というクレームは受け付けない。なぜかというと不躾にさっき紹介しておいたからだ、ぎりぎり筋が通っていすはずだ(いや通っていないか)。結論から言うと、とても違和感がある内容だった。哲学的視点からMMTを評価し、新古典派経済学を批判したのは見る人にとってはとても面白い内容だったが、その後のMMTを解説した内容はわかっている人にとっては至極つまらなかったであろう。
だが、私はそこに強烈な矛盾を感じたのだ。
これは原稿分と、MMTにやたら詳しいと一部の狭い範囲の中で有名で素晴らしい記事に定評のあるw(略)icky氏のブログの記事と一緒に読み解いていけばわかるであろう。
原稿→次郎三郎氏↓
ブログwankonyankoricky氏「中野先生のMMT紹介を読んだ人たちによる中野先生のMMT批判を通じて中野先生のMMT紹介を批判する」↓
https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/3bff80e4ecdca145e1f1862afeff4abe
(勝手に紹介してすみません)
※()で補足していきます。読み飛ばしていいですし、見たい人は見てね。
2.そもそも金を撒いて景気回復すりゃ何が何でも解決という話ではない
2.1ファインチューニング政策 総需要管理政策への批判
講演の中でひとしきり新古典派経済学批判を展開した後、中野剛志氏はラーナーの機能的財政支出を用いた管理経済、いわば操舵輪政策を哲学的に分析します。
「しかし、このラーナーの操舵輪政策(ハンドルコントロールとか言いかえればいいのに)はMMTの政策 経済に対する処方箋と、相反する可能性もあり得る」と前置きしたうえで以下に続けます。
MMTの論者たちは1960年代のケインズ主義の教科書にあるファインチューニング政策に反対している一方で、操舵輪のアプローチというものはそのファインチューニングを連想させるところがあるからです。
エリック・ティモワーニュとエル・ランダルレイによれば、「ファインチューニングは裁量的、一時的、限定的な財政金融政策の形式をとることによって、政府支出、税率、そして利子率を積極的に変化させることで、好況と不況に対処するものである」と。
「この政府介入のアプローチは、完全雇用、物価調整、低インフレと言った目標の達成のために、直接的な介入をすることを避ける。むしろ、間接的な手段を使うことで、市場参加者たちのインセンティブを微調整し、市場参加者たちが望む目標に向かって、経済を推し進めることを目指すものである」と。
ティモワーニュとレイはこういうその裁量的な政策判断に影響されるファインチューニングはタイムラグ、信頼性、時間的一貫性の欠如といった問題を引き起こし、経済を不安定にするというミルトン・フリードマンに同意しています。
彼らがファインチューニングの代わりとして主張するのは、政府は景気循環に対して、継続的に直接的に介入するため、金融市場を不断に監視しつつ、労働力を価格メカニズム、投資プロジェクト、直接運営する構造的なマクロ経済プログラムです。
さて、並行してブログの方の記述も引用させていただこう。(以下、氏のブログ記事)
最近、「MMT=裁量的財政支出で景気回復を求める」
という図式を描いている人たちが(特に政治家界隈に)いるようだが、
MMTはこれには明確に反対である。
アバ・ラーナーの機能的財政理論などを
MMTerが高く評価していることから(おいらてきには
MMTの起源の一つと位置付けている)、
MMTが裁量的財政政策を高く評価している、と考えている人たちも
いるようなのだが、そういうわけではない。
機能的財政理論というのは、あくまでも
赤字・黒字・債務残高に関係なく
政府が必要な支出を、貨幣創造を通じて行う、という点に
眼目があるのであり、イコール裁量的財政政策ではない。
MMTが財政政策によってマネーストックをコントロールし
景気を安定させる、というのは
累進課税制度やJGPによる自動安定化装置のことだ。JGPは実現まで
まだまだ論点も多く政治的経済的なハードルも高いが、
それならそれで、何かJGPに代わるものがあれば良い。
いずれにせよ、MMTの言う財政政策による
マネーストックのコントロールというのは
裁量的財政政策のことではない。
(※ただし、2007年に始まる世界金融危機のような
大規模で、影響が長期にわたる金融危機に際しても
裁量的財政政策を行ってはいけない、
と意味ではない。こうした場合、不稼働となった設備資本を
稼働させることで景気を安定させることができるなら
そうした対応を取ることが必要であろう。だが
こうした極端な危機については
危機が始まってからあわてて財政支出などで
対応するより――そんなこと言ったって、
なってしまえばしょうがないんだけれど――、未然に防ぐことが
重要だ、というのがMMTの立場であり、
そして裁量的財政政策は、こうした危機を
抑制するよりしばしば引き起こす側に働きかけるのである。)
では、見比べてみてください。
はっきり言わせていただこう。
もしかすると細部が違うかもしれない。だが
同じことを言っている、と。
そう結論付けさせていただこう、ここにはMMTの独自解釈など入っていないのだ。そのまんまが紹介されている、と、私的にとらえた。
