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OTG#03_20190327

大塚ギチへのインタビューは2019年の3月27日、4月4日、4月12日の3回に分けて、西新宿の大塚の自宅で行われた。録音時間は計8時間に渡り、ここでは約1時間分ずつテキスト起こしという形で紹介していく。

生前の大塚の言葉をなるべくそのまま残したいという目的から、カットや修正は最小限にとどめ、ほぼノーカットでお届けする。そのぶん話題の繰り返しなど、冗長な部分も残っているが、療養中の大塚の話にゆっくり付き合う雰囲気を感じていただけたらと思う。

なお、生前の大塚は転倒事故とそれによるクモ膜下出血の後遺症で、記憶に障害を負っており、転倒前後からの記憶には喪失部分や誤認、思い込みなども多く混じっている。そのため本人の証言が実際の事実関係と食い違っている可能性もあることを、あらかじめご了承の上お読みいただきたい。

聞き手・構成・写真 野口智弘(※写真は往時のアンダーセルの応接間で、収録が行われた大塚宅とは異なります)
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(#02から)


なぜペンネームが「ギチ」なのか

――僕ちょっと後付けで『ファイブスター物語』を勉強してるんでピンと来てないですけど、当時の永野さんって『ファイブスター~』も結構巻数を重ねてという感じですよね?

大塚 もちろんもちろん。『ファイブスター~』が何巻だったけな?

――バッツリ休載する前ですよね。

大塚 もちろん。

――じゃあバリバリ毎月描かなきゃいけない時代ですよね、『バーチャ~』やるっつったって。

大塚 後ろのスタッフロールのスペシャルサンクスに俺の名前が載ってる巻が一冊あるからね。(※8巻)

――ちなみにその頃はもう筆名で「大塚ギチ」でやってたんですか?

大塚 もちろんもちろん。俺、(ペンネームは)宝島社の頃からだから。当時の宝島社って編集者が本名出して書いたらアカンのよ。

――あー、それでなんですか。

大塚 だからペンネームで書き始めたの。

――必要に迫られてだったんですね。

大塚 もちろんだよ! 大変だったんだよ。しかもあの会社っておかしくてさ、アルバイトとか外注の人間が社員と直接会話をしちゃダメというバカみたいなルールがあってさ。

――はあー。ちなみにこれ、僕のアンダーセル入社初日の帰りに吉祥寺駅まで一緒に歩いてるときに聞いてはぐらかされて、あえてまた聞きますけど、なんで「ギチ」さんなんですか?

大塚 俺にもよくわかんないんだけど(笑)、とにかくペンネームを使うんだったらインパクトがなんかあるほうがいいなと思って……(笑)。

――なんかの曲から取ったんでしたっけ?

大塚 (挙動不審になり)いや、なんかね……いろいろ。曲もあるし、なんだろうな……なんとなくやっぱりカタカナ。

――響きとか?

大塚 響きとか、そういうことだよねえ。

――なんか引っかかる音の感じとか。

大塚 うーん……。

――なんで入社初日に大塚さんの名前の由来を聞いたかと言うと「僕もペンネーム要りますかね?」みたいなことを言ったついでに聞いて。そのとき確か大塚さんの答えが「うちはべつに『ファミ通』編集部じゃねえからなあー」っていう(笑)。

大塚 まあ、ルパン小島(編集者/ミカド関連イベントで共演多数)みたいなことをする理由はないけどさ(笑)。ただコヤマシゲトだってカタカナにしたのは俺だからなあ。それはなんでかと言ったら「そっちのほうが絶対にインパクトがある」という理由だったから。

――実際たぶんカタカナのシャープな感じと、コヤマさんのスタイルって親和性も高い気がしますし。

大塚 うーん、自分でやっぱり思うけれども、ペンネームにしてよかったんじゃないのと思うのは、空想的な言葉であったとしてもそれ自体に将来的に引っ張られていくんだよ、確実に。

――うーん。

大塚 そう。だから「コヤマシゲト」というのはあいつにとっても本名とペンネームがあって、いまの仕事はペンネームというパワーに引きずられてずっとやってきてる、という感じはあると思うよ? 本名のまま(漢字で)書いたら地味だからさ、あいつも。例えば『エヴァ』の貞本義行さんとかさ、字面がいいわけじゃん。

――読みづらくはないけど、名前がかぶる人が適度にほかにいないとか。

大塚 そうだね。漢字ってさ、ライターだからおたがいわかると思うけど、字を書くときの画数というのは結構重要だからさ。コヤマシゲトの本名って画数がすごい少ないし、俺もそうなんだけど、俺も少ないからさ。なんかそこでインパクトを持たせないと先がねえな、というのは当時直感的に思ってたんだろうな。

――当時の角川の話も出たし、どうせまた出るお名前だと思うんですけど「富野由悠季(とみの・よしゆき)」さんのあの5文字は――まあ、80年代に本名からペンネームに変えられてあのお名前なわけですけど「俺の名前をちゃんと読める奴になってからかかってこい」的な感じもふくめて、富野さんとしか言いようのない、あの5文字な感じがしますけどね。

大塚 それはあるよね。富野由悠季というのは俺の中でも本名の「富野喜幸」時代と、いまの当て字の富野由悠季というのは違ってきてはいるので。

――あとは「宮崎駿」さんにしても、あれを「はやお」と読むのは宮崎駿さんが有名になったからあれを読めるようになったわけで、そうじゃなかったら普通の人は「しゅん」と読むわけで。

大塚 読んじゃうよね。それはね、あるね。

――押井守さんなんかも、いそうでいない絶妙な感じとか。

大塚 まあ、「押井」という名字が珍しいしね。

――でも「おしい」としか読みようがないので、そこも優れてると言うとおかしいですけど。

大塚 やっぱり語感というか語音というか、そういうものが与える印象って全然馬鹿にできないところがあるので、そこで俺は直感的に自分のペンネームを作っちゃったというのもあるし。野口も会ったことあると思うけど、神山健治さんってアニメの監督がいるじゃない? で、神山さんと話したときに「ギッちゃんはペンネームでいいよね」って言われて「なんでですか?」っつったら「俺、銀行に行っても本名で呼ばれるから面倒くさいんだ……」って言われて(笑)。

――神山さん、もう世間的に有名な人になっちゃったから(笑)。僕も本名で、まあ、僕は当然無名ですけど、(ペンネームで)気持ちの使い分けをしないほうのライターなので。

大塚 いや、だってさ、神山さんに聞いたけど――これは全然話してもいいと思うんだけど――銀行に行って手続きをしたんだって。そしたらさ、後日郵送物が送られてきて、当然神山さんは本名でやってるからさ、そのなかにメモがあって……。

――「いつも見てます」的な?

大塚 「いつも見てます」的なことが書いてあって(笑)。それアウトじゃん! 個人情報だから!

――いまコンプライアンス的にうるさい時代だからもうダメですね(笑)。

大塚 付箋に「神山さんの大ファンです」って書いてくるのはさ、ちょっと危ういよね、本名でやってるのって。俺はべつに銀行さんとかいろんなところに行っても本名ではないから大丈夫だけど、本名でやってる人というのは結構大変だと思うよ。会社を経営してたから実感してるけど、銀行の窓口で本名で呼ばれることも多いわけでさ。俺なんかそんな売れてるわけではないからあれだけども(銀行で)「神山健治さんー、神山健治さんー」と言われたら、まわりの人間は「えっ!?」って思うじゃん。

――10人いたらひとりぐらいは必ず知ってるでしょうからね。

大塚 ということになっちゃうからねえ。しかもそれがアニメ監督ならまだしもアイドルの子とかだとさ、なおのことじゃん。

――変な質問ですけど大塚さん、本名なり、別のペンネームで書いてみようかなと思ったことはあります?

大塚 うーんと、本名で書こうと思ったことはない。なんでかと言うと会社経営者として本名でずっと書類を山ほど整理したりとかする上で、税理士だったり税務署だったりとか弁護士だったりとか、いろんな人たちに対しては全部本名で書かなきゃいけないじゃん。そういう意味で本名はそこで使う。ただそれ以外で「ペンネームで書こうかなー」と思ったことというのは無きにしもあらず。なんでかと言うと、大塚ギチという名前のなかでずーっとやっていく上で――なんだろう、楽しい部分は山ほどあるし、理解してくださる人たちも大勢いるのはわかっているんだけど――なかなか新しいことがしにくくなってるなというのはあるので。


遭遇、あかほりさとる&広井王子

――聞いた話で実際どうかわからないですけど、小説家のあかほりさとるさんっていまは別のペンネームでいっぱい書いてるみたいな話を。

大塚 うん、そうだね。あかほりさんは。

――かつてあかほりさん名義でいろんなことはやり終えた人ですから、いまはむしろ違う名前のほうがやりやすいのかもしれないですね。

大塚 近いところに住んでるはずだけど、当時の稼ぎで確か1億円とかで。(※本人の証言が実際の事実関係と食い違っている可能性もあることを、あらかじめご了承の上お読みください)

――まあ、ある種ライトノベルのひとつの道筋を作った人でもあり……。

大塚 だから一回取材でお邪魔したことあるけど、その1億円だかを出して仕事場、タワーマンションとは言わないけど。(※本人の証言が実際の事実関係と食い違っている可能性もあることを、あらかじめご了承の上お読みください)

――高層マンションの一室?

大塚 一室じゃないよ。全部。建物全部。

――建物全部!? じゃあマンションのオーナーというか、そのマンションはあかほりさんの物?