中野氏はまた、以下に批評した。
ラーナーが最初に操舵輪アプローチを提唱したとき、タイムラグ、信頼性、時間的一貫性の欠如といった問題にはほとんど注意を払っていなかったことは事実です。
さらに言えば、1970年代後半のラーナーは単純な操舵輪アプローチが、ストップ・ゴー・ストップの政策パターンになったので、高失業率と高インフレというスタグフレーションを招いたと懸念するようになりました。
MMT論者がラーナーのファインチューニング的な裁量的財政政策を評価しているわけでは無いという、念押しである。
というところで続きはJGPに参ろうか。
2.2 では、JGP解説にまいります
以下、2.1に続いて中野氏はこう説明した。(以下中野氏原稿文)
彼らがファインチューニングの代わりとして主張するのは、政府は景気循環に対して、継続的に直接的に介入するため、金融市場を不断に監視しつつ、労働力を価格メカニズム、投資プロジェクト、直接運営する構造的なマクロ経済プログラムです。
そしてMMTがそのような構造的マクロ経済プログラムとして推薦するのは彼らが就業保証プログラム(JGP)と呼ぶものです。
JGPとは政府が名目価格の法定最低賃金で働く用意のあるものすべてを雇用する約束をするプログラムです。JGPは働きたい人々に対して、直接に政府が支出を行います。さらに政府の予算は、総需要を安定化させるように反循環的に機能する、と。
というのも、不況で労働者がJGPに流れてくると、政府支出は増え、好況で民間部門がJGPから労働者を雇えるようになると、政府支出が減る、と言うことで、JGPは裁量的な政策ではなく、政治の思惑から離れた、自動安定化装置として機能する物なのです。ハイマン・ミンスキーもまた、総需要管理政策はインフレのせいで、完全雇用の達成に失敗すると論じていました。代わりにミンスキーはJGPの先駆けとなるアイデアを提案していました。
それではブログ記事を引用させていただこう。(以下ブログ記事)
恐らくは政府がどう介入しようと、経済は浮き沈みを繰り返し、
物価は簡単には安定しないだろう。
だからこそ、MMTは貨幣賃率を安定させることと
経済が停滞していても、文化的に暮らせる最低限の賃金水準の下で
働きたい人にはすべて職を与える、という
JGPを主張する。JGPが重要だ、というのは
一方で不安定な資本制経済の中にあって
人々の勤労機会と所得(それは当然消費支出)を守る、ということと
同時に、賃金水準を安定させ
原価を相対的に安定させることを通じて
物価水準を安定させ、同時にマネーストックを安定させよう、
という考え方に基づいている。
自動安定化装置としてのJGPの評価
見比べてもらえばわかるだろう、同じだと。
ラーナーの機能的財政政策における景気指標等を基準とした裁量的なファインチューニング政策への批判→自動安定化装置への評価という論法は至極当たり前の論理構成であり政府が経済を完全に管理できない以上はっきり言って当然の帰結である。ricky氏のブログでもそういった流れになっているのが興味深い。
個人的に面白いと思ったのが中野剛志氏が全く顔色変えずに流れるように当たり前のように、この解説を行っていったというところだ。
「こんなもの、至極当然」と言わんばかりである。
ricky氏のブログ記事も引用させていただこう。
どうも全体的に
いろんなブログを通じて知った中野先生のMMT紹介というのは
おいらの見方からすると財政の能動的役割を
過大視しすぎているように思う。
MMTの財政観というのは、景気に関しては
基本的には受動的なものである。政府が能動的に
経済活動をするべき課題というのは基本的には
長期的なものであり、それは長期的視点に立った
インフラ整備であったり教育研究制度の拡充であったり
貧困対策であったり、いろいろで
こうしたものに関しては政府が直接に能動的に
活動することが必要なのだろう。(こうした政策の
経済的機能についてはまた機会を改めて。)
しかし景気変動などのような問題に対しては
一方で、変動を抑制し雇用と決済システムを安定させることについては
能動的であるべきだが、
起こってしまう景気変動については
受動的にならざるを得ない。そのためにビルト・イン・スタビライザーが
重視されるのである。
ここについての批評は奇跡の経済教室 基本編などが該当するのかもしれない。これは私も読んでとてつもない衝撃を受けたものである。
さて、ここまで話を聞いた人はわかったかもしれない。
この本にはビルドインスタビライザーの記述はあっても、ラーナーからミンスキーの変節、MMTまでの流れについて触れられていない。
考えてみてくれ。あの中野剛志が、こんな重要なことを記載し忘れるのか?
私は内に今まであった妙な違和感の正体が具現化されつつあるのを感じた。
三日考えてようやくわかった。一つの答えが出てきた。
あいつら、やってやがる!
(閑話休題)
それにしても疲れた、今日は土曜日なのに仕事なのだ。仕事がなければ完成させたかったが。
どうもちょっとこうやって、展開を伸ばすのも回りくどくて面白いのではないか、そう思ったので今日はこれで終わりにする。続きはまた、私のことフォローしてくれたらお知らせするよ。
ご清聴ありがとうございました、お疲れ様です。