大塚 うん。マンションじゃないけどね。(※本人の証言が実際の事実関係と食い違っている可能性もあることを、あらかじめご了承の上お読みください)

――だんだんもうHIKAKIN(YouTuber)とかそういうレベルの話になりつつあるな……(笑)。

大塚 いや、当時の稼ぎは半端じゃなかったからねえ。俺がお邪魔したときには、地下のすごい大きなフロアで打ち合わせさせてもらったりとかしたけど。上は若い子たちがいて仕事してたんじゃないのかな。いまはそれと同じように仕事してるかどうか知らないけど、物件自体はあかほりさんのものだからね。

――ちなみに僕の勝手なイメージだと、90年代のあかほりさんに対して若い大塚さんは喧嘩しに行ったんじゃないか、みたいな勝手なイメージがあるんですけど、挑発的に行ったわけでもなく?

大塚 全然べつにないね。というか俺、あかほりさとるさんの仕事は知っていたけど、俺が怒る理由は見つからないというか。

――いやいや、「擬音で書き飛ばしやがって!」みたいな、そういうのもべつになく?

大塚 イライラはしないって(笑)。たださすがにさ、取材をする上で何冊か読ませていただいたけど、小説じゃねえなとは思ったけどね。

――(笑)

大塚 「これ脚本じゃん!」と思ったよ。ただそれであれだけの部数を稼いでいた時代があるわけでさ。

――というか仮に書き飛ばすとしても、あれだけの数は書き飛ばせないですよ。

大塚 実際問題100%全部あかほりさんが書いてたかっつうと、そこはアシスタントとかも手伝ってたんじゃないかと思うけどね。じゃないとあんな量は普通追いつかないよ。

――その上でラジオも出たり、イベントも出たり、みたいな。

大塚 あかほりさんに関しては、そういう意味ではきっちりバブルを体現した人ではあるなあ、というのはあったんで。で、すっごく人当たりのいい人なんだ、あの人。

――ああ、なんか「きっとそうなんだろうな」と思いましたけどね。ラジオとかもその延長なのかもしれないですけど。

大塚 本当にラジオの印象と変わらないと思うよ。一度お会いしただけだけどね。でも俺の先輩のライターさんが取材でお会いしたことがあって、そのあとたまたま飲み屋さんであかほりさんと偶然一緒になったときもすごい愛想がよくて「あ、この間来てくださった方じゃないですか!」みたいなことを言ってくださる方だったんだって。アニメ業界ってね、(あかほり氏と違って)なんかその辺のバランスは悪い人が多いんだよ。まだ取材の場だと愛想はいいかもしれないけど。

――まあ、どこかしらみなさん、気難しいところがある人が多いと思いますから。

大塚 だからあかほりさんは社交的だよね。

――そこは人当たりというか「『外道』と呼ばれようが、お客さんがそれで喜んでくれるならいいじゃない」みたいな気持ちが。

大塚 という人だね。あの人のルーツというのが、もともと前に働いていた仕事場とか。

――ぶらざあのっぽ(小山高生主宰のライター集団)なり、タツノコのアニメなり。

大塚 まあ、『(天空戦記)シュラト』とかやれてる人だからねえ。

――硬派なのもやってますからね。

大塚 本当はあっちで伸びたかったんだって。『シュラト』の方向で伸びたかったらしいんだけど、あの人も物書きとして浮気癖みたいなところがあるみたいで(笑)。

――飽きちゃう感じなんですかね?

大塚 うーん、やっぱり硬派なものよりは、後にやっていったような。

――一見、本能の赴くままに見えるような。

大塚 のほうが儲かるし、インパクトも強いし。まあ、時代の先駆者だからな、あの人もな。

――あかほりさんの話もすごい面白いんですけど、時代で言うと、例えば広井王子(マルチクリエイター)さんとニアミスだったり接触だったりというのはあるんですか?

大塚 ニアミスどころか接触はしたよ? お会いした。

――それは何のとき?

大塚 雑誌の取材で1回取材させていただいて、直接お会いして。

――広井さんもあかほりさんと似て非なる方じゃないですか。

大塚 俺にとって広井王子さんは、人として面白かったね。

――まあ、浅草に生まれて、あれだけおしゃべりが達者な感じは、ほかの業界を探してもなかなかいないと思いますけど。

大塚 芸者街で生まれ育って生きてきた人だし。

――当時の広井さんってざっくり『天外魔境』シリーズのあと、『サクラ(大戦)』の前、ぐらいの感じですか?

大塚 もう『サクラ~』はやってたね。それで取材でお会いして。お会いして俺が「おもしれえなあ」と思ったのは、堀井雄二さんと、FFの……。

――坂口(博信)さん?

大塚 うん。そのふたりのゲームクリエイターの名前を挙げて「彼らは一流選手だけど、俺は『ドカベン』で言うと殿馬だ」と(笑)。

――ああ、なんかそういうことは広井さん、時々言ってますよね。

大塚 「だからトップにはなれない」ということをずーっと本人がおっしゃってたので。ただそういうことをストレートにあの立場の方が言われるというのは――広井さんもイケイケだったからね――そういうことを言われたときに「ああ、面白い人だなあ」と思って。で、終わったときに広井さんの秘書の方かな? その方に「今日は広井がすごく体調がよくなくて、なかなかおしゃべりできるかどうか心配だったんですけど、非常に楽しんでお話ができていたようで、ありがとうございます」ってお礼を言われて。

――へえー。それ、僕も当時の雑誌とかでしか知らないですけど、広井さんのレッドカンパニーが面白い社屋だった時代の話ですか?(※水天宮時代のレッドカンパニーは下町の横丁を再現したユニークな社屋で知られた)

大塚 うん。明貴美加(あきたか・みか)(イラストレーター/デザイナー)さんとかもいらっしゃった時期じゃないかな。それで「広井さんって面白い方なんだなあ」というのはあらためて実感したけどね。

――僕らぐらいの世代に広井さんの作品が直撃してくるんですよ。小学生ぐらいで『(魔神英雄伝)ワタル』が来て、そのあと中学生で『天外魔境』が来て、高校生で『サクラ大戦』まで来ちゃう、みたいな。昭和53年生まれだとそんな感じなんですよね。

大塚 ああ、なるほどね。俺がお会いしたときは結構イケイケな感じで。それでそのあとに広井さんが自伝的な小説(『グッドタイムズ バッドタイムズ』)を出してるよね。

――出してましたね。というかそれ、確か大塚さんの本棚にありましたよね?

大塚 あるあるある。

――アンダーセル時代にこっそり読んだなあ。

大塚 で、読んだんだけど、やっぱり広井さんいいセンスしてるなーというか、面白いんだよね。

――やっぱり芸事が小さい頃から血肉になってるというか。

大塚 なってるね。

――「ああ、この人は絶対死ぬまでエンターテインメントの世界で生きていく人なんだろうな」と感じさせる何かがありますね。

大塚 うん、それは感じるね。それはそのとおりだと思うよ。それはね、俺にとっては広井さんは師匠とかにはなってないけど、実感としてはすごく面白かった取材のひとつだね。


ときめき永野メモリアル

――この間ツイッターで僕が取り上げた『Newtype mk.II』を紐解かなくても、若いときの大塚さんがあの人にこう会ってこう感じた、という話をいま聞いてるだけでも十分面白いですね。

大塚 まあー、『Newtype mk.II』とかは奇跡的な本だからね。

――へへへへ(笑)。

大塚 あれを依頼してくれた編集長というのは、当時の『Newtype』の編集長だったんだけど。

――読み返しても面白いですよ。ライブ感がぎゅうぎゅうに詰まってる感じというか。

大塚 あれが出た直後にさ、『Newtype mk.II』は(『Newtype』の)別冊なわけじゃん。で、編集長ががんばって、それの企画を通して俺に話をくださったんだけど「いろんなアニメの監督にインタビューをしたい」と。で、リストをもらって「誰がいいですか?」と言われて「え、そんな複数でもいいんですか?」「ああ、全然いいです。大塚さんだったらお願いします」って言われたんで、一番アクの強い人をやろうと思ったんだよね(笑)。

――はいはいはい。当時の幾原(邦彦)さんなり。

大塚 幾原さんと、押井さんと、富野由悠季。で、「この人たちはたぶん一番(インタビュー)やりにくいんだろうから、とりあえずやっておこうかな」と思って。で、やって。そのときに富野さんにお会いして、話をして。

――富野さん、そのときが初めてです?

大塚 うん。新宿の京王プラザかな。どこかのホテルで取材させていただいたんだけど、後に富野さんから言われたよね。「すっごい生意気な、若いライターがいる」と(笑)。

――その雰囲気がはっきり活字に残ってるのもすごいなあ、と思いながら読みましたけど。

大塚 うん。

――あれは富野さんのタイミング的には『(機動戦士)Vガンダム』のあとで『ブレンパワード』は準備中ぐらいでしたっけ?

大塚 全然『ブレン~』の前じゃない?

――『ブレン~』は97年、98年とかでしょ?(手元で調べて)98年だ。

大塚 『ブレン~』の立ち上げのときって俺、永野さんが描いた初期稿とかも見てるから。

――ああ、そうかそうか。永野さんも当時『ブレン~』で(メインデザインとして参加)。

大塚 だからそれより前だよ。(※『Newtype mk.II』の発売は97年7月)

――そう言えば、ちょうどいのまたむつみ(イラストレーター/『ブレンパワード』にメインデザインとして参加)さんと永野さんが、当時の『バーチャ~』の思い出を語る、みたいなのが最近ネットのインタビューになってて。

大塚 へえー。

――電ファミ(ニコゲーマー)かなあ。思い出語りをしてたんですよ。調べれば出てくるんじゃないかなあ。

大塚 俺、いのまたさんの家に3日間ぐらい泊まってたからなあー。

――ええええええ……!?

大塚 うーん。いや、すごかったよ。

――……それはまたなんで?

大塚 いや、永野さんが「むつみんところに遊びに行こうよ」つって車出してくれたから「何があるのかな?」と思って(笑)。

――(手元で調べて)あ、電ファミだ。えーと、「『バーチャファイター』いのまたむつみ×永野護 対談──『ブレンパワード』に繋がる“バーチャに捧げた1年間”がいま明かされる」って。

大塚 ははははは(笑)。だからむっちゃんちで3日間ぐらい飯出してくれたんで、俺もずーっとなんかそのまま。

――そうそう。この記事でも要するに「恋人でもないのに家に行ってずっとゲームしてる」みたいな話が。で、この記事の聞き手が奇しくもブンブン丸(ライター/『バーチャファイター』著名プレイヤー)さんっていう。

大塚 むっちゃんちで『ときメモ』(『ときめきメモリアル』)とかずーっとやってたよ、永野さん(笑)。で、最初は永野さん、『ときメモ』とか嫌いでさ。

――まあでもなんか『ときメモ』に「え~?」と思ってた人がやってるうちにハマる、みたいなのは当時『こち亀』とかでもマンガになってましたけど、そういう社会現象っぽい感じはありましたね。

大塚 食べず嫌いの人だからね、あの人は。で、当時むっちゃんの家で『ときメモ』をやり始めて、永野さんのカミさんの川村万梨阿(かわむら・まりあ)さん、声優さんだけど横でキャラクターに全部声を当ててくれて……。

――(吹き出す)

大塚 すごいレア体験を3日間ずっとし続けた(笑)。

――それはレアというか……噂には聞いてたけどそんなにバカ夫婦なんだというか……(笑)。

大塚 そしたら永野さんが『ときメモ』にハマっちゃってさ。ずーっと3日間いたよなあ、あれ。あれはいまでも謎の集会ではあったなあ。

――謎の集会だけど、確かにやってそうな気はするというか、そういうことをやっててもおかしくなさそうな人たちですけど。

大塚 あれで永野さんの(頭の)蓋もひとつ開いた気がするけどね(笑)。で、同時にその場に一緒にいたのはセガで『バーチャファイター』とか『バーチャロン』のパッケージデザインとか広告をやってた、俺の古い付き合いの有井伸孝(デザイナー)って奴なんだけど。いまはね、セガは辞めちゃってるけど。その有井伸孝と一緒に「なんで俺らこんなに3日間もいるんだろう?」って(笑)、ずーっと頭の上にクエスチョンが残った状態で。

――それはもう「べつに帰る理由もないから3日間いた」みたいな感じなんですか?

大塚 うん(笑)。

――まあ、そりゃ締め切りがない日は自由行動でいいのか。

大塚 でもさあ、20代前半でいのまたむつみさんの家で永野護とかと一緒だったらさ……。

――確かに「いていいよ」と言ってくれたら、その場にいてみたい気はしますよ。

大塚 というか「いていいよ」も何もないんだよね。みんな雑魚寝でガーッと寝てるだけだからさ(笑)。そういう生活をしているという状況が面白かったというのもあるのかな。わけがわからなかったというか、いまでもわけがわかんないんだけどさ。

――(当時のエピソードは)きっと面白いだろうなあと思って振った話題ですけど、それよりさらに面白い情景が出てきますね。

大塚 んふふふふ(笑)。うーん……俺にもいまだにわかんないけど。でもなんか体ひとつで上京してね、いろんな仕事をしながら生きてきて、出版社に入って、気がつけばそういうことになったというのは、当時の自分としては面白かったな。いまはねえ、人と新しく出会うと言ってもどうしても酒の場とかだしさ。

――ある程度ミーハーな感じもあると思うんですけど、そういう方たちとはだんだん共犯者になっていく感じなんですか?

大塚 やっぱり先輩であるというか、ガキの頃からずっと見ていた人たちであるという印象は変わらないので。

――もうすでに何かなりを成し遂げてる人たちなわけですよね。

大塚 うん。で、その規模は半端じゃないからさ、全然そういう人たちへの敬意はあるし。とくに永野さんに関しては自分の人生観をひとつ決めた人でもあるし。だからさっきの話に戻るけど、富野さんとかもそういう意味で言えば同じだし。


編集者、安井尚志の発見

大塚 だから自分の転換期というか自分の価値観、いまこうやって話したりとか、会社を経営したりとか、野口と接したりする上での最低限のルールではないけれども、価値観を決めてくださった方というのはやっぱり先輩方に何人かいて。それは一番最初のきっかけというのは、ガキの頃にずっと愛読してた『テレビマガジン』という本があって、その『テレビマガジン』でフリーの編集者をやっていた安井尚志(やすい・ひさし)さんという方がいらっしゃって。

――ああ。

大塚 『てれびくん』もやってたのかな? ただ俺は『テレビマガジン』派だったので『テレビマガジン』で安井尚志さんの記事を見ると、やっぱりほかの記事と全然ね、レベルが違うんだよね。「なんだこれ!?」と思って。それがもう小学生の頃にビリビリ来てて。で、後に『テレビマガジン』からスピンアウトして作られたのが『コミックボンボン』なんだけど、『コミックボンボン』も編集長は別の人。ただ実際の現場編集の舵を取ってるというか、記事を作ったりしてるのは安井尚志さんで、安井尚志さんがいなかったらその後のガンプラブームというのは生まれてないんだ。だから『プラモ狂四郎』も生まれてない。『プラモ狂四郎』は安井尚志さんと、当時の編集部に出入りしてたモデラーさんたちと一緒に作り上げたものだけど、やっぱり安井尚志さんの編集能力というのが俺は当時しびれちゃったんで。だからそこからだよね、「マンガ家になるか、編集者になるか」ということで言うと安井尚志さんをずっと印象深く持ってたというのがある。いまでも。

――大塚さんとおしゃべりをしてるとやっぱり度々『プラモ狂四郎』というワードがいろんな例えにも出てきたり、昔を思い起こすときのキーワードにも出てくると思うんですけど、『ボンボン』はどういう環境で何歳ぐらいのときに?

大塚 『ボンボン』は創刊準備号というのがあって、『テレビマガジン』からそういうスピンアウトした本が出るという時点で、もう俺のなかではヒットしてしまったので。

――「マンガ家か、編集者か」みたいな話もありましたけど、自分の好きな本を作っている人間は明確に個性を持っていて「何か同じ匂いのする、新しいものが出るぞ?」みたいな感じは子供なりに持って追っかけてた感じなんですか?

大塚 うん。そのとおりで、後の『バーチャ~』のプレイヤーにハマっていくとかさ、それも一緒なんだけど、結局人にハマっちゃうんだよね、俺。だから『テレビマガジン』の頃もそうだし『ボンボン』だろうがそれ以外の本だろうが、奥付をずーっと見続けちゃうんだよね。奥付って要はスタッフリストが載ってるから。その名前のなかでヒットする人というのがいると「あ、この人やっぱりやってんだ」みたいな頃はガキの頃から思ってたというのはあるね。で、それが重なっていくと「うわ、この人すげえな」というのがあるんで、編集者の原点は安井尚志さんだというのは俺のなかでいまでもあるね。

――それは本だけですか? 例えばアニメでもエンディングのところで、よく昔のアニメファンの方は(ビデオがない時代は)あれをノートに写し取ることもあったそうですけど。

大塚 そういうのはあると思う。当時はアニメの再放送も北海道は多かったんで。だって俺、当時小学生の頃に再放送でやってた『(超電磁ロボ)コン・バトラーV』で毎回出てる武器を全部ノートに書き写してたからね。そういう意味ではアニメにもそういうパワーは発生しているけれども、編集者としていまある自分というものの原点は、安井尚志さんから発生しているんだな、というのは実感してるね。

――ちなみに『コンV』だと……まだ出渕裕(いづぶち・ゆたか)(デザイナー/イラストレーター)さんは敵メカのデザインとかはしてないのか。

大塚 『コンV』はしてないね。

――じゃないのか。『(闘将)ダイモス』とかか。

大塚 『ダイモス』はしてる、ブッちゃん(出渕氏の愛称)は。

――僕やっぱり(オタク的に)薄いなーと思うのは全然そこまでじゃなくて、そういうのでやったとしてもスーパーファミコンの『魔装機神』(『スーパーロボット大戦外伝 魔装機神 THE LORD OF ELEMENTAL』)のシナリオを頭から全部書き取ろうとして……。

大塚 ははははは!(笑)

――で、5話ぐらいで挫折したという。

大塚 いや、だからオタではあるし、オタではあったけれども、それを人に伝えるという情熱というか気持ちは強かったなあ。

――それ本の奥付を見るようになってたのって、いくつぐらいです?

大塚 いくつだろう? でも小学1年生、2年生のときにはもうそんなことしてたからなあ。

――マジっすか。

大塚 まあ、親父の仕事がね、国家公務員ですごい転校が多かったから。静岡に行ったり、北海道をグルグル回ったりとかしてるから。

――それもあらためて時系列で聞いたほうがいいのかもしれないですけど、小さい頃はおもに北海道?

大塚 いや、生まれは北海道なんだけど俺、幼稚園が親父の仕事の都合上、北海道、静岡、北海道、静岡だから。俺、都合幼稚園を2ヶ所を4回行ってるのかな?

――え、じゃあどっちかの幼稚園の子たちからしたら「あ、大塚くんひさしぶり」って感じで出たあと一回帰ってくるんですか?

大塚 どうなんだろうね。わかんない。本当にわかんないけどね、その辺は。それぐらい要するに、幼稚園って1年とか2年とかでしょ? 俺の場合は2年ぐらいだったかな。だからあまりに子供すぎて、環境が変わるということに対してとくに嫌なこともなければ。

――幼稚園ぐらいだと感覚的にはペットが飼い主と引っ越すみたいな?

大塚 まあ、末っ子だからな、俺な。そういうのがあったんで。で、そういうときに共通項がないわけじゃん、北海道と静岡で。しかも定期的に親父の実家がある九州にも行かなきゃならなかったし、いろんなところに行かなきゃいけないという状況のなかで、同い年との情報共有というのはなかなか難しいから。そうしたときにテレビだとさ、場所によって放映されてるものが違うじゃない。

――そうですね。まして昔ですからね。

大塚 で、本だったらさ、どこでも売ってるじゃない。

――ああ、そういうことか。離島だと数日遅れるかもしれないけど『テレビマガジン』なり『ボンボン』なりは全国どこでも売っていたでしょうし。

大塚 北海道の田舎町だと発売日が数日ズレたりはするけど、でも本は流通が日本はしっかりしていたので、届かないということはないからさ。

――じゃあ出版物へのこだわりってそれぐらいにさかのぼるわけですね。

大塚 それぐらいにさかのぼっちゃうね。安井尚志さんの仕事が俺は好きだったけど、そんなこと言っても、わかってくれるような子は同い年で誰もいないわけじゃん(笑)。


『ねずみくんのチョッキ』の思い出

――例えば本当に小さいとき、『テレビマガジン』よりさらに前に好きだった絵本とか、原初の記憶ってあります?

大塚 『ねずみくんのチョッキ』というのがあって、作者の方(上野紀子)はこの間亡くなられてしまったんだけれども。

――はいはい、ありますあります。有名なやつ。

大塚 『ねずみくんのチョッキ』はね、北海道の幼稚園にいたときに異常にハマって。で、俺が『ねずみくんのチョッキ』に執着してるのを当時の先生が知ってくれていたんだろうね、いまでもそこ(本棚)にあるけど、あとがきの後に先生から直筆で「大塚くんへ」って書いてくれたやつがある。

――ああ、いいですね。(手元で調べて)絵は上野紀子さんで、文はなかえよしをさん。

大塚 そうだね。ご夫婦なんで。

――というかこの本、いま見てもデザインすごくいいですよね。

大塚 うん、そうなんだよ。その担任の先生が当時さ、俺はガキだったけど、いま考えるとまだ10代だったんじゃないかなあ。

――じゃあ幼稚園の先生になられてすぐぐらいの感じ。

大塚 で、どこから聞いたのか知らないけど、俺が中学か高校で――俺、中学も3つ行ってるのよ。それぐらい転校が多かったんで――で、中学か高校のときにその幼稚園の担任の先生から「大塚くん、北海道に戻ってきてるんだ」って電話かけてきてくれて。

――へえー。

大塚 そのときでも担任の先生がまだ20代なんだよね。女性の方なんだけど。で、その『ねずみくんのチョッキ』はわざわざ俺が転校するときに2巻くださって。いまでも持ってるけどね。

――すごいいい話。

大塚 だからなんかやっぱり縁があるんだろうね、本というものと自分が。で、本を買うということに関してうちの両親もNGは出さなかったんで。まあ、転校が多かったから友達とも離れる機会が多かったし「勉強しろ」ということもあんまり言われなかったけど、本を買うことに関しては何のNGもなかったし。

――行きつけの本屋的なものは近所にあったんですか?

大塚 当時はね、本屋も多かったし。べつにAmazonとかで頼まなくても行けたからね。

――図書館なり図書室の本も読んでました?

大塚 いや、読むんだけどやっぱり欲しいっていうさ、気持ちがあるから。なのでね、最近であれば三鷹の事務所の――三鷹に長らくずっといる状況であったけれども、最初の頃は本屋も数軒あったけど、いまはもう一軒しかないからね。

――昔は三鷹駅前のロータリーに古本屋とかあったんですよね?

大塚 山ほどあったよ。全部潰れたけど。だけどそういう状況だとさ、本も買いやすいじゃん。ただそれが厳しくなっちゃったのかな、というのは痛感したけどね。それはさ、自分の仕事柄本屋さんが潰れていくというか閉めていくということは、他人事じゃないわけだから。「どうして潰れていくんだろう?」と思わなきゃいけないし。やっぱりいま、俺自身も(本屋に)行かなくなっちゃってるよね。

――とくに雑誌は買わなくなったなあ。

大塚 いや、雑誌は俺も買わない。で、同時に小説とかマンガもそうだけど、新刊が売ってないんだよね。そうなるとAmazonさんに頼ったほうが早いんだ。

――もっと言うとKindleなら5秒で済んじゃうわけで。

大塚 うん。だから電子書籍で済ませるものは済ませるけれども、物として欲しいものもあるわけじゃん、紙の人間だったわけだから。それができなくなっちゃってるから、いまだったら新宿東口の紀伊国屋(書店)まで行って、探して、買って、持って帰ってくる、みたいなことになっちゃうからさ。

――それでも地方の人よりはデカい本屋がすぐ近くにある環境とは言え。

大塚 うーん、まあ、そうだね。確かに。だからみんなAmazonさんに頼ったりとかKindleに頼ったりするのはよくわかるよ。だから本を作るというか、ものを書くということだけで絞ればそれこそ電子書籍でも俺は全然いいんだけど、やっぱり編集という行為とかデザインという行為自体が対象を人に伝えていくための手段ではあると思っているので、例えば『かみちゅ!』ってアニメのムック(『かみちゅ! 大全ちゅー!』)であったりとか、『(天元突破)グレンラガン』というアニメのムック(『天元突破グレンラガン [基礎工事編]』『天元突破グレンラガン [最終発掘完了編]』)であったりとかというのは、自分のなかでは全力で挑まなきゃいけなかった仕事だし。


アウトロー雑誌『コミックボンボン』

――本のデザインと言えば少し前に『コロコロコミック』の独特のデザインを表紙ごと再現して特集したデザイン雑誌(『デザインのひきだし36』)があるんですけど、さっき話に出た『ボンボン』に比べて『コロコロ』はどうだったんですか?

大塚 うーん、俺にとっては『コロコロ』のほうが下品だったからね(笑)。ちょっとなんかニュアンスが違ったよね。

――これは世代かもしれないですけど、僕のイメージだと『コロコロ』の『おぼっちゃまくん』と、『ボンボン』の『やっぱ!アホーガンよ』だったらどっちが下品かな?『アホーガン』かな? みたいな時代に読んでたんですけどね。

大塚 ああ、それはわかるけどね。というかやっぱりガンプラに関しての異常な熱量があったからさ、『ボンボン』って。で、それに対して『コロコロ』って読むとなんかどこに向いてるのかわからないというか。

――やっぱり『ドラえもん』が大黒柱であって、そこから時代によってミニ四駆なり、ビックリマンなり、ポケモンなりというイメージですけど。

大塚 俺にとっては編集者の顔が見えなかったというか、編集者の顔が見えたとしてもマッチしなかったというのはあるのかな。

――秀才肌な感じはしますけどね、小学館っぽいというか。

大塚 ちょうど当時の『ボンボン』の編集長に取材させていただいたこととかもふくめて、いろいろいま実感しているのは、やっぱりアウトローなんだよねえ、『ボンボン』。

――(笑)

大塚 だって(講談社)本社に入れてもらえなかったんだからね、あの人たち。別館でずーっとやり続けてたから。

――じゃあはぐれ者たちが「本丸は認めないかもしれないけど、俺たちは俺たちで好きなことをやるんだ」みたいな。

大塚 そういう感じだよね。だからさっきの話に戻るけど、当時はアニメやゲーム、プラモデルもそうだけどやっぱり本筋じゃないわけじゃん。なので彼らは彼らなりにアウトローでやってたという意味で言うと、そこが俺の原点ではあるのかもしれないね。

――アウトローという言葉が一番しっくり来るのかな。

大塚 やっぱりそうだと思うよ。

――『コロコロ』は、小学館の学年雑誌もそうですけど、ギリギリなんか学校側と妥協できそうな体制寄りの感じはしますけども(笑)。『ドラえもん』しかり。

大塚 うん、そうね。その感覚と、反体制的なものというか。

――ロックと言うべきなのか。

大塚 だから後にどんどん俺自身が柄が悪くなったりとかさ、パブロック(70年代のイギリスを中心としたロックの一形態)とかパンクスとか、そういうことに惹かれていくのはそこが原点なんじゃねえかなあ。『コロコロ』だけ読んでたらいまの俺はないと思うけどね。

――ちなみにさっき『コン・バトラーV』の再放送で敵キャラの記録を細かくつけてたとか……。

大塚 敵キャラじゃないよ。主人公メカの。

――あ、そうかそうか。失礼しました。いっぱい武器があるから。超電磁ヨーヨーとかいろいろ。

大塚 いっぱい武器があるというか、(おもちゃにない)武器をいっぱい勝手に作ってただけなんだけどさ(笑)、1話限りの。

――あの伝説の辻真先(つじ・まさき)(脚本家)さんが、1時間ぐらいで脚本1本書いちゃうという……(笑)。

大塚 (笑)。それを全部書き連ねていくのが好きだったんだけどさ。

――そのあとの『(機動戦士)ガンダム』のファーストインパクトというか、初体験って?

大塚 それはねえ、それもやっぱり再放送だな。北海道は本当に当時再放送文化だったからなあ。でも『ガンダム』だけが特別ではなくて、『コン・バトラーV』って厳密にはサンライズ作品ではないんだけども、やっぱりサンライズの血というのが俺の性に合ったというのがずっとあって。『コン・バトラーV』からかな、やっぱり……。

(チャイム音)

大塚 お、なんか来ちゃった。ごめんね。

――いったん止めましょうか。

(#04につづく)

